第7話 個性の強すぎる秀女たち


「――様。芳杏様、起きて! 早く準備をしないと講義に遅れるわよ。芳杏様!」


 遠くから芳杏を呼ぶ女性の声が聞こえてくる。まるで明琳を呼び覚まそうとするかのように。


「……私はお嬢様じゃありませんので、もう少し寝かせてください」


 明琳は「むにゃ」と寝言をこぼしながら返した。


「ちょっと、何を寝ぼけているのよ? あなたは芳杏様でしょ! 早く起きなさい!」


 ――私が芳杏様……?


 次の瞬間、明琳は我に返ってハッと目を開ける。

 そうだった。今の自分は旺芳杏。彼女の身代わりとして後宮へやって来たのだ。


「もう、手間をかけさせないでよね。他にも同室に問題児を抱えているのだから」


 ――問題児?


 ああ、秀女はたいてい四人部屋で他に三人いたのだったか。

 おしゃべりな暁華と、寝てばかりいる桂玉、もう一人は昨日、結局姿を見せなかった。


「もう一人の方はまだ来ていないんですか?」

「いいえ、一度部屋に来たみたいなのだけど、いないのよ。荷物があるし、臥牀しんだいで寝ていた形跡もあるわ。でも、私が起きた時にはいなかったの」

「えっ、じゃあ私たちが寝る時間より遅く来て、朝早くに出ていったということですか?」

「そういうことになるわね」


 何て謎の多い人物なのだろう。まるで隠密のようだ。

 同室の秀女たちの個性が強すぎる……。


「桂玉様は……? やっぱり起きないんですか?」


 明琳は暁華から、寝ている桂玉に視線を移して尋ねた。


「ええ。昨日夕食を食べた後すぐ寝てからずっとね。何度も呼びかけて体を揺さぶったりもしたのだけど。この子、異常よ」


 部屋の反対側にある臥牀へと近づき、改めて桂玉の様子を観察する。

 年齢は明琳とさほど変わらない。若干ぽっちゃりした体に白い夜着をまとっている。前髪が長くて目にかかり、表情はよく読み取れない。後ろ髪も手入れを全くしていないのか、長くてボサボサだ。これは起きていた時も同じで、ずぼら、もとい見た目や格好に無頓着な印象を受けた。


 容姿はさておき、こんなに寝るのは確かに異常かもしれない。

 寝過ぎると、主に三つの危険性リスクがある。


 一つ目は、体重の増加。将来的にも肥満になりやすい傾向がある。

 二つ目は、認知機能の低下。記憶力と思考力に影響を及ぼす。

 三つ目は、心臓や血管の病の発症率上昇。心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患、そして高血圧や脳梗塞の発症率が有意に高まる。


 桂玉の『寝過ぎ』が病によるものならば、絶対に治療した方がいい。


 ――ただ、まだ病かわからないし、無理やり叩き起こすのもなぁ。ここにがあればいいんだけど……。


「失礼いたします、秀女様。朝食をお持ちいたしました」


 桂玉のことをどうすべきか悩んでいると、部屋の外から女性の声が響いた。


「入りなさい」


 暁華の返事を聞いて、世話役の女官が配膳台を押して部屋に入ってくる。

 台の上には三人ぶんの朝食が載っていた。臭豆腐しゅうどうふ油条ゆじょう(揚げパン)、古老肉クーラオロー(酢豚)、白湯パイタン(スープ)の四品だ。

 

「昨日もそうだったけど、質素な食事よねぇ。妃嬪になれば違うのかしら?」


 運ばれてきた朝食を見て、暁華が不満そうにこぼす。

 明琳にとっては十分に豪華な食事だが、ご令嬢には物足りないのかもしれない。


「希望を言っていただければ、叶う場合もございますよ?」


 女官の言葉を聞いて明琳の頭に、ある考えが思い浮かんだ。


「じゃあ、白茶の白牡丹バイムーダン蒸留酒じょうりゅうしゅを持ってきてもらえますか?」


 さっそく希望を出した明琳に、暁華がぎょっとして告げる。


「あなた、何を考えているのよ! お茶ならともかく、朝からお酒を飲むなんて」

「いや、私が飲むために頼んだんじゃないんです。桂玉様のために必要で」

「お酒と高価なお茶で釣って起こそうってわけ? 無駄よ!」

「さすがにお酒は許可が下りないかと……」


 女官が申し訳なさそうに意見を口にした直後だった。


「いや、構わないぞ。何か考えがあるのだろう。持ってきてやれ」


 聞き覚えのある声に嫌な予感を覚え、明琳は恐る恐る扉の方へ目を向ける。


「あ、あなたは……!?」


 思わず吃驚きっきょう狼狽ろうばいが入り交じった声をあげてしまった。

 天敵が部下を伴い、部屋に入ってきたからだ。


「この方のご命令通りに」

「江太監様! かしこまりました」


 朧月のそばにいる宦官を見た女官が、驚きの声をあげて拱手する。

 昨日もずっと朧月に付き従っていた宦官だ。

 部下まで偉い人だったのか。


「えーと、『朧月』様でしたよね。どうしてこちらへ……?」


 やっぱり目をつけられてしまったのだろうか。こういう立場の人とは関わりたくないのに。


「そなたが昨日助けた秀女について教えに来てやったのだが。気にならないのであれば、これで失礼しよう」

「いえ、気になります! 教えてください!」


 明琳は退室しようとした朧月の腕をとっさに掴んで訴えた。

 自分が診た患者さんのことだ。容態に変化はないか心配するに決まっている。

 

 そのまま返事を待っていると、朧月がおもしろおかしそうに微笑して明琳を見つめてきた。

 

 ――もしかして、からかわれた?


 明琳は頬を赤らめ、即座に朧月の腕から手を放す。

 朧月はフッと笑い、部屋の外に向かって呼びかけた。


「気になるそうだぞ。入ってくるといい」


 直後、色鮮やかな民族衣装を着た少女が、目を輝かせながら戸口に姿を現した。

 年は十代半ばから後半くらい。小柄な明琳よりも華奢で背も低い。髪は三つ編みにして左右にわけ、胸もとへ垂らしている。

 明らかに陽黎国の女性がする格好ではなかった。よく見ると、目の色も少し青い。

 外国の女性だろうか。 


「あの、そちらの方は……?」

「彼女は阿勒赤アルチ魯倫ルルン。池で溺れていたところをそなたが助けた秀女だ。そなたの話をしたら、お礼をしたいと言うので連れてきた」


 目をしばたたく明琳に、朧月が微笑を浮かべたまま説明した。


 こういう女性だったのかと、明琳は意外な気持ちになる。昨日は命を助けることに夢中で姿をよく見ていなかった。医療を施す時、患者の症状以外は何も見えなくなる悪いくせだ。


「ありがとう、芳杏! 芳杏、ルルン助けてくれた、聞いた。烏乞ウコツ、命の恩人従う風習ある。ルルン、芳杏の言うこと何でも聞く。ルルンに望むことあるか?」

「……はい?」


 つい聞き返してしまった明琳に、再び朧月が説明する。


「彼女は陽黎国の北にある冊封国・烏乞の王女なのだ。皇帝の妃候補として陽黎国にやって来たばかりで、まだここの言葉には慣れていないらしい。彼女が言うには、烏乞では命の恩人に従う風習が――」

「いえ、言葉は通じていますので。ただ、そこまで感謝される意味がよくわからなくて。私は医療を知る者として当然の行いをしただけですし、命の恩人というなら朧月様の方が――」

「いや、俺が助けた時には脈も呼吸も止まっていた。生き返らせたのは、そなただろう」

「朧月、芳杏、どちらも命の恩人。ルルン、二人の望み叶える!」


 手柄を譲り合う二人に、ルルンが笑顔で言った。


「俺はそなたに望むことなど特にないのだが」

「私だってありませんよ。あなたが無事であれば、それで十分です」

「……芳杏」


 名前をつぶやかれた直後、ルルンに勢いよく抱きつかれ、明琳は「わっ」と驚きの声をあげる。

 何て感情表現が豊かで天真爛漫てんしんらんまんな少女なのだろう。

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