第4話 第二の事件

 

 秀女の宿舎を出て、暁華に導かれるまま後宮を西へと進んでいく。

 世間話をしながら歩いていると、小路こみちの向こうから四人の女性が近づいてきた。全員、女官のお仕着せとは違って華やかな装いなので、秀女だろう。


「まあ、暁華様!」

「ごきげんよう、暁華様」


 暁華に気づいた女性たちは、胸の前で左手の上に右手を重ねて拱手きょうしゅした。


「こんにちは、皆さん」


 暁華はにこやかに挨拶し、道を譲ってかしこまる秀女たちの前を通りすぎていく。

 まるでお嬢様と侍女のようだ。

 明琳は秀女たちに会釈えしゃくして暁華の後を追い、気おくれした表情で尋ねた。


「お知り合いが多いのですね?」

「まあね。彼女たちは父の部下のご令嬢よ。私、よく茶会を開いて年の近い知人を招いていたの。あなたはそういうことをしなかったの?」

「え、ええ。人見知りなので」


 本物の芳杏は、本を愛する引きこもりがちな令嬢だった。人に会うことは滅多になく、ここには知り合いがいる可能性はほとんどないので、その点は安心だ。自分が言動に注意さえすれば、身代わりに気づく人はいないだろう。


 考え事をしながら歩いていると、前方から高い女性の声が響いた。


「あら、暁華様。あなたもいらしていたの」

「こ、香蓉こうよう様! ごきげんよう!」


 侍女を伴い近づいてきた女性に、暁華は慌てて拱手し、作り笑いを浮かべて挨拶する。

 暁華ほどのお嬢様が突然媚びたことに驚き、明琳は目の前の女性に注目した。

 年は二十歳はたち前後。女性らしく凹凸おうとつのある体に、金糸の刺繍が施された豪奢ごうしゃ襦裙じゅくんをまとっている。髪は高く結いあげ、造成花ぞうせいか金簪きんかんで派手に飾り立てている。飛天髻ひてんけいと呼ばれる、いかにもお貴族様らしい髪型だ。暁華に輪をかけてみやびやかで美しい。


「あなたも貴妃を目指して、いらしたの?」


 香蓉と呼ばれた女性が、手にしていた羽扇うせんを口もとにあて、思いのほか鋭い目つきで尋ねる。


「い、いえ、滅相もない。私なんて二十七世婦にでもなれれば十分です」

「ふふっ、そうですわね。あなたくらいの家柄なら二十七世婦の婕妤しょうよあたりが妥当かしらね。まあ、選考試験も加味されるようだから、九嬪を目指してがんばるとよろしいですわ」


 見下すように暁華を眺めていた香蓉の口から、「おほほほ」と高らかに笑う声が響き渡った。


 こんなに高慢な女性は見たことがない。

 明琳は言葉を失い、二人のやりとりを呆然と眺めていた。


「そちらの女性は暁華様の侍女かしら?」


 明琳を一瞥いちべつして尋ねた香蓉に、暁華は手を握りしめながら答える。


「いえ、私の身分では侍女の帯同は許されていないので。彼女は旺芳杏様。礼部侍郎のご息女で、私と同室の秀女です」

「そうですの。あまりに地味だから侍女かと思いましたわ。もう少し身なりに気を配った方がよろしいのではなくて? 同じ秀女として恥ずかしいわ。まあ、あなたたち二人は身分の低い者同士つるんでいるのがお似合いですわね」


 明琳は返す言葉もなく、心の中で「うっ」とうめき声をあげた。

 本当は平民だし、地味な自覚はあるけど、すごい言われようだ。


「それでは、ごめんあそばせ」


 香蓉は捨て台詞ぜりふを放つと、侍女を引き連れ、勝ち誇った顔をして去っていった。


 明琳と暁華はしばらくの間、無言で立ち尽くし、香蓉の背中を見送る。


「……あんの、クソ女! 嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴!」


 香蓉の姿が完全に見えなくなったところで、暁華が悔しそうに地団駄じだんだを踏んで罵倒した。


「……暁華様、さっきの女性は……?」


 明琳は暁華のいかりっぷりに戸惑いながら香蓉について尋ねる。


香蓉。丞相じょうそうの娘よ。貴妃最有力候補と言われているわ」


 丞相は陽黎国の宰相にあたり、皇族に次ぐ最高権力者だ。国一番のお嬢様ということか。性格はさておき、上には上がいるということを改めて思い知らされた。


「家柄は最高にいいけど、性格はご覧の通り最悪よ! わがままで傲慢で嫌みったらしくて。あんな奴が皇后になりでもしたら世も末よ! ああ、腹が立つ! くたばりやがれ!」

「ぎょ、暁華様、落ちついて」


 明琳はあまりの口の悪さにぎょっとしつつ、暁華をなだめた。

 名家のお嬢様のわりに口が悪い。そんな下品な言葉をいったいどこで覚えたのか。


「ここでは人目につきます。園林ていえんでも散歩して気を紛らわせましょう? 愚痴なら聞きますから」


 近くにいた女官がこちらを見ていることに気づき、暁華はばつが悪そうに返事をする。


「ええ、そうね。ここではまずいわね」


 暁華が正気を取り戻したことにホッとして、明琳は東に見える園林に向かって歩き出した。

 女性というのは言葉にして吐き出すと、精神的にかなり落ち着くものだ。一刻(三十分)でも話を聞いてあげれば十分だろう。



   ◇ ◇ ◇



 太陽が西の外壁へと落ちていき、後宮の園林を黄昏たそがれの色に染めている。


「……ふぅ。あなたに話を聞いてもらって、少しスッキリしたわ」


 溜まっていた鬱憤うっぷんを外に吐き終え、暁華はカラッとした顔で言った。


 ――愚痴を六刻も……。私はもうグッタリよ……。

(※六刻=三時間)


 香蓉に対する恨み辛みから秀女の待遇や家族への不満まで。

 よくこれだけ話して疲れないものだ。

 明琳はげっそりした顔で暁華を見つめ、唇を引きつらせながら告げる。


「じゃあ、部屋に戻りましょうか」

「まだ話し足りないけど、暗くなってきたから仕方ないわね。行きましょう」

 

 あれだけ話して、話し足りないとは……。彼女の体にはどれだけ負の感情が詰まっているのだろう。

 もう二度と自分から暁華に『愚痴を聞く』とは言うまい。

 心に決めながら歩いていると、遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。

 明琳と暁華は立ち止まって顔を見合わせる。


「悲鳴が聞こえましたね? 何かあったのでしょうか?」

「行ってみましょう!」

「えっ、暁華様!」


 走り出した暁華を、明琳は戸惑いをあらわに呼び止めた。

 だが、暁華は振り返ることもなく、悲鳴が聞こえた方へと駆けていく。

 おしゃべりなだけでなく、好奇心のかたまりでもあるようだ。


 自分はどうしよう。昼間のことがあったから、あまり目立ちたくはないのだけど。

 苦しんでいる人がいたら放ってはおけないし、仕方ない。

 少し躊躇ちゅうちょしたものの、明琳は急いで暁華の後を追う。

 野次馬根性、もとい騒ぎを聞きつける聴力に優れているのか、暁華は近くの立派な殿舎に駆け入り、走廊ろうかを突き進んでいった。


 奥の部屋の入り口に、見覚えのある女性が体を小刻みに震わせながら立っている。

 香蓉に付き従っていた若い侍女だ。


「何かあったの?」


 暁華が問いかけると、侍女は部屋の中を指さしながら震え声で答えた。


「……お、お嬢様が……」


 明琳は暁華と一緒に室内に目を向けて瞠目する。

 奥の卓子つくえの近くに、女性がうつ伏せになって倒れていたのだ。

 顔は見えなくても派手な格好と髪型から誰であるかは明らかだった。

 少し前までは生き生きとして嫌みをぶつけてきていたのに――。


「香蓉様!」


 真っ先に暁華が悲鳴に近い声をあげた。

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