■第6章:本当の自分

「ラストステージ、開催を発表しました」


社長の声が、会議室に響く。


瑠姫は黙って頷いた。

それは、「瑠姫」としての最後のステージ。

そして、新しい自分として生まれ変わる瞬間。


「本当に……よろしいですね?」

マネージャーが心配そうに尋ねる。


「はい」


迷いのない返事。

瑠姫の目には、強い決意が宿っていた。


「このステージで、全てを伝えます。そして……」


一瞬、言葉が途切れる。


「そして、本当の私として、新しい一歩を」


「瑠姫さん……」

千尋が、目を潤ませながら微笑む。


綾乃は黙って腕を組んでいたが、その瞳には確かな信頼の色が浮かんでいた。


「発表から一週間後」社長が告げる。「その時まで、しっかりと準備を」


「はい!」


三人の声が、一つになって響いた。


    ◆    ◆


ラストステージの発表は、大きな波紋を呼んだ。


『瑠姫、ラストステージ開催』

『新たな姿で再始動か』

『チケット争奪戦必至』


様々な憶測が飛び交う中、チケットは発売と同時に完売。

当日を待ちわびる声が、SNSを賑わせていた。


『瑠姫さんの新しい姿、楽しみです』

『これからも応援してます!』

『最後まで、見届けたい』


レッスン室で、瑠姫はそんな声を一つ一つ読んでいた。


「ファンの皆さん……」


「みんな、待ってるんですよ」

千尋が優しく言う。


「ええ」綾乃も頷く。「あなたの新しい一歩を」


その時、ドアがノックされた。


「瑠姫さん」

マネージャーが一通の手紙を持ってきた。


「ファンレターです。読んでほしいって」


封筒を開くと、一枚の写真が入っていた。

病室で微笑む少女の写真。


『私も、病気と闘っています。

でも、瑠姫さんの歌を聴いて、頑張ろうって思えました。

妹さんの夢を背負って歌う瑠姫さんの姿に、勇気をもらいました。

だから……これからも、歌い続けてください。

どんな姿でも、瑠姫さんは瑠姫さんです』


瑠姫の目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「私の歌が……」


「届いているんです」千尋が静かに言う。「瑠姫さんの想いが」


綾乃は黙って、瑠姫の肩に手を置いた。


「さぁ」彼女は優しく言う。「準備を始めましょう」


「うん……」


瑠姫は涙を拭いながら立ち上がった。

この想いを、必ず形にしなければならない。


    ◆    ◆


「本番まで、あと3日」


スタッフが声を掛ける中、三人はステージで最後のリハーサルを行っていた。


セットリストは、デビュー曲から最新曲まで。

そして、フィナーレを飾るのは「Trilias」。


「ここでメイクを落として……」

演出の確認が続く。


「衣装チェンジの後、スポットライトが……」


全ては、最後の瞬間のために。

男性としての姿を現し、新しい声で歌う瞬間のために。


「瑠姫さん」

千尋が声をかけた。


「ステージの袖で、私たちが待ってます」


「そう」綾乃も頷く。「最後は、三人で歌いましょう」


リハーサルを終えた後、瑠姫は一人で客席に座っていた。

明後日、ここは数千の観客で埋め尽くされる。


(瑠奈……)


心の中で、妹に語りかける。


(僕は、君の夢を背負って、ここまで来た)


空っぽの客席を見つめながら、これまでの道のりを振り返る。


デビューの日の緊張。

綾乃との出会いと衝突。

千尋との約束。

そして、スキャンダルを乗り越えた日々。


(でも、これからは……)


瑠姫は立ち上がった。


(僕自身の夢を、探していく)


    ◆    ◆


ついに、その日は訪れた。


「お客様の入場が始まっています」


スタッフの声に、楽屋の空気が張り詰める。

瑠姫は、最後の化粧直しをしていた。


「緊張してます?」

千尋が、そっと声をかける。


「うん……でも」

瑠姫は鏡に映る自分を見つめる。

「不思議と、落ち着いてる」


それは本当だった。

今までにない、清々しい気持ち。


「瑠姫」

綾乃が入ってきた。

「もうすぐ時間です」


三人は黙って見つめ合い、そして頷き合う。

言葉は必要なかった。


「では、開演5分前です!」


スタッフの声が響く中、瑠姫は立ち上がった。

最後にもう一度、鏡を見る。


(瑠奈……見守っていてね)


    ◆    ◆


「瑠姫!瑠姫!」


会場に響くコール。

そして、暗転。


スポットライトが瑠姫を照らす。

デビュー曲のイントロが流れ始める。


最初は、いつもの「瑠姫」として。

デビューから歌い続けてきた歌声で。


曲が進むにつれ、会場の熱気は高まっていく。

ペンライトの光が、星空のように広がる。


「みなさん、ありがとうございます」


MCでは、いつもより少し長めに話をする。

デビューからの思い出。

ファンへの感謝。

そして――。


「これから、私は大切なことを伝えたいと思います」


会場が静まり返る。


「最後の曲は、新曲です。タイトルは……『Trilias』」


千尋と綾乃が、ステージ袖で待機している。


「この曲には、私の全ての想いを込めました。そして……」


深く息を吸う。


「本当の私の姿で、歌わせていただきます」


ざわめきが起こる。

でも、瑠姫は決意の眼差しで続ける。


「私には、大切な約束がありました。病気で亡くなった妹との……」


会場が、水を打ったように静かになる。


「妹の夢を叶えるため、私は『瑠姫』として歌ってきました。でも今は分かります」


一瞬、言葉を置く。


「本当の夢は、形を変えても叶えられるということを」


そう言って、瑠姫はゆっくりとメイクを落とし始めた。

かつらを外す。

会場から小さなため息が漏れる。


そして――。


「これが、本当の私です」


照明が変わる。

男性としての姿が、はっきりと浮かび上がる。


会場は息を呑んだように静まり返った。

その沈黙は、永遠のように感じられた。


その時。


パチ……パチ……パチ……


小さな拍手が、会場の後方から始まった。

それは徐々に広がり、やがて大きな拍手となって会場全体を包み込んでいく。


「ありがとうございます」


涙を堪えながら、瑠姫は頭を下げる。


そこへ、千尋と綾乃が姿を現した。

三人でマイクの前に立つ。


イントロが流れ始める。


「この曲を……聴いてください」


瑠姫の新しい声が、会場に響き渡る。

それは、今までの「瑠姫」とは違う。

でも、確かな想いは同じ。


綾乃と千尋の声が重なる。

三つの声が織りなすハーモニーが、会場を満たしていく。


♪ きっと明日は 新しい空

共に歩こう 風の中

たとえ違う道でも 響き合える

この歌が proof of life……


曲が終わった時、会場は大きな感動に包まれていた。


「瑠姫さん、ありがとう!」

「これからも応援してます!」

「待ってます!」


観客からの声が、次々と響く。


瑠姫は、涙で滲む視界の中、はっきりと微笑んだ。


「これからも……歌い続けます」


それは、終わりであり、新しい始まりだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る