■第5章:三人のハーモニー
活動休止から一ヶ月。
初夏の陽射しが、事務所の窓を明るく照らしていた。
「随分、変わりましたね」
ドアを開けると、綾乃の穏やかな声が響く。
瑠姫は少し照れたように頭をかく。
短く刈り揃えた髪。シンプルなシャツとジーンズ。
それが今の瑠姫の姿だった。
「似合ってますよ」
千尋も優しく微笑む。
「ありがとう……まだ少し落ち着かないけど」
三人は、小さなレッスン室に集まっていた。
社長からの呼び出しを待つ間の、束の間の再会。
「でも」瑠姫は静かに言う。「これが本当の私だから」
その言葉に、二人は温かな表情で頷いた。
「瑠姫さん!社長が……」
マネージャーの声で、三人は顔を見合わせる。
そして、小さく頷き合った。
新しい一歩が、始まろうとしていた。
◆ ◆
「新曲を作りましょう」
社長室で、意外な言葉が告げられた。
「三人で、一つの曲を」
「三人で……?」
瑠姫が驚いた様子で聞き返す。
「ええ」社長は穏やかに微笑んだ。「千尋さんが作詞作曲、綾乃さんが編曲、そして瑠姫くんが……本来の声で歌う」
瑠姫は息を呑む。
本来の声。男性としての声。
それは、まだ誰にも聴かせていない歌声だった。
「私で……良いんですか?」
「ええ」今度は綾乃が答えた。「あなたの歌は、形が変わっても、本質は変わらない。私が保証します」
「私も!」千尋が力強く頷く。「瑠姫さんの想いを、今度は違う形で届けましょう」
窓の外では、夏の風が木々を揺らしていた。
それは、新しい季節の訪れを告げているようだった。
「じゃあ」千尋が、一枚のノートを取り出す。「早速、曲作りを始めましょう」
「ちょっと待って」
瑠姫が、おずおずと切り出す。
「私からも……提案があります」
三人が、瑠姫に視線を向ける。
「この曲で……全てを語りたい」
深く息を吸って、続ける。
「瑠奈との思い出、女装アイドルとしての日々、そして……新しい私」
千尋の目が輝き始める。
「素敵です!きっと、心に響く曲になります」
「私からも一つ」
綾乃が腕を組んで言う。
「この曲は、三人の声が必要だと思います」
「え?」
「千尋さんと私も、コーラスとして参加する。そうすれば……」
綾乃は珍しく柔らかな表情を浮かべた。
「三つの想いが、一つの歌になる」
その言葉に、瑠姫は深く感動を覚えた。
それは、自分一人の再出発ではない。
三人で紡ぎ出す、新しい物語の始まり。
「よし」千尋がペンを握る。「始めましょう」
◆ ◆
レコーディングスタジオ。
千尋が書き上げた楽譜を、三人で見つめていた。
「ここの展開が……」
綾乃が楽譜に印をつける。
「ええ、ここで三つの声が重なり合うイメージです」
千尋が熱心に説明を加える。
瑠姫は黙って、その様子を見つめていた。
二人の真剣な表情。
それは、自分のために注がれる情熱だった。
「試しに、歌ってみましょうか」
綾乃が提案する。
ピアノの前に座る千尋。
綾乃が姿勢を正す。
そして、瑠姫は深く息を吸った。
「行きます……」
伴奏が始まる。
最初は瑠姫のソロ。
「あの日の約束を 胸に秘めて
誰かになることを 選んだ私
でも今は分かる 本当の強さは
自分であることを 認めること……」
その瞬間、瑠姫の声が震えた。
自分の地声。それは、まだ慣れない響き。
「大丈夫」
綾乃が、そっと瑠姫の肩に手を置く。
「瑠姫さんの声、素敵です」
千尋も演奏を止めて、優しく微笑む。
深く息を吸って、もう一度。
今度は、三人の声が重なり合う。
綾乃の澄んだ高音。
千尋の優しい中音。
そして、瑠姫の力強い声。
「きっと明日は 新しい空
共に歩こう 風の中
たとえ違う道でも 響き合える
この歌が proof of life……」
曲が終わった時、スタジオは深い静けさに包まれていた。
「これ……」
千尋が、涙を浮かべながら言う。
「私たちの歌」
綾乃が、珍しく感情的な声で呟く。
瑠姫は、自分の胸の高鳴りに耳を傾けていた。
それは、恐れや不安ではない。
純粋な喜び。本物の感動。
「もう一度……歌わせてください」
その言葉に、二人は温かく頷いた。
◆ ◆
新曲の制作は、予想以上に濃密な時間となった。
「ここの歌詞、もう少し……」
「このハーモニー、こうしてみては?」
「瑠姫さん、もっと自信を持って!」
三人それぞれの個性が、ぶつかり合い、溶け合っていく。
時には意見が分かれることもあった。
でも、それも大切な過程だった。
「ねぇ」
ある日、休憩時間に千尋が切り出した。
「この曲のタイトル、決まりましたか?」
瑠姫と綾乃は顔を見合わせる。
「実は……」
瑠姫が、おずおずと言う。
「『Trilias』はどうでしょう」
「トリリアス……?」
綾乃が首を傾げる。
「三人の……という意味のトリと、絆を意味するリアス」瑠姫は説明を続ける。「私たちの……新しい絆の証として」
千尋の目が輝く。
「素敵です!」
綾乃も、静かに頷いた。
「ええ、相応しい名前ですわ」
そうして、曲は日に日に形を整えていった。
それは単なる音楽ではなく、三人の心が織りなす物語。
そして、ついに完成の時を迎えた。
「これで……良いですか?」
千尋が、最後の音符を書き込む。
「ええ」綾乃が満足げに頷く。「私たちの全てが、詰まっています」
瑠姫は、完成した楽譜を見つめていた。
そこには、新しい自分の歌声が眠っている。
(瑠奈……)
心の中で、妹に語りかける。
(僕は、新しい一歩を踏み出すよ)
窓の外では、夕陽が優しく空を染めていた。
それは、新しい時代の幕開けを告げているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます