■第4章:スキャンダルの影

「瑠姫さん、大変です!」


早朝、マネージャーの悲痛な声で瑠姫は目を覚ました。


「どうしたんですか……?」


「週刊誌です。明日発売の……」


マネージャーが差し出した週刊誌のゲラ刷り。

その見出しを目にした瞬間、瑠姫の血の気が引いた。


『衝撃スクープ!人気女性アイドル「瑠姫」の正体』


記事には、瑠姫が男性であることを示唆する写真が掲載されていた。

スポーツジムから出てくる姿。明らかに男性の服装で。


(どうして……)


「すぐに事務所に来てください。社長が緊急会議を……」


その時、携帯電話が鳴り始めた。

SNSの通知が、次々と届く。


記事は既にネットに流出していた。


『マジかよ……』

『騙された……』

『気持ち悪い』


コメントの嵐。

それは止まることを知らない。


「私……」


言葉が、喉に詰まる。


「私、どうすれば……」


その時、もう一度電話が鳴った。

画面に表示されたのは、綾乃からの着信。


「先輩……」


受話器の向こうから、凛とした声が響く。


「慌てないで。今から迎えを送ります」


「でも……」


「あなたは何も間違っていない。それだけは、忘れないで」


その言葉が、深い闇の中の一筋の光のように感じられた。


    ◆    ◆


事務所は、既に騒然としていた。


「対応が遅すぎる!」

「なんとか火消しを……」

「SNSの反応が……」


会議室に集まったスタッフたちの声が飛び交う。


社長は深刻な面持ちで、瑠姫を見つめていた。


「君の気持ちも分かる。でも……」


重い沈黙。


「当面の活動自粛を発表せざるを得ない」


その言葉に、会議室が静まり返る。


「そんな……」

千尋が、小さな声を上げた。


「せっかくデュエット曲も、完成間近なのに……」


綾乃は黙って腕を組んでいた。

その表情からは、何を考えているのか読み取れない。


「申し訳ありません」


瑠姫は深く頭を下げた。


「私のせいで、皆様に迷惑を……」


「謝らないで」


千尋が、強い声で遮った。


「瑠姫さんは、何も悪くない。だって……」


涙を堪えながら、千尋は続ける。


「瑠姫さんの歌は、本物だもの」


その時、綾乃が静かに立ち上がった。


「一つ、提案があります」


全員の視線が、彼女に集中する。


「活動自粛を発表する前に、記者会見を開きましょう」


「記者会見?」

社長が眉をひそめる。


「ええ。そこで全てを話すのです。瑠姫さんの想い、妹さんとの約束、全てを」


「でも、それは……」


「世間は、真実を知る権利がある」綾乃は凛として言う。「そして、瑠姫さんには、自分の言葉で語る権利がある」


会議室に、深い沈黙が落ちる。


「私……」


瑠姫が、おずおずと口を開く。


「話します。全て、話させてください」


その瞬間、携帯電話が再び鳴り響く。

画面には、ファンからのメッセージが溢れていた。


『瑠姫さんの歌が、私を救ってくれた』

『理由があるはず。信じてます』

『最後まで、応援してます!』


温かいメッセージの数々。

それは、冷たい非難の声に比べれば、はるかに少ない。


でも――。


(そうだ)


瑠姫は、固い決意を胸に秘めた。


(これは、逃げ出す理由じゃない)


それは、新しい戦いの始まりだった。


    ◆    ◆


記者会見場の控室。

瑠姫は、いつもの女装姿で鏡の前に座っていた。


「本当に……このまま出て行くんですか?」

マネージャーが心配そうに声をかける。


「ええ」


瑠姫は静かに頷く。

普段通りのメイク、普段通りの衣装。

それが、自分の決意だった。


「瑠姫さん」


後ろから、千尋の声。

振り向くと、彼女は小さな写真立てを差し出していた。


「楽屋から持ってきました」


それは、瑠奈との思い出の一枚。

音楽室でピアノを弾く、幼い日の写真。


「ありがとう……」


その時、ドアが開く。

綾乃が、凛とした姿で現れた。


「始まりますよ」


深く息を吸って、瑠姫は立ち上がった。

写真を胸に抱きしめる。


(瑠奈……見ていてね)


会見場に入ると、カメラのフラッシュが瑠姫を包み込んだ。


数百という視線。

数十というカメラ。

そして、張り詰めた空気。


中央の席に着く。

両脇には、綾乃と千尋の姿があった。


マイクの前で、瑠姫は静かに目を閉じた。

そして、開く。


「本日は、お集まりいただき、ありがとうございます」


声が、かすかに震える。

でも、止まらない。


「週刊誌の報道について、全ての事実を、私の口からお話しさせていただきます」


会場が、水を打ったように静まり返る。


「はい。私は……男性です」


その瞬間、どよめきが起こる。

カメラのシャッター音が、嵐のように鳴り響く。


「でも、これは、ただの騙しではありません」


瑠姫は、机の上に置いた写真立てに目を向けた。


「私には……妹がいました」


ゆっくりと、しかし確かな声で、瑠姫は語り始めた。

音楽室での思い出。

瑠奈の夢。

そして、最期の約束。


「『私の夢を叶えて』。それが、妹の最期の言葉でした」


会場の空気が、少しずつ変わっていく。


「私は……その約束を守るため、このような形を選びました。確かに、皆様を欺くことになってしまった。それは、深く反省しています」


一度、言葉を切る。

そして、


「でも、歌は、嘘ではありません。この想いは、本物です」


その時、横から温かい手が伸びてきた。

見ると、千尋が瑠姫の手を握っていた。

反対側では、綾乃が静かに頷いている。


「私は……これからも歌い続けたい。たとえ、この姿でなくても」


深々と、頭を下げる。


「これまで応援してくださった皆様、申し訳ありません。そして、ありがとうございました」


長い沈黙。

そして――。


パチパチパチ……


小さな拍手が、会場の後方から始まった。

それは徐々に広がり、やがて大きな拍手となっていく。


記者たちの表情が、厳しいものから、どこか温かいものに変わっていった。


    ◆    ◆


会見から一週間。

事務所は、瑠姫の一時活動休止を発表した。


「必要な時間をかけて、新たな形での活動を検討する」


それが、公式な声明だった。


スタジオの片隅で、瑠姫は黙ってギターを爪弾いていた。

メイクを落とした素顔。

それは、まだ少し落ち着かない感じがした。


「瑠姫さん」


千尋が、そっと声をかける。


「明日から、しばらく会えなくなっちゃいますね」


「うん……」


「でも!」千尋は力強く言う。「私、待ってます。瑠姫さんの新しい歌を」


「私も」


振り向くと、綾乃が立っていた。


「あなたの歌は、まだ終わっていない」彼女は優しく微笑む。「むしろ、これからが本当の始まり」


瑠姫は、二人の言葉に深く頷いた。


窓の外では、夕陽が沈もうとしていた。

それは一つの時代の終わりを告げているようで、同時に、新しい夜明けを予感させるものでもあった。


(瑠奈)

瑠姫は心の中で呟く。

(今度は、本当の僕の姿で、みんなに歌を届けるよ)


それは、終わりであり、始まりの時だった。


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