第13話 人間一回目(後編)
「タキ先生はどうして自分が『人間一回目』だと気付いたんですか?」
タキは銀のポットに、たっぷりとホットチョコレートを注いで戻ってきた。
暖炉の前の絨毯に座り込んでゴブレットで飲みつつ、サトリは先程の続きを促す。
自分は水筒の水を飲みつつ、タキは視線を遠くに投げた。
「子どもらしくないと、ことあるごとに言われていたせいかもしれない。実際に、学校に行っても自分は浮いている、なじめないという気持ちがとても強かった。どこにいても誰とも会話がかみ合わない感じがあった。『なんで周りはこんなにうまく子どもが出来ているんだ? スタート地点は同じだったはずなのに、どうして俺はこんなに子どもとして出来損ないなんだ?』と思った。それで、おそらく周りの奴らは子どもが初めてじゃないんだと気付いた。それこそ二、三回目だからうまく出来るに違いない。だけど俺は一回目らしい。だから勝手がわからない。当たり前のことができない。今もその延長だ」
ホットチョコレートは相変わらず濃厚で甘くて苦くて、身体の奥底の感覚が呼び覚まされるような味がしていた。
トニさんを軽く撫でつつ、サトリはタキの穏やかな声に耳を傾ける。
子どもらしくない。
うまく子どもができない。
「僕は子どもの多い環境で育ったから、周りの子どもとうまくやる術は磨いてきた。はじき出されたりすると、餌食にされる。いろんな意味でね。誰かをいじめたい子どもや、子どもが好きな大人。いろんなところから見ている。弱い個体を狙っているんだ。タキ先生はそういうことはなかったの?」
目を向けると、タキがじっと見返してきた。
夜空のような目をしている。
「おそらく俺はやることなすこと不出来で不格好だったが、『弱い個体』とは認定されなかったようだ。むしろ『いないもの』という扱いが多かった。それを、自分でも望んでいた。誰とも関わらずに生きていける方法を探そうと、出来る限りの学問は修めた。勉強だけはそんなに苦手でもないらしかった。それで学校に死ぬまでこもって勉強していようと思っていたが、アキノ様に引き抜かれた。隠遁生活をさせてやると言われて」
タキはうなだれて、トニさんの顎を撫で始めた。
トニさんは目を瞑ったまま顎を逸らした。気持ちよさそうで、もっととねだっているようだった。
「事情はわからないなりにわかりました」
「サトリ殿下はわからないことを無理にわかろうとしないのが得意なようだ」
唇の端に笑みをのせて、タキが目元をほころばせた。
「今日だけでわかるつもりはないです。もっと話して、もう少しいろんな角度からあなたを知らないと」
ゴブレットに口を付けて、飲み干して言うと、タキが小首を傾げて言った。
「俺に興味がある?」
「そういう言い方は絶妙に嫌です。僕の興味関心は共同生活をする上でのあなたの特性であって、あなた個人へのものじゃない。これが違う性質のものだというのは理解してください。じゃないと、先生、いずれ女の人に訴えられますよ」
「それは恐ろしい。やはり女性には近づかないに限る」
タキはとても渋い表情で目を瞑り、水筒に口をつけて水を飲んだ。
「ホットチョコレート、僕だけでは飲み切れません。どうして先生は飲まないんですか?」
ふと気になって尋ねると、タキが無表情のまま視線を流してきた。
「刺激物だからな。念のため口に入れないようにした。味見もしていないが、作る分には作れていると思う」
「それって、僕には飲ませても大丈夫なんですか?」
「サトリ殿下」
やけに冷ややかに、タキに遮られた。
何を言う気かとサトリが待っていると、タキは速やかに立ち上がった。
「今日のところはここまでとする。必要があればまた次の機会に話そう。よく歯を磨いて寝るように」
「わかりました」
タキは撤退を決めたらしい。
「トニさん」
タキとサトリが揃って声をかけたが、トニさんはとにかく気持ちよさそうに身体を伸ばして眠り続けていた。
非常にいまいましそうな、暗い表情でタキが言った。
「仕方ない。今日はサトリ殿下がトニさんと寝るように」
「やったー。トニさんと寝たかったんですよ。嬉しいな」
サトリはタキの苦々しい表情に気付かなかったふりをして、素直に喜びを表現する。おそらく、タキはトニさんと寝たかったに違いないが、ここは本猫の意向を尊重するようだ。
ドアに手をかけて、タキが振り返って生真面目な表情で言った。
「おやすみ。良い夢を」
「トニさんと寝られるから、それはもう」
煽りになると知りながら言ったが、タキは鷹揚に頷いてから出て行った。
足音が去っていくのを聞きながら、サトリは息を吐き出す。
(思い込みが強いのはよくわかった。世捨て人になるのはもったいないスペックだって本人は気付いてないのかな。それともそんなこと関係ないくらい、便所バッタに生まれ直したいのかな)
差し当たり今日のところは、これ以上考えずに寝ようと思った。
何せトニさんがいるのである。
暖炉の前で長くなって寝ているその姿は、わかりやすい幸せの形をしていた。
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