第12話 人間一回目(前編)
弱い人間だと思われるのが嫌いだ。
それでいて、自分がそんなに強くないのも知っている。
だから、追い込まれる前に全部手を打っておく。
ぎこちない晩餐を終え、「先生が来るまで起きて待っています」と言い残してサトリは食堂を後にしてきた。
髪は一本に結わえ、服装はアキノのもののまま。
姿見に顔を映して睨みつければ、少年に見えなくもない。
(男の人の表情の作り方か。目の動き? あまり笑わない方がいい? アキノ殿下は発声も訓練しているよね。声変わりしたばかりのように言っていたけど、そんな感じ無い。その気になれば女性のような声も出そう……器用だし)
アキノは、おそらく意図して女性に寄せ過ぎないようにしている。
女装が好きだからといって、「女性になりたい」わけではないらしい。
時期がくれば男性として振舞う心積もりもあるようだ。
素の表情など、まさに少年そのもの。
普段は敢えて「可愛く」見えるように意識しているのがわかった。
簡単に出来ることじゃない。
それまでに、男女ともにたくさん観察して「どういう仕草が男性的であり、女性的であるか」を考え尽くしてきたのだと思われる。
(目的がわからない)
あれほど人を惹きつける存在感がありながら、敢えて人と違うことをしているその意図はどこに。
聞けば、答えてくれるかもしれない。
(だけどそれは今じゃない)
失敗したら二度目はないかもしれない。聞くならば慎重に。もっと信頼関係ができてから。
サトリは深く息を吐き出した。
(与えられた環境で生きていくために、神経を張り巡らせるのは大事。でも、人の事情を想像しすぎるのは良くない。自分のものさしで測れると思うのは危険だ。知らないものは知らない。考えるのは、アキノ様がもっといろんな面を見せてくれてからでいい)
知らないのは怖い。しかし、自分の怖さを解消する為に憶測で他人を掌握した気になっても意味が無い。
ノックの音がした。
サトリは鋭い視線を投げかけて、「入ってください」と返事をした。
*
開いたドアから入って来たのは長毛種の巨大猫トニさんだった。
サトリと目が合うと「ぶにゃ」と声をあげた。狙いは定まっているらしく、暖炉のそばまで躊躇いなく歩いて来る。
続いて、苦り切った表情のタキが続く。トニさんに挨拶を任せたせいか、唇はきっちり引き結んで押し黙ったままだ。
ドアを手でおさえて少しの間止まっていたが、やがて低い声で言った。
「ここは開けておこうか」
「寒いですよ。閉めてください」
「良いのか」
サトリはなるべく感じ悪く溜息をついた。
「気持ち悪いです、そういう気遣い。僕はいまあなたに男性として接しています。あなたは余計なことを考えないでください。僕とあなたの間に何かあるかもしれないという想像自体が一切合切迷惑です。要は、あなたが、僕に対し、何もしなければいい。それとも、何もしない自信がない?」
タキは、言い返すことなくドアを閉めた。
そのまま部屋の中を横切って、トニさんの後に続く。
サトリとは一定の距離を保つらしく、近づきすぎない中途半端な位置で止まった。
「もっとそばに来てもいいです。暖炉の火の番をしてくれてもいいですよ。薪をくべたりとか」
両手を広げて肩をすくめてみせると、タキは「そうしよう」と頷いて絨毯の上に座り込んだトニさんの横に膝をついた。
トニさんを挟んで反対側にサトリも腰を下ろす。
タキの横顔を見た。こちらを見てこない。
決して気が弱そうには見えないきっぱりとした眉と、深い藍色の瞳。鼻筋がすうっと通っていて、口も大きい。思いっきり笑ったところを見たことがないから、よくわからないけれど。
男性として、どこか引け目を覚える要素があるように見えない。
(それでなんで、女性が、人間が怖いの?)
「先生はなんで人間がだめなんですか」
芸もなく、サトリは素直に聞いてしまった。
タキはトニさんの毛をそうっと撫ぜながらぼそりと言った。
「たぶん……俺は今回、人間一回目なんだ」
「『人間一回目』」
とても凪いだ横顔をさらしたまま、タキは深く頷いた。
「そう。おそらく前世はコオロギとかバッタだったと思う。君が言うようにうじ虫とか芋虫かもしれない。ただ、おそらくうじ虫界では何かすごい偉業を残したんじゃないかと思っている。その結果、神様が今回は人間やってみるのもいいんじゃないかと、人間にしてみたんだろう。だけど、人間になって気付いたんだが、周りはだいたいみんな三回目、四回目以上ばかりだ。俺のような一回目がうまく生きていくのは無理だと悟った。結構早かったな。子どもの頃に俺はこの世界の仕組みに気付いていた」
(わりと大きく出ているし謙虚ではないな……)
世界の仕組みに気付いたって言ってるし。
「悟ったのは、つまり?」
サトリは慎重に先を促した。タキが顔を上げて視線を合わせてきた。
「俺がうじ虫だってことだな」
「人間ですよ?」
「うじ虫のままだったら良い生き方ができたと思う。うじ虫界ではなかなかいけていたはずだ」
「人間ですよ?」
「人間には慣れていないんだ。最低でもあと二、三回はやってみないと」
「それ来来来世あたりの話をしてます?」
「そうだな」
とても真面目くさった顔で肯定したタキに対し、サトリは確認するようにゆっくり言った。
「人間界で何も成し遂げないで死んだ場合、人間は向いてなかったんだなって話になりませんか。来世はもう少し活躍できるフィールドに生まれることになるかもしれませんよ。便所バッタとか」
「俺にはあっていそうだ」
「本気で言ってます?」
「君は本気じゃないのか。本気で便所バッタを推しているんじゃないのか」
タキの口調は少しばかりむっとしているようだが、むっとしているのはおそらく自分が便所バッタ界では活躍できないと侮られたことだろう。
サトリはそろそろ暖炉の前でとろけはじめたトニさんの尻尾の近くをしきりと撫でながら、タキを見つめた。
同じように、タキはトニさんの顎を撫ぜながら見返してきた。
「喉がかわいてきました」
「飲み物を用意しよう」
心得たように素早く立ち上がるタキ。
とても背が高くて、落ち着いた声をしていて、派手じゃないけど端正な顔立ちをしていて、その頭の中には学識がぎっしり詰まっていて、料理がうまくて……。
来世は便所バッタになりたい男。
サトリはトニさんを撫で続けた。
とりあえず、何か判断するのも、もう少し会話をしてからにしよう、と思った。
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