第9話 先生の苦手なもの

「わたしの話をします」


 サトリは抑制のきいた声で言った。

 アキノは「少し用事が」と言って席を外していた。


「生後一年くらいの時期に孤児院に入りました。年上と年下がたくさんいる中での共同生活で、掃除・洗濯・炊事など基本的なお仕事を日課に、読み書き等も生活に不足がない程度に教わることができました。王宮に上がることは幸運が重なった偶然だと思いますけれど、本当に下の下のお仕事だと言われていました。王家の方々にお目通りすることなどないような下働きだと。なので……」


 声を大にして言うことではないけど、はっきり言っておきたい。


「わたし、お茶会が何かも知らないんですけど。想像も! できません!」

 神々や天使の戯れみたいなイメージしかない。

「問題ない」

 簡単に請け負ったのはタキ。

 

「問題しかないと思いますけど。十日間でわたしがアキノ殿下になるなんて無理があります。絶対うまくいきませんし、それでアキノ殿下の名誉に傷をつけるようなことがあっては」

「『無理』『やだ』『できない』という愚痴か? 言いたいことはそれだけか?」

 タキは落ち着き払って淡々と言ってくる。

「それだけって……」


 まだ、あるといえばある。しかし、それは「抗議ではなく愚痴」だと断定されている。聞く気はないと言われたようなものだ。


「タキ先生のように、なんでもできる人にはわからないかと思いますけど」


 ひるみながらも、未練がましくぐずぐずと言ってしまう。

 タキは、すっと背を逸らして椅子の背もたれにもたれかかった。


「確かに。俺は人間の気持ちはよくわからない。わかる気もない。もう諦めている。サトリ殿下も諦めるように。俺にひとの言葉が通じると思うな」


 何を言っているのか、少し考えた。

 少なくとも、サトリに対しての攻撃ではなかったようだ。

 どちらかといえばタキ自身の話だろうか。


「もしかして、ものすごい方向に開き直りましたか……?」

「開き直りなんて明るい表現はやめてほしい。純粋に諦めている。前向きな要素は一つもない。サトリ殿下のように若くて見目麗しくてそつなく会話ができる人間のことは羨ましいが、俺には無理だ」

「タキ先生……?」


 そつはありまくる。

 会話が成り立っているかあやしくさえある、とサトリはつばを飲み込む。


「だいたい、なんだ君のその落ち着きは。いきなり知らないところに連れてこられて、周りに変な男しかいなかったらもう少しびっくりするだろう。少なくとも俺はそういう想定でいた。なのに全然騒がない。取り乱さない。こっちの調子が狂わされただけだ」

「調子狂っていたんですか?」


 初日から遊戯盤で情け容赦なく苛め抜くくらいには頭が冴えていたように見えたのだが。

 納得がいかないまま尋ねると、タキは腕を組んで目を瞑り、深い溜息をついた。


「狂いっぱなしだ。若い女との共同生活なんて聞いていなかった。しかも君は俺より断然落ち着いている。はっきりいって俺は君が怖い」 


 目を瞑っているのをいいことに、サトリはそっと立ち上がるとテーブルを回り込んで、タキのそばに立った。

 深い考えはない。全然ない。

 ただ、無防備な耳元に口を寄せて名前を呼んでみただけだ。


「タキ先生」


 惨憺たるものだった。

 タキはひどい音をたてながら椅子から崩れ落ちた。

 サトリは焦ってそばに膝をつく。


「ご、ごめんなさい。そんな風になるとは思ってなくて」

「今何をした……っ?」

 深い藍色の瞳が怯えたような色を宿してサトリを見ていた。

「若い女が苦手と聞いて。どの程度苦手か確認してみようと思いました」

 素直に打ち明けた。

 タキは崩れ落ちた姿勢そのままに俯いてしまった。


「ひどい人間だな君は」

「ほんとすみませんごめんなさい。わたしも、何が起きたかよくわかっていないんですけど。立てますか?」

「普通、疑問に思ったからってそんな実験をするか……?」

 まだぶつぶつ言っている。

「します。しました」

 言いながら、タキの腕をひっつかんで立たせようとする。

「さわるなっ」


 逃げられた。

 腰を落としたまま、じりじりと逃げていくタキの前に立ちはだかる格好になり、サトリは状況が飲み込めないなりに、咳ばらいをしてから口を開いた。


「先生。僕をよく見て。どこからどう見ても少年ですよ。若い女の要素なんかどこにもない」

 なるべく、アキノの堂々とした立ち姿をイメージしながら声も口調も寄せて胸に手をあてる。

「ほん……とうに……?」

 恐る恐ると言った様子でタキが聞いて来る。


(どうなんだろうこれ。合わせてるだけ? それとも、騙されてくれるつもりはある? どっち?)


「大丈夫大丈夫。怖くない怖くない」


 言いながら手を差し伸べてみる。

 人なれしない小動物のように警戒心をむき出しにしていたタキだが、つられたように手を伸ばしてきた。

(よし!)

 いけそうだ、と思って微笑みながら手を掴んで、ぐっと引き上げる。


「ほら、怖くない──」


「ねえ、何やってるの?」


 ひんやりとした声が耳を打った。

 サトリとタキは同時に顔を上げて目を向けた。

 アキノが妙に冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。


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