【第二章】

第8話 宮廷ココア担当官

「お茶会を開催しようと思う」

 サトリが館で暮らし始めて三日目の朝、アキノが宣言した。


 朝食はスパイスが効いた挽肉とナッツのミートパイ、蜂蜜入りの温かいミルク。

 食堂で行儀悪く手掴みでパイを頬ばっていたサトリは、指についたぱりぱりのパイの欠片を舐めとりながらぼさっとアキノを見た。

 目が合うと、アキノがふっと穏やかに笑って自分の唇の端を親指で拭う仕草をした。

「ついてるよ。僕が取ってあげてもいいけど」

「自分でできます、大丈夫」

 先回り体質のアキノは、今のところサトリに対して甘やかしが暴走していると思う。


(頼りないからだよね。もう少ししっかりしよう。アキノ様はわたしより二つも年下)


 サトリ同様、行儀悪くパイを手掴みで食べていても、どこまでも優雅で見飽きない。

 蜂蜜ミルクの入ったカップを両手で包みこむように持ち上げながら、サトリはアキノの横顔を見つめてしまった。

 アキノが視線を流してくる。


「せっかく『男装のアキノ』がいるんだ。ひとに見せびらかすことにした」

「近くで見たり声を聞いたりしたら、気付く方は気付くのではありませんか」

「問題ないよ。僕が声変わりをしたのは、この館に着いてからだ。君の声は以前の僕に似ている。身長も最近ぐっと伸びたけど、その前は君と同じくらいだった。つまり、君は完璧なんだ」

「完璧……。いちいちそんな誉め言葉が出て来るアキノ殿下が、存在としては完全無欠ですよ」

 本音が口をついてしまう。アキノはくすくすと明るい笑い声をたてた。


「とは言っても、この雪深い館まで、呼んだからと言って人がそうそう簡単に来るわけじゃない。帰るのも大変だし。まずは十日後、僕の友人を一人だけ呼ぶ。うまいことやってみてよ」

 なるほど。王子の友人を一人、だましてみる。当面の目標設定はそこらしい。

 同じく朝食の席についていたタキは、シュリに対して、

「挽肉って最初に考え付いた奴はどうなっているんだろうな。肉を挽くんだぞ。どうしてそんな手間をかけようと思ったんだ?」

 と、疑問をぶつけていた。

 シュリは大口を開けてパイをもしゃもしゃと食べて飲み込み、深く頷いて答えた。

「確かに。肉の塊を切り出してさらにこれを挽いてみたら……って考えた奴はすごいよな。肉って実際、死体だし。死肉をどう弄ぶかって話だろ」

 食欲の失せそうな会話をしている。

 それでいて二人は、呆気にとられるほど大食らいなのだ。

 シュリがティーポットを持ち上げて、タキと自分のカップに注ぐ。ふわっと良い香りが漂った。

(コーヒーだ)

 サトリは胸いっぱいにその空気を吸い込んだ。



 * * *



 ホットチョコレートの件だが、とタキは切り出した。


「そもそもカカオを美味なるものに仕立てるのは大変難しい。俺はつくづくどんな食べ物も『最初に食べ方を考えたひと』の発想の飛躍が気になる。カカオは豆なんだが、飲み物にするまでに炒って砕く。そのままだと苦みや油脂が多くて飲みづらいので、昔は香辛料と混ぜてよく泡立てて飲んでいた。食感を少しでもなめらかにするためだろうな。この時点で『そこまでしなくても』『もうやめておこう』と思わないのが人間の凄いところだ」

「本当ですね。わたしだったらもうちょっと手間のかからない食べ物が良いです」

 サトリもごく正直な気持ちを述べた。

 

 その日、午前中はアキノと一緒にタキの講義を聞く流れとなり、二人で食堂の椅子に肩を並べて座っていた。タキは向かい側に座り、正面から向き合う形をとっている。

 トニさんは暖炉の前で長く長くなっていた。

 この館は、管理の事情から限られた部屋しか使わないというのは本当だった。よほど用事がなければ、たいていのことは食堂で済ませる習慣になっている。

 実は通いで掃除洗濯雪かきなどをしてくれる人がいるとのことだが、毎日ではないらしく、滅多に遭遇しない。正体を知られたくなくて、サトリも避けてしまっている。


「手間暇かけてまで飲もうと思ったのはなんでなのかな」

 アキノが独り言のように言った。どこか遠くを見る青の瞳。物思いに沈んだ横顔。

 タキが何でもない事のように言った。

「手間がかかるだけに、元は支配層の飲み物だったようだ。精力がつくとか。実際に効用が感じられたのかもしれないな」

「効用?」

 サトリが聞き返すと、タキは唇を引き結んで押し黙った。アキノの疑問には答えてくれるのに、自分には冷たいのか、と一抹の寂しさを感じつつサトリはアキノに目を向けた。


「元気になるということですか?」

 サトリが言うと、アキノは力強く頷いた。

「そうだね。昔のカカオはともかく、ホットチョコレートとかココアはすごく美味しいよね。宮廷では男女問わず人気だったと思う。効用云々というより、嗜好品かな。サトリ、遠慮はしないで。そういう風に、勉強中はどんどん発言した方がいい。その方が身に着くのも早いから。うん。僕、ココア好きだよ」

 光り輝く美貌に笑みを湛えたアキノの眩しさたるや。

 サトリは言葉もなく、こくこくと頷いた。

 ひとまず見守っていたらしいタキが、話を再開した。


「この滋養強壮のある高価で貴重なカカオを取り扱うにあたり、某国の王宮には『宮廷ココア担当官』なるものもあったと聞く。主な役割は二つ。宮廷でのお茶会などでココアを供するときに豪華な演出を取り仕切ること。菓子や茶器の選定なども仕事に含まれる。これは王侯貴族相手の仕事だな。もう一つはなんだと思う?」


 水を向けられたのはサトリか、アキノか。

 全然わからないのでアキノを見ると、にこりと笑みを返された。

 アキノはタキに向かって、澄んだ声で言う。


「主に軍人向けだろう。高価で滋養強壮があるといえば『食品』より『薬品』という発想にも当然なる。だとすれば医学的知識を用いて怪我人に処方する線も考えられるね」

 淀みなくスラスラと言っているが、とっさにサトリにはよくわからなかった。タキが「御名答」と言ったのを受けて、的を射た発言なのだとわかった程度だ。


「複雑な茶会のルールをふまえて王侯貴族を満足させ、かつ医学的知識を用いて軍人とも渡り合う。ココアを知る者は王宮を掌握すると言って過言ではない。あれがどれだけの飲み物か。サトリ殿下、理解したか」

 王子様訓練の一環なのか、タキはサトリを殿下呼ばわりしている。態度はとくにうやうやしくないが。

 今聞いた内容をよくよく自分なりに吟味して、サトリは力強く頷いた。

「わかりました……。ココアの扱いに長ければ国の一つや二つ、ということですね」

「思った以上に大きく出てきたが、そういうことだ」

 タキが重々しく頷きながらサトリにも正解の〇をくれた。


「さて。そんなわけで話は十日後のお茶会だ。サトリ殿下をこの館のココア担当官に任ずる。必要なことは俺やアキノ殿下に質問しまくって構わない。その上でなんとしてもお茶会を成功させるように死力を尽くせ」

 飛躍……。

「わたしが? 王宮でのお茶会なんて何をしているのかも全然まったく欠片も想像つかないのにわたしが!? もてなす……!?」

 なんてひどいと、椅子から腰を浮かせて前のめりになって訴えてみたが、タキに取り合う気はないようだった。

 アキノを見ても「そうだねえ」と瞳を輝かせているだけ。その上で、楽し気に言われた。


「覚悟決めて頑張ろっか。大丈夫。僕がついてる」



 

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