第7話 星とブルーブラック

「それでは僕は剣の稽古をしてくる。サトリは決して覗いてはいけないよ、いいね」


 朝食をたっぷり心ゆくまで食べて、みんなで仲良く後片付けをした後にアキノが言い出した。

「剣は、わたしもできるようになる必要があるのでは」

 アキノは可憐に肩をすくめて笑った。

「確かに。でも、僕が稽古しているところは見せない」

「どうしてですか」

 もう見慣れてしまった、明るい笑顔。

 サトリが見つめていると、アキノの横に立ったシュリがにへらっと笑った。


「王子はね~。ノッてくると必殺技を叫びながら剣を振り回すから」

「必殺技って、アキノスラッシュ! とか?」


 ごく真面目にサトリが聞き返すと、アキノが片目を瞑って笑いかけてくる。

 素早くシュリの背に、ガツンとブーツの踵を振り下ろした。


「くらえ、雷光鉈下ろし!!」

「うわあああ、これはきく!」

 ごぶぶぶ、とシュリが咳込んだ。


(茶番だ)


 サトリはつい、目を細めて渋い顔で見てしまった。

 反応の薄さに気付いたアキノは乱れたスカートの裾をなおし、シュリものそりと立ち上がった。


 アキノは軽く溜息をつくと、ほっそりとした長い指を伸ばしてきてサトリの肩に軽くのせた。

 小首を傾げて、困ったような笑いを浮かべている。

「サトリはまず肥えるところからだ。食べて寝て丸くなって?」

 肥え……。

「ありがとうございます……?」

 やっぱり、最終的には殺されたあげくに食べられてしまうのかもしれない。

 思わずまなざしに気持ちをのせて見てしまうと、アキノが滲むような優しい笑みを広げた。


「さすがに稽古のときは男装なんだよね」

「えーと?」

 なんの話だ? と咄嗟に意味をとらえかねたサトリに対し、ふわりとスカートに風をはらませて背を向けたアキノは数歩進んでから振り返った。

「玄関ホール。来ないでね。僕、こっちに慣れちゃってるから。男の自分を見られるのは抵抗あるんだ」

 なるほど。男装を見られるのが恥ずかしい?

 了解してサトリは送り出すことにした。


「気を付けてくださいね」

 アキノは星が浮かぶようなきらめく瞳を輝かせて言った。

「うん。ありがとう。お昼ごはんは一緒に食べようね!」


 * * *    


      

「孤児院の出身、と聞いている」


 光の盛大に差し込む食堂の長テーブルで並んで座っているときに、タキが言い出した。

 トニさんは相変わらず暖炉の前で長くなっていた。あまりにも気持ちよさそうに長くなっている寝姿は、野生からは程遠い。そして、大きい。

 無駄なことをいっぱい考えながら、サトリは「はい」と肯定した。


 午前中のサトリはタキと勉強の時間。

 テーブルの上には分厚い本が五冊も積まれている。

 けれど、タキはまだ始める気はないらしい。


 横から覗き込むと、目を瞑っていた。まさかこの一瞬で寝たわけではないだろうけど、ひどくしずかな顔だった。

 アキノの際立つ容貌に気を取られていたけれど、この人もかなり整った造りなんだと今さら気付いた。

 肩も広く背も高く存在感からして男性だが、アキノくらいの年齢だったら案外可愛らしかったのではないだろうか。

 気配を察したように、目を開いてタキがサトリを見た。


「少し話を聞きたいんだが」

 落ち着いた声で促される。

 サトリは視線を逸らせないまま、薄く微笑を浮かべて口を開く。


「わたしは運がいいんです。山道でたった一人で泣いていたそうです。何も覚えていませんけど。そのとき見つけてくれた人がいたから、生き延びることができました」

 なるべく、湿っぽく、恨みがましくならないように。

 運がいい子どもは、山道に一人で置き去りにされないぞ。そんなこと、言わないで。

 視線をあわせたまま、タキは溜息をつくように低い声をこぼした。


「生き延びて良かったな」


 サトリはまじまじとタキの瞳を見返してしまった。

 黒だと思っていた瞳は、青みがかった濃い藍色だった。

「何を見ている?」

「タキ先生を見ています」

「何か意味があるのか?」


 意味。


「意味は無いんですけど、将来的にわたしは殺されるのかなと思いまして。殺すのはタキ先生なのかなーと。だけど、それまで一年間食べ物に困らないでこうやって生きていけるなら、それもまた運がいいと思うんです。嫌味じゃないですよ、本心です」

「殺す? 俺が君を?」

 タキは目をしばたいた。

 なんだか意外そうな反応をされたことが意外で、逆に不安になる。


「殺さないんですか? 王子の秘密を知る人間は生かしておけないー、という理由で」


 タキの瞳が、サトリの頭から顎までを見て、再び視線を合わせてきた。


「君に何かあれば、アキノ殿下が命がけで守る」


 サトリは軽く首を傾げつつ、わずかに身を乗り出した。


「アキノ様はなんであんなに優しいんですか。気遣いがとても細やかです」

「殿下の母君は足が悪い。歩けないほどではないが、引きずっているのが傍目にもはっきりわかる。殿下がよく気が付くのは、母君の周りでそれこそ細やかに世話を焼く女官たちを見て育ったからだろう」


 その人が何を必要としているのか、視線や動作の一つで察する気遣い。

 アキノの場合は、そこに思いやりがたっぷり乗っているように感じられる。


「しかも。母君はとある事故のせいで、王宮に入る以前の記憶がない。八方手を尽くしたというが、身元につながるものが見つからなかったらしい。そのせいか知らないが、いくつになっても少女のようなところがあって……。今では、二人が対面すれば殿下の方がまるで兄であるかのように見える。なかなか厳しい。殿下にはあまり子どもらしい時期はなかったようだ」

「あの若さであれだけ完成されているのは、そういう……」

 サトリはしぜんと目を下に向けて、俯いてしまった。

 同情めいた感傷を、アキノはきっと喜ばない。それでも、彼のあの優しさの根本に、人知れぬ苦労や心痛があるのかと、想像するだけで胸が疼いた。


「アキノ殿下は確かによくできた人間だが、まだ十三歳だ。あれで完成じゃない。この先もずっと大きな人間になれる。そういう器だ。サトリが心配することではない」


 線を引くように厳然と言われたが、その感情のこもらない声にサトリは少しだけ安堵した。

「そうですね。わたしも、たった一日でアキノ様のことすごく好きになってしまいました。きっと国中に愛される方になるんでしょう」

「……母親譲りのあの容姿もあるし、な」


 タキの視線が、顔の表面をなぞって去った気配があった。

 サトリが目を向けたときには、すでに横顔しか見えなかった。


「それでは、今日はサトリ殿下の読み書きの程度を確認させてもらおう。いきなり詰め込むつもりはない。だが王族として不足のない程度に知識や教養は身に着けてもらう」

 積んでいた本に手を伸ばし、タキが宣言した。

 大げさだなと思ったサトリであるが、口には出さなかった。

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