第10話 豹変する少女

「僕はね。この館のメンバーを選出するにあたり、絶っっっ対にサトリに手を出さない人間を選び抜いたつもりだったんだ。なのにどうして二人は手を繋いでいるの?」


 こんなときでも笑みを浮かべているのは王族のたしなみなのだろうか。アキノの美貌は冴え渡っている。

 声に棘を感じるだけに、落差が際立っていた。

 サトリは慎重に発言することにした。

 

「転んだ先生を起こそうとしているだけですよ」

「先生。なんで転んでるんですか。そもそもどうやって転ぶんですかこの状況下で。だいたい一人で立てるでしょう。女の子に手を貸してもらわなくても。若くて可愛い女の子に」


 落としたものを踏みつけて踏みにじるような念の入れようで言い含めるアキノ。

 それに対し、ぱっとサトリの手を離したタキは、素晴らしく堂々と言った。


「若くなくても可愛くなくても女性は等しく苦手だ。女性だけじゃない、男性もだ。人間は怖い」


 言い終えて、サトリから距離を取りつつ立ち上がる。

 そうしてみればサトリよりずっと背が高い大人の男性に見える。


(怖い……?)


 サトリは実験の続行を決意し、タキの腕に軽く腕を絡めてみた。


「タキせんせ」

「うわああっ」


 悲鳴を上げて、そのくせ逃げられずに硬直するタキ。

 自分の身体の大きさをわきまえているのだろう。恐怖のままに暴れられたら、サトリは跳ね飛ばされて怪我をする恐れがある。理性的な怖がり方だ。

 石になったタキの腕をぴしりと叩いてから、サトリはアキノに向き直った。


「わからないなりにわかりました」

「そんな適当なことを言う人間、僕は初めて見たかもしれない」

「王子のお側にはこんなド庶民いなかったでしょうから、致し方ありません」

「庶民だからなのか?」

 疑問を覚えているらしいアキノに考える間を与えず、サトリは押し切った。

「庶民だからですよ」

 一瞬、真顔になったアキノにサトリは微笑みかけた。見つめ返してきたアキノの瞳に少年を感じた。素になっているのかもしれない。

 アキノはそのまなざしを特に隠す様子もなく、厳しい口調で言った。

 

「タキ先生とサトリは一定の距離を保って接するように。いいね」


 タキはとても嬉しそうに瞳を輝かせて頷いていた。

(そんなにわたしに近づきたくないんですか)

 べつに。

 生活に支障はないし。

 好かれたいなんて思っていないし。

 勉強の先生で、ご飯が美味しいだけのひとだし。 

 そそくさとこれ幸いとばかりに離れていくタキを見ながら、サトリは自分に言い聞かせた。


 柔らかそうな黒髪。広い背中。大人の男の人。

 とても怖がり。

 サトリは背中を睨み据えて、意識して声を低くした。


「タキ先生の弱虫うじ虫芋虫。何が『怖い』のですか。そんなに大きな男の人の身体を持っているくせに」


 タキとアキノが同時にサトリに目を向ける。

 見られている。それを意識して、サトリは「怒り」の表情を作った。

 ぴんと指の先まで神経を張り巡らせるイメージで、胸に手を当てる。


「何がそんなに『怖い』のか。あなたなら理路整然と説明できるはずです。わたしを──いえ、『僕』を納得させてください」


 逃がさない。

 目を逸らさないまま、タキへと歩み寄る。

(ほら。こんなに身長差がある)

 距離を詰めれば、見上げる高さ。

 男物の服を着て、表情を怒らせてみても、どうしたって貧弱な自分とは大違いだ。


「サトリ。君……、サトリだよね? 顔つきが変わったよ」


 息を詰めて見ていたアキノが緊張した声で確認してきた。そちらに目を向けて、威嚇めいた溜息をつきそうになりながら、

(だめだめ。違う違う。相手はアキノ殿下。年下の男の子)

 自分に言い聞かせて、小さく吐息するにとどめる。

 どう言おうか。わずかに逡巡してから口を開く。


「あまり目立たないようにと思って生きてきました」


 容姿に、注意を払われたくなかったから。「精彩を欠いた」表情は小さい頃からの癖だ。


「身を守る術がなかったので。注目されないようにするしかなかったんです。アキノ殿下ほどではないにしても……少し特殊でしょう、この顔」


 うまく言えずにそう表現すると、アキノとタキは押し黙った。

 やがて、アキノが穏やかに言った。


「言いたくなかったらいいけど。怖い目にあった?」


 アキノの青い瞳はまっすぐで、それでいて射抜くような強さではなく、気遣う光に満ちている。

 サトリは淡く微笑んでみせた。


「生きるための手段です」


 その続きを促すべきか、アキノが悩んだことには気づいたが、気付かなかったことにした。


「だけどタキ先生が『見目麗しい』とか『若い女』なんて言うから。そんなことを言ってわたしを脅かしたくせに、自分だけ怖がるなんて卑怯です。この状況で、本来怖がるのはどちらだと思いますか? しかも、見た目がうつくしい少女でも、アキノ殿下のことは平気なのでしょう? それって単にタキ先生の気の持ちようですよね?」


 言われてるよ、と言いながらアキノがタキを肘でつついた。

 タキは呻きながらうなだれた。


「少なくとも『先生』という立場の大人が、わたしをどんな目で見ているかなんて知りたくなかったです。ご事情は知りませんけど、わたしの属性に対して勝手に怖がらないでください。迷惑です、そういうの」


 言い終えて、サトリはタキの頬に手を伸ばした。触れた瞬間、びくりと大きな身体が硬直したのが伝わってきた。

 本気で嫌がっている。

 さながら大嫌いな男に無体を働かれた乙女のように。

 本当に一瞬だけ「申し訳ない」という気持ちにはなったものの、それを上回る感情が募った。


「この館の人々は、わたしに王子になれなんて無茶苦茶言うんです。わたしも何か要求しなければ割に合わないと思いませんか」


 すでに衣食住は満たされている。「働け」ではなく「勉強しろ」という、破格の待遇まで受けている。

 だけどそれは「報酬」ではない。ここで王子のふりをするのがサトリの仕事ならば、「対価」を得ても良いのではないだろうか。

 その思いから切り出したが、果たしてアキノはすぐに瞳を輝かせた。


「もちろんだよ。ここを出て行く以外のことならなんでも言って」

「ありがとうございます。では手始めに」


 サトリの標的は、大人の見掛けをした怖がりの男にすでに定まっている。


「僕はアキノ殿下の身代わりが務まるように誠心誠意努力をします。『できない』を克服します。タキ先生も努力をしてみてください。そうだな……」


 女性の恋人を見つけてください。というのはこの雪深い館では無理な相談だった。出会いがない。絶対ない。これはさすがにどうしようもない。

 サトリしかいない。

 いないものは仕方ない。


「毎晩、寝る前に一時間僕と二人きりでお話しませんか。若い女性を克服してみてくださいよ。手始めに今晩は『怖い理由』についてお伺いします」

 

 タキが明らかに困惑した目で見ているが、黙殺する。


(孤児院で、共同生活をしていたって言ったでしょう、わたし)


 規模や構成は違えど、ここも共同生活の場だ。何かがわだかまっているなら、出来る限り早急に手を打ちたい。

 べつに、仲良くなりたいわけじゃない。ただ、不均衡やいびつさがあると気になる性分なのだ。


 一年間も一緒に暮らすのならさっさと解決してしまうに限る。

 その一心だった。

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