第4話 お菓子の家

 深い森の奥には魔女の住むお菓子の家があって、捕まえた子どもを太らせて食べようとするのだ。


(魔女は、お兄さんを食べようとする。檻の中に閉じ込めて、小間使いとした妹に食べ物を運ばせて。賢い二人は魔女が食べごろか確認しようとするたびに、スープの中にあった鳥の骨を目の悪い魔女に握らせて勘違いさせるのだ。まだこんなに痩せている、と)


 物語の中の魔女は目が悪くて騙されてしまうのだけど、この館の人々は特に騙されるつもりはないらしい。

 アキノはサトリの指をきゅっと掴んで「骨と皮」と眼光鋭く魔女のように呟いた。


「林檎のパイとタルトとムース。焼菓子もひととおり。ホットチョコレートもあるし、お茶が飲みたいなら僕がいれてあげる。君はもう少し食べるべきだ」

 湯気をたてる、ホットチョコレートなるものがなみなみ注がれた銀のゴブレットをアキノから差し出された。サトリは受け取ってはみたものの、しばしぼうっとしてしまった。

 暖かな食堂全体が、甘い匂いに満ちている。

 サトリが座らされているのは、暖炉に近いテーブルの角の席。身分の高い人の場所のように思われるのだが「身代わり王子様」はもう始まっているのかもしれない。


「タキ先生、今はこういうのが流行りなの?」

 外套を脱ぎ、どこかで身なりを整えてきたシュリが笑いながらサトリの左手側の席に腰を下ろした。

「ドはまり中。食糧庫が林檎だらけで。僕まで甘酸っぱくなりそう」

 言いながら、アキノは右手側の椅子をひいて座る。

(爪を白く彩色して、絵が描いてある……お花かな。青いバラ……? 綺麗)

 しぜんとアキノの手元に目を吸い寄せられてしまう。

 そんな自分には双方から視線が向けられていることに気付いて、サトリは居住まいを正した。


「タキ先生がドはまり中って、この林檎の焼菓子はあの方が作ってるんですか」

「そう。タキ先生は探求心の塊だから」

 ほっそりした指一本で自分の頬を支えるようにしつつ、小首を傾げたアキノが言う。

「前に、究極のオムレツに凝っていたときはこのテーブルの端から端までオムレツが並んでいたな。冷めてないのが食べたいなって思った」

 苦笑交じりに言い添えるシュリ。 

「あのときは正直、この男どれだけ鳥の恨みを買う気かと思ったね。鳥もびっくりだよ、卵があんな使われ方するなんて。申し訳なかったよ。その点、林檎はどれだけさばいてもこっち見てこないからいいね」

「お腹すいているからタルトからいこうかな」

 好きに話し続ける二人を見つめてから、サトリはそうっとゴブレットに口を付けた。


 脳髄まで突き抜けるような甘さと濃厚さと香り高さ。


 衝撃度が高すぎて、サトリはゴブレットをテーブルに置くと、片手でずずっと遠くに押しやった。

「なんですかこの……。魔女が鍋で千年煮詰めて作ったみたいな飲み物」

「別に蜥蜴の尻尾とかヒキガエルの干物は入ってないと思うけど。たぶん。それで味が良くなるなら入れちゃうのがタキ先生だから。でも味はいいでしょ?」

 どことなく視線をさまよわせがちなアキノの態度が気になる。

「味はいいですけど。何をどうしたらこういうものができるんですか」


 ばちっと暖炉の中で薪がはぜた。

 そちらに気を取られて顔を向けてから、アキノの方へと視線を戻すと、先程までいなかったはずの人物が忽然と姿を現していた。


「俺のホットチョコレートが飲めない、と?」

 初めて見たときのような眠そうな目ではない。氷点下の星空を思わせる、澄んで得体のしれない輝きを湛えた瞳がサトリを見ていた。

「飲めなくはないんですけど……。濃くて。喉が変になるかと思いました」

「それはまずいという意味か」


 サトリは腕を組んでしばし考え込んだ。


「美味しかったと思うんですけど、未知の味だったので。考えてみたら美味しいのかな? って」

「考えて、解釈しないとわからないということは、もしかしてまずいんじゃないか。現に飲みたく無さそうに遠ざけただろ」

「絶対いやなわけではないですけど、なじみのない味なんですよっ」

「『なじみ』なるほど。では聞くが君が食べたいものはなんだ。何なら食べられるんだ」

 肩幅広く、圧倒的高身長の男性からドスのきいた声で責められる、という。

 何か悪いことをしたのかなと思ったが、自分は事実を言っただけだし、怒りの焦点もよくわからない。

 ただ、聞かれたことには答えないといけないと思って、速やかに言った。


「じゃがいも」


 アキノが「あ」という形に口を開いていた。

(なにその反応……?)

 慌ててシュリを見ると「うーん」と言いながらひきつった笑みを浮かべている。

「え……?」

 自分はそこまで何かまずいことを言ったのだろうか。

 じゃがいもは厨房で下働きしていたときには、運ぶに重いし一つずつ皮をむくのも骨が折れたけど、こっそり少しだけ皮を厚めにむいてあとでスープにいれて食べたらじゅうぶんに美味しかったんだけど……!?


「じゃがいも。わかった。実にいい目の付け所だ。今後数百年に渡って、じゃがいもの研究だけで本を書き、大学で教えられる者が出て来るだろう。あれはそういう食べ物だ。……ふふっ。さすがだな。人間三、四回めともなると初手でそれだけのことが言えるのか」

「人間三、四回め……? 初手で……? ええ?」


 この人なんの話をしてます?


 アキノもシュリもそっぽを向いていた。助ける気がない……?

 ぶにゃあああんとどこかから野太い猫の声が聞こえた。

(トニさん……トニさんは!?) 

 溺れるものは猫にもすがるよ!? と思ったけど、猫はそもそも溺れているひとには近づかない。

 タキの足元にすりっと頬を寄せて喉を鳴らしている。

 明るいところで改めて見ると、輝くばかりの金茶色の毛玉だった。

 タキはその毛玉を愛おしそうに抱き上げてから、サトリに向かって宣言した。


「俺もじゃがいもには思うところがある。わかった。君の口に合う料理を考えてみよう。今はそこの菓子でもつまんで待っていてほしい。……林檎は?」

「あんまり食べたことないですけど、美味しいものという認識はあります。いただきます」

 

 心得たかのように、シュリがたっぷりと切り分けたパイを一切れ差し出してきた。もうこれは食べるしかないとサトリはフォークで艶のかかったパイ生地と林檎の甘煮を大きく切り分けて口に運ぶ。


「……美味しい」


 多少味の予想がついていたが、予想以上の美味しさだった。

 甘酸っぱくて、パイはぱりっとした食感がある。

「何これ、すごく美味しいです」

 タキは目元をほころばせて、口角をつりあげていた。


「人間の口に合うように改良を重ねている。待ってろ。じゃがいもも必ず人間用に美味しく食べられる料理を考案する」

「はい……」


 心境的には「はい……?」なのだが、左右のシュリとアキノから何か熱烈な視線を送られていたので、返事は必要最小限とした。

 タキは納得したようにトニさんを抱えたまま踵を返して去って行く。

 完全にドアの向こうに消えて、姿が見えなくなったところでサトリはアキノに尋ねてみることにした。


「タキ先生は、人間じゃないんですか?」

「人間に見えるし、人間だと思うけど、本人の体感的には『人間一回目』なんだって。前世で何かすごくいいことをして、かつ神様の気まぐれがあって今回は人間に生まれついただけで、人間としては初心者だから今回は人間に慣れるのを目標にしている、らしいよ」

 アキノが早口で言う。

 少し考えてみたが、何を言っているのかよくわからない。

 もう一度、言葉を変えて聞いてみようと思った。


 だが、「もういいから。食べてあげて。君が来ると思って先生頑張って作っていたんだから」とアキノに言われて聞きそびれた。


 王子様修行がはじまる様子はなく、その日はそのまま昼までのんびり暖炉にあたりながら食べて飲んだ。

 その間、タキは姿を見せることはなかった。

 どこかでじゃがいもについて考えているんだろう、というのが彼を知る二人の見解だった。


 

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