第3話 森の奥の館
馬車はいかにも鄙びた町にたどりつくと、目抜き通りというにはいささか店の少ない通りを過ぎて、さらに奥まった道へと入った。
鬱蒼としげった木々が両脇にがっちりと並んでいて、正面から馬車が来たらすれ違うのは困難だろうという細い道。
すっかり葉を落とした木もあるが、びっしりと針のような葉をめぐらせた常緑樹もある。
雪をかぶった高い梢の先には、鈍い光に満ちた薄い青空が見えていた。
(こんなところに王子様が住んでいるのか……)
第一王子のアキノ殿下。
サトリとシュリの会話はさほど弾まなかった。
シュリが次から次へと食べ物や飲み物を出してきたせいだった。しかも、毛布に巻かれているサトリを気にしてなんでも口に直に運ぼうとするので、さすがに途中で怒った。
「自分でできますし、どちらかといえば御者のあなたにわたしが食べさせるほうが自然では」
「いいの?」
「……良くないですね」
人懐っこい笑顔で声を上げて笑うシュリに、サトリは呆れていますと態度で示す。
そうこうしているうちに、馬車は目的地に着いた。
*
森の中に忽然と現れたのは、三階建ての大きな館だった。
積み上げられたレンガの壁には、枯れた蔦草が巻き付いている。春になったら緑の芽を吹き返すのだろうか。
煙突を何か所も備えた屋根は落雪を促すように急勾配で、ところどころに小さな三角屋根のついた出窓がある。屋根裏部屋もあるかもしれない。
正面には大きな窓がたくさん並んでいる。
いずれもガラスに格子が張り巡らされているうえに、一階部分は目隠しのレースが渡してあるので中の様子はよくわからない。
重厚な木材で作られた大きな玄関扉は、明度の高い空色が塗られていた。
「馬が凍えてしまうので、オレはちょっといなくなるけど。トニさんと先に中に入ってて」
シュリはサトリが御者台から下りるのに手を貸そうとしたが、さっさと飛び降りた。身軽さには多少の自信はある。しかし力の方はそこまでではなく……。
何気なく渡されたトニさんは重かった。
本人(猫)も心得ているらしく、じたばたすることはなかったが、取り落とさないように、かつ苦しめないように抱きかかえてドアの前の石段をなんとかのぼる。雪で滑りやすくなっていると警戒しながらだったが、誰かが雪を払った後らしく、きれいに石がむき出しになっていた。
(ドアどうやって開けよう)
だしぬけに、中からドアが開かれた。
鼻先を掠められ、避けようとしてバランスを崩す。
その次の瞬間、思い切り強く腕をひかれていた。
「トニさん……!!」
落としちゃう!!
図体が大きくても、猫。
軽やかな動作で着地したトニさんは、ドアの前に立つ人物の足にからだをこすりつけてから中へと入っていった。
止まったかと思った心臓が動き出し、サトリは大きく息を吐き出す。
「良かった」
呟いてから、いまだに腕を掴んだままの人物に目を向けた。
やわらかそうな黒髪に、派手さのない端正な顔立ち。眠そうなぼうっとした眼差し。
「おはよう、ございます……?」
どこを見ているのかよくわからないので、目が合っているかも定かではないが、サトリは恐る恐る挨拶をした。
「王子の身代わりか。遠くまでご苦労様。中に温かい食べ物があるから食べるように。痩せすぎだね」
ほとんど抑揚らしい抑揚のない低い声で言うと、掴んでいた手を放す。自分の身体をドア枠に押し付けるようにして、道を開けた。
招かれているし、ドアをあけ放ったままだと寒いので、サトリは遠慮せずに中に入ることにした。横に並んだ瞬間、彼がとても背が高いことに気付いた。あまり威圧感がないせいか、近づくまでわからなかったのだ。
足を踏み入れた玄関ホールは広々とした贅沢な造りをしていた。
正面には深緑の絨毯の敷かれた長い階段があって、上の方で左右に展開しているのが見えた。
その長い階段を、白っぽい外套に身を包み、白い帽子から金髪をこぼした女の子が駆け下りてきた。
「いらっしゃーい」
外見から予想をしなかったような低い声。まるで少年。
近づいてくると、実際にものすごい美少女であるのがよくわかる。周りの空気まで澄み渡らせる清涼感に満ちた、研ぎ澄まされた美貌。青い瞳が親し気な笑みを湛えている。
目の前で立ち止まる。少しだけ見上げる背の高さだった。
「アキノだよ。君の名前は?」
アキノ。王子と同じ名前。
「サトリです」
「なるほどなるほど。それじゃあ、今日からよろしくね! 男装も慣れれば悪くないんじゃないかな。君は僕に似ていると選ばれただけあって、基本はできあがってる。土台は悪くない。少し背が高くみえるブーツでもはけば、麗しの王子といって問題ない」
僕に似ているって言った。
この美少女、アキノ殿下本人だ。
どこからどう見ても綺麗な女の子なのだけど。
「王子は女の子でしたか?」
他に聞きようがなく、偉い相手への口の利き方もよくわからずに、サトリはそう尋ねた。
「男子だよ。女の子の場合は姫って呼ばれる」
「女性に見えます」
「こういう服好きなんだよね。似合うし」
「確かに似合っていますね」
特に否定することもなく素直に言うと、アキノはわずかに眉をひそめた。
「君も着る?」
「わたしが? まさか! そんな綺麗な格好、わたしには……」
贅沢過ぎますと言ったら、嫌味だろうか。
悩んで濁してしまったら、アキノは小さく溜息をついた。
「似合うと思うよ。でもごめんね。僕はこういう服装がいいんだ。そして、僕が女物を着ている間、君は男物の服を着ることになる。というのも、世継ぎの王子としてこの趣味はどうなのって言われていて……。王宮では許されないから。今は一年間だけ時間をもらって、ここで好きにさせてもらっている。ただ、この館に住んでいるのは美少女だけで、王子らしき人はいないって噂になると困ると父上が。それで、僕に似ている君が選ばれた。君は男の恰好をして、ここに王子がいるとみんなに印象付ける行動をとってほしいんだ」
王子のふりをしてほしい。
シュリが言いづらそうにしていた内容が、本人に説明されてよくわかった。
女の子にしか見えない王子様の身代わりとなる。
(このお仕事が終わったら、わたしどうなるんだろう。こんな秘密を知ってしまったら、口封じのために殺されちゃうのかな)
そんな考えがよぎった。
でも。
心配する家族は誰もいないし、衣食住は保障すると言われているし。
シュリには道中たくさん食べ物もらってしまったし。美味しかったし。
「わかりました。具体的には何をすればいいんですか」
問いかけると、アキノの顔がぱああっと華やいだ。
そのままの勢いで、抱き着いてくる。
女の子に抱き着かれたと頭は錯覚したけど、見た目とは違い、アキノの身体は固く骨ばっていて力も強く、まぎれもなく少年なのだと思った。
けれど、ぎゅっと抱きしめてから身体を離し、サトリの肩に手を置いて顔をのぞきこんできたのは、どこからどうみても匂いたつような美少女。
甘く爽やかな香りをまとっていて、夢のように綺麗。
「ありがとう。君はね、僕の学友。つまり、この女装姿の僕がね、王子アキノが別邸に連れ込んだ学友というか恋人的立ち位置なんだけど」
かわいらしい薄紅色の唇からもれた恋人という言葉にサトリが固まっているのにも構わずに、アキノは嬉々として続けた。
「要するに、君は王子らしく勉強や武術にはげみながら、僕と楽しそうにしていてくれればいいんだ。あ、とはいえ僕も勉強しないわけにはいかないから、君と一緒に学ぶことになる」
「わたしに、王子様と机を並べられるような学力があるとは思えないんですが。わたしの勉強はふりだけではいけませんか?」
自分は王子ではないし、本人にやる気がある以上、王子の勉強の邪魔をしてはいけない。
そのつもりで言ったのに。
「だめです」
厳粛な低音が明確に言い切る。
今の今まで存在を忘れていた、黒髪の背の高い男だった。
目を向けると、男はトニさんを軽々と腕に抱えて立っていた。
「タキ先生。王立の学院を最年少飛び級で首席で卒業して、他国にも遊学に出てひくてあまたの……。とにかく、ああ見えて優秀で、容赦ない。僕たちの家庭教師だよ」
アキノが素早く耳打ちをしてくれる。
ああ見えてがどういう意味かは、サトリにもなんとなくわかった。
大きな猫を抱えてぼーっと撫でている彼は、とにかく、ひたすら眠そうな目をしていた。
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