第2話 雪の街へ
気が付いたら、何か重いものが身体にのしかかっていた。
重いんだけど温かいし、明らかに生き物っぽい柔らかさも感じる。
押しのけるに押しのけられない。
(なんなんだろう、これ……)
目を開けないまま、手で探ってみる。
ぶにゃあああ。
かなり野太いだみ声。聞きようによっては、猫っぽい。
猫なのか。
肩から腰くらいまでの広い面積に、のしっと乗られているけど……。
(猫ってそんなに大きかったっけ?)
厨房の裏手で、下働きの者たちでこっそり飼っている猫はもっとこう、腕に抱えられるくらいの大きさで。
サトリは、そうっと目を開く。
自分の上に、温かい毛布が山のように積まれているのが見えた。
そして、先程から温もりを感じていた左半身。
毛布をよけながら見てみると、ものすごい毛玉がぴったりと身体に張り付いていた。
「なんかいる……」
長毛種だ。それなりに手入れはされていそうで、毛がくるまったりくしゃくしゃになったりはしていない。ただもう、それは見事な……見事な毛玉。
相変わらずガタガタとした振動は伝わってきている。狭い馬車の中にいるようだ。貴人が乗るようなものではなく、荷物を運搬するための、幌のかかった実用重視のもの。
前方、御者がいるであろう方に目を向ける。
ツン、とした冷気が肌や鼻を刺した。
吐き出した息が白い。
毛玉がもにゃもにゃと鳴いた。まだ寝ていろと言われた気がしたが、現状を確かめる必然性を感じたので、思い切って声を出した。
「あのー」
自分でもびっくりするほど、声が出なかった。喉がすかすかと鳴る。
当然、聞こえたとも思われないのだが、ガタンと音がして馬車が止まった。
猫らしき巨大な毛玉をそうっとおしのけて、サトリは毛布の下から抜け出す。絨毯の敷かれた底板の上を這うように進んだ。立ち上がって、いきなり動いたら困るので、慎重に。
幌から顔をわずかに出すと、外は思った以上にまばゆく光り輝いていた。
陽光を受けて、どこもかしこもきらきらと弾けるように明るく見せているのは、一面に降り積もった真っ白な雪。
(寒いはずだ)
「おお、起きたのか。もう少しで着くからな」
馬車の横から、耳に響く厚みのある美声が聞こえた。
(この声。誘拐犯)
ぐっと御者台に足をかけて、長身の男が乗り込んでくる。
目を引く赤毛に、粗削りながら男っぽく整った顔立ち。炯々と光る青い瞳と、くっきりと笑みを形作る大きな口のせいでとにかく表情の印象が明るい。
サトリは無言のまま、まじまじと見つめてしまった。
人攫い騎士は、何がおかしかったのかぶはっと遠慮なく噴き出した。
「寒いでしょ。寝てていいから。起きるとお腹すくし。ほらトニさんで暖とって」
「トニさんというのはあちらの猫……? 子牛みたいな大きさの」
「猫だよ」
言い切られた。
(そうだ、この人強引なんだった)
「いろいろ聞きたいんですけど、答えて頂けるんでしょうか」
「いいよ、毛布できるだけ持って隣においで」
却下されるつもりで聞いたので、意外な返答だった。奥に戻って、毛布を腕の上に積み上げているとトニさんに眠そうな目で見られた。
「君は本当に、猫?」
ぶにゃあ。
「トニさんの分の毛布は残してあげてね。そのひと毛玉だけど寒がりだから」
御者席から声をかけられて、「はい」と返事をする。言われなくてもそのつもりだったけど。何せさっきからトニさんにすごく見られているし。
羊毛のチクチクするような毛布を何枚も持って御者席に戻ると、隣に場所をあけて騎士が待っていた。
「一枚敷いて座って」
言われた通りにする。
座った途端に、手際よく身体に毛布を巻き付けられていく。作業が終わった頃には露出している頬や鼻の先以外、ほとんど冷気を感じなくなっていた。
「俺の名前はシュリ。今は陛下の密命を受けて君をこの先のトーラの町へと運ぶところ。君にはそこで暮らしてもらうことになる」
「陛下って、王様ですか」
「そうそう。たまたま君を見かけて『イイね』って。ああ、この仕事に関しては秘密厳守。衣食住に不自由はないけど、移動の自由はあまりないと思ってくれ。君の場合は、連絡を取るご家族もいないみたいだけど。もし何かあれば館にいる人にその都度相談して。必要なものとか、欲しいものとか」
……なんの話をしているのか全然わからない。
それ以外の感想は浮かばずに、サトリは目の前の雪原を見た。
「ずいぶん降りましたね」
「山に近いからね。王宮の方はどうだろう。昨日のあの寒さなら少しは降ったかな」
「移動の自由がないということは、わたしは王宮にはもう戻れないんですか」
「そうだね。お勤めが終わるまで。もしかしたら終わってからも」
少しだけためらいがちに言われて、サトリはふふっと笑みをこぼした。
(正直な人だな)
「言っていいんですか、それ」
シュリは手綱を握りながら、すっとサトリに視線を流す。
「言わないと納得しないだろうなと思って。言っても納得しないだろうけど」
「仕事の中身を聞いてませんので」
「なるほど」
ガタガタゴトゴトという音がしばし続いた。
手綱を片手に持ち替えたシュリは、外套の合わせ目に手を突っ込んでごそごそとしていたが、包みを取り出して膝に置いた。器用に片手で開くと、出て来た焼き菓子をつまんでサトリの口元に運び、唇の上に乗せた。
「毛布巻き過ぎて手使えないでしょ。落とさないようにゆっくり食べて」
いらないと言おうにも、口を開いたところでさっと中に突っ込まれて拒否は許されなかった。
それほど大きくなかったので、口だけでもなんとか食べられた。蜂蜜の甘みとバターのコクのある、ほろりとした食感のクッキー。
しゃべることはまったくできなかった。
その間に、自分もぱくっとクッキーを口に放り込んでからシュリが言った。
「王子のふりをして欲しいんだ。金髪に青い瞳、君は王子に似ている。今は十五歳だっけ。その薄い身体だったら男のふりも不可能じゃないのかな……って思ったけど。向こうについたらその辺はあんまり気にしないできちんと食事はとりなさい。そんなに痩せていたら月の物も止まってるんじゃないの」
かろうじてビスケットを飲み込んだ後だったので、むせても口から吹きこぼしたりすることはなかった。
ひとしきり咳込んでしまった。シュリが毛布越しに背をさすってくれた。
「わたしが王子ですか」
「そう。館で男装して生活をして、王子がそこにいるふりをして欲しい」
「本物の王子さまはどこに?」
(聞いてはいけないことだろうか)
尋ねてから不安になったが、シュリはあっさりと答えた。
「館にいるよ。元気で暮らしている」
「それでは、わたしが王子のふりをする意味はないのでは?」
そうだねえ。と、シュリはため息交じりに応えた。
肯定というよりも、深い諦念のような響きだった。
ややして、ぽつりと付け加えた。
「会えばわかる。とりあえず、君に危害を加える者はいないし、可能な限り快適に暮らしてもらう手筈は整っているから、そこは安心してほしい。あとのことは、着いてから実際に自分で状況を確かめてみた方がいいかな。その方が、納得しやすいはず」
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