第5話 衣装合わせ

「そこまで痩せていると、僕の手持ちの服が着られないかもしれないんだ。王子が丈の合わない服を着ているなんておかしいから、新しく仕立てても良いんだけど……」

 長い食事とお茶の後。

 タキはあれ以来姿を見せず、シュリは用事があると言って出て行った。

 アキノはどこかから厚みのあるオーバーコートを持って来て、サトリに着るように促しながら言った。

「これも少し大きいかな。僕に合わせて仕立てているから」


(手触りがいいなぁ……。何かすごく上等なものなんだろうな)

 受け取ってはみたものの、本当に着ていいのだろうかと躊躇していると、サトリの手からアキノがさっとコートを取り上げてしまう。

 そのまま、背後にまわりこんで肩からかぶせてきた。


「この館、人が少ないから普段は一階のこの辺しか火を入れてないんだ。勿体ないし、火事も怖い。移動するには外に出る程度の装備じゃないと。寒いし広いから、遭難して凍死する。冗談は言ってないよ」

「それだと、使っていない部屋に外から入ってきた誰かが勝手に暮らしていても、わからないのでは」

「そうなんだよ。一応三日に一回くらいは全館見回りもしてる。とはいえ、屋内でも危険性はそれなりにあるから、一人で探検しない方がいいよ。どこか行きたいなら僕に声をかけて」


 白の外套に白の羽のような帽子をかぶったアキノは、見た目は可憐な乙女ながら言うことは妙に頼もしい。口調も男性的であり、動作も機敏で溌剌としている。姫君らしさを思わせる要素はあまりない。


「殿下はなぜ女性の服を着るんですか?」

「はじまりは誰かの悪戯かな。王子にはドレスも似合いそう、って。それで着せてみたら実際に似合ってしまった。僕もそう気付いてしまって、進んで着るようになった。だけどある時突然『何をしているんだ。だめに決まってるだろう』って父上が。だめに決まってるって……、意味わかる? だって男物も女物も、布やボタンの集まりだし、もとをただせば同じ糸や金属だ。暖を取るとか肌を隠すとか目的に応じて加工されているけど、原材料は同じなんだよ。たしかに、サイズの合わない服は着られない。子ども服は子どものものだ。でも、着られる服を着ることが、『だめに決まってる』ってのはどうにも納得がいかない。そう、だから僕は納得する為に着ている」

「なるほど」

 ひとまず相槌を打ちながらコートに袖を通した。肩回りなどに、きちんと仕立てられたものの心地よさを感じるが、全体的に余り気味。


「皆さんが、食べろ食べろというのがわかったかもしれません……」

 誰かに見られたら、あんな痩せて貧相なのが王子様なのか、と言われそうな気がしなくもない。

「寒いしね。生命を維持をするためにも食事は大切だ。夜は本当に冷え込むよ。君さえ良ければ僕が一緒に寝てあげてもいい。くっついて寝るとあったかいよ」

 くすくすと笑いながらアキノがそんなことを言う。

「人と寝たことがないのでよくわかりません。当面は一人で大丈夫です」

 よほど寒ければ、その時改めてお願いすればいいのだろうか。

 果たしてサトリの疑問は伝わったのか否か。


「なるほど」


 アキノは真面目くさった顔で頷いた。

 ものすごく神妙な表情をしているように見えたのに、瞳はきらきらと悪戯っぽく輝いていて、サトリは少しだけ見とれてしまった。


(わたし、お勤めが終わったらきっと殺されるよね。この館に異様にひとが少ないのも、たぶん秘密保持の為だろうし。あんまり現世が楽しく感じられるようなことからは距離をおかないと)


 たとえばたった今目を奪われてしまった、綺麗なアキノの瞳など、その最たるもののように思われた。


          *


 普段は全然使っていない、という王子の私室の暖炉には、この日すでに薪がくべられ部屋は暖められていた。

 両腕に衣装の類を抱えてきたアキノはばさっと寝台に置き、シャツを一枚差し出してきた。


「早速、衣装合わせをしてみよう。今着ているのは全部脱いで。男物の着付けももちろんできるから」

 自信満々に言い切られる。

 サトリは寝台の横に置かれた衝立の影でオーバーコートを脱ぎ、その下に着ていた粗末なドレスも脱いでシャツを手に掴んだ。

 とろけるような指ざわりで(高そうだな)と躊躇はしたが、思い切って下着の上から身に着け、ボタンをはめてみる。

「殿下、大きいです」

「見せてごらん」

「見せ」

 断る隙もなかった。

 するりと衝立を回り込んできたアキノは、シャツ一枚のサトリの全身を頭から裸足のつま先までくまなく観察した。

 シャツの丈はシャツとしては長すぎたが、スカートとして考えると短すぎる。なんとか裾を引っ張るように手でおさえながら「殿下あの」とサトリは小声で抗議した。


「袖もぶかぶかだし……うーん。とりあえず小物で調節しよう。ただ、急いで新しく仕立てた方が良さそうだね。あまりにもサイズが合ってないと君の身体の細さが際立ってしまう」

 抗議をものともせずに、アキノはサトリの戸惑いを気にしないで、そのまま着付けを手伝いはじめた。


 サイズが合わないなりに、シャツやズボンはベルトやサスペンダーで調整して、ウエストコートを着て首回りには立ち襟をつける。

 サトリの金髪を丁寧に撫でつけて襟足の後ろで軽く一本に結ぶと、姿見には痩せて目の大きな少年が姿を現していた。


「しばらくはこんな感じ。着付けを覚えるまでは僕が手伝う」

「殿下が?」


 すでに手伝われてしまった後ながら、ほんの少しだけ非難がましく言うと、アキノは敏感に察したようだった。

 にっこりと笑って噛んで含めるように言う。

「僕は実際、女の子の下着を見ても気にしないと思うんだけど、君が気にするならさっさと覚えた方がいいと思うよ。慣れれば難しくないから」


 意外にぴしりと厳しい口調で、サトリは妙に安心した。

 この館に連れてこられて、よくわからないものに巻き込まれていた感じが薄れて、自分が何をすればいいのかようやく見えた気がした。


(王子様のふりをする。やってみよう)


 姿見の中の少年はまだ全然頼りなく、アキノには似ても似てつかない。それではいけないのだ。

 この自信に満ち溢れたうつくしい少女のような王子に、一刻も早くならなければならない。


 少なくともこの館を今すぐ逃げ出すのは現実的ではない。いくらも進まないうちに雪道で行き倒れて死ぬだけだ。

 とりあえず、春まではこの館でなんとかやっていこう。そう、決めた。

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