第5話 魔法少女の武器

 鏡に映った自分の姿に衝撃を受けた。


 いつもと同じ三つ編み輪っかが、両耳の下でくるんと揺れている。

 親戚のおじちゃんやおばちゃんたちには可愛いと言ってもらえるけれど、美少女かと言われると首を傾げざるを得ない顔立ち。

 つまりは平凡にして平均点。

 いつも通りの比奈鳥ナズナが、そこには映っていた。

 違うのは、ブレザーの色だけだ。


「び、美少女に変身してない!?」


 呆然と、鏡の中の自分と見つめあう。

 謎の女性の声に導かれるまま呪文を唱え、魔法少女に変身したナズナが最初にしたことは。

 下駄箱から最も近いトイレへと向かい、鏡を覗き込むことだった。


「そんな、どうして? 魔法少女に変身したら、美少女になれると思っていたのに!」


 どうして、そんなことを思ったのかと言えば。


 二年生の教室にも、三年生の教室にも、魔法少女と思しき美少女はいなかったからだ。

 美少女はいた。

 何人か、おおーと思う美少女はいた。

 だが、それはナズナの知る“魔法少女”ではなかった。


 ――――ただの美少女だ。


 綺麗で可愛い少女は何人か見かけた。けれど、白いブレザーを着て放課後の校内をパトロールしていた美少女たちの姿は、どこにも見当たらなかった。

 もしかしたら、変装しているのでは?――――とも思ったのだが、リーダーのカトレアの神々しさは変装した程度で隠せるとも思えない。眼鏡をしたり、髪型を変えたりしたところで、あの女神オーラは勝手に滲み出てしまうはずだ。

 それに、ユリハナ。

 リリアナ女子中等学園に、赤毛の少女は見当たらなかった。先生に聞いても、今はそんな生徒はいないと言う。


 とうことは、つまり。

 変身したら、容姿も変わるのではないかと思ったのだ。

 ただの少女から、美少女へと。

 それならば、あんなに普通に素顔を晒しているのに、魔法少女の正体が不明なことにも説明がつく。

 ユリハナも、普段は黒とか茶とかよく見かける髪色で、変身した時だけ赤髪になるののだ。


 ――――と、思ったのに。

 

 一体、どういうことなんだろう。これは?

 どんなに目を凝らしても、鏡の中の現実は変わらない。


「いや。落ち込んでる場合じゃない! そうだよ、あたしは別に美少女になるために魔法少女になったわけじゃないんだから! そう、すべてはユリハナさんのため! そう、そうだよ。そりゃ、美少女にはなってみたかったけれど、それはあくまでおまけであって! そう…………おまけ! そっちはおまけなの!」

 叶わなかった小さな望みを振り払うように大きく頭を振って、ナズナは自分に気合を入れ直す。

 だが。

 本題はそれではないと言いつつも、心の奥底で、放課後限定とはいえ美少女になれることをほんのちょっぴり期待していたナズナは、ため息をついて、頭をフラフラ揺らしながら鏡の前を離れる。

 これ以上、いつもと変わり映えしない自分の顔を見ていても仕方がなかったからだ。

「はぁ……。せめて、他にも普通の子がいてくれたらな……。はっ、どうしよう!? もしかして、あたしがリリ女史上初めての美少女じゃない魔法少女だとしたら!? リ、リリ女の歴史に名を残してしまうかもしれない…………。う、うぅ。そんなの、イヤだ」

 ユリハナのことはもちろん大事だが、これはこれで、中一の女子にとってはとても大事な問題だった。

 ぶつぶつ言いながら、トイレから出るためにドアを開ける。

 美少女問題について考えていたナズナは。

 ドアの向こうの眩いばかりの光景に、思わず叫んでいた。


「少女でごめんなさい!?」


 開けたドアの先では、カトレア率いる魔法美少女軍団が、きょとんとした顔でナズナを見つめていた。

 タイミング悪く、ちょうど魔法少女たちがパトロールのために通りすがったところへ出くわしてしまったのだと思った。

 けれど、どうやらそうではなかったようだ。

 出てくるなり突然叫んだナズナを不思議そうに見つめた後、カトレアは何事もなかったかのように微笑んで、こう言ったのだ。

「ようこそ。わたくしたちは、新しい花の誕生を歓迎します」

「おう。よろしくな」

 カトレアに続いて、南国系魔法少女のサルビアがニカッと笑った。

 偶々通りすがったのではなく、新しく魔法少女となったナズナを歓迎しに出向いてくれた……ように感じられた。

 が、ナズナにはそれよりも大事なことがあった。


 ――――なかったことにされた。


 美少女ではないのに魔法少女になってしまったことに罪悪感を感じての突発謝罪は、なかったことにされたようだ。すべてを察して気を遣ってそうしてくれたわけではなく、なんだか分からないから流しておきましょ……的な雰囲気が感じ取れた。

 ナズナにとっては、大変に好都合だった。

 あなたなんて魔法少女に相応しくないわ、と言われても困るけれども、大丈夫だと励まされたり同情されたりするのも居たたまれない。出来れば、そのまま速やかに記憶から削除して欲しいくらいなのだ。

 だから、どうしてここで新たな魔法少女が生まれたことを知っているのかとか、そんな諸々な疑問は、そもそもナズナの脳裏に生まれることすらなかった。

 ナズナは、自分の黒歴史を流すために、カトレアたちの流れにのることにした。

 トイレのドアを開けたまま立ち尽くしていたナズナは、とりあえずトレイから出て、それから。

「よ、よろしくお願います」

 礼儀正しく頭を下げて挨拶をした。


 その後は、自己紹介タイムが始まった。

 カトレアたちの名前はすでに知っているけれど、ナズナは余計なことは言わなかった。

 新入生みんなへの自己紹介と、ナズナ個人への自己紹介とでは意味合いが違う。

 これは、魔法少女同志よろしくしましょうねのご挨拶を兼ねた自己紹介なのだ。 

「では、改めまして。わたくしは魔法少女・聖なる花のリーダー、カトレアです。分からないことがあったら、何でも聞いてくださいね」

 まずは、リーダーのカトレア。長く伸ばした前髪を額の中央で左右に流しているセミロングの少女だ。いつも、女神のような微笑みを浮かべている、神々しいまでの美少女だ。街を歩けば、男子たちが目を奪われるだけでなく、お年寄りまでが手を合わせて拝み出しそうな神々しさだった。

「キキョウです。よろしく」

 癖のない艶々とした黒髪を腰のあたりまで長く伸ばしているのがキキョウ。背筋がピシリと伸びた、気真面目そうな美少女だ。

 昨日の放課後、ナズナがカトレアに食って掛かった時には、冷たい眼差しで睨み付けてきていたのに、今は全くそんなそぶりは見せない。昨日のことがなかったみたいに、ナズナのことを心から歓迎してくれている……ように見えた。

「私はスズランです。よろしくね。あ、それから、何か聞きたいことがあった場合は、私かキキョウに聞いてくださいね。他の三人は、悪気があるわけではないのですが、少々悪ふざけをしがちと言いますか……」

「は、はぁ…………」

 口元に手を当てて言葉尻を濁らせたスズランを、問題の三人が何か言いたそうに見つめているが、スズランは素知らぬ顔で立っている。

 細くて柔らかそうな髪が、内側にくるんとカールしているショートボブ。小柄なのも相まって、可憐で儚げに見えるのだが、その内面は決して大人しいだけではないようだった。

「言いたいことはあるが、まあ、いいや。オレはサルビア。よろしくな。あと、大事なことだから言っておく。オレたちの正式名称は、聖なる花じゃなくて、リリアナ研究クラブだから! そこのところ、よろしく!」

 小麦色の肌。スラリとした手足。ショートカットの南国系美少女が、太陽みたいに笑いかけてきた。

 視界の端に口をパクパクしているカトレアが見えたが、なるべくそちらは見ないようにした。黙っていれば神々しいのに、こういうところは親しみがもてるかも、とナズナはこっそり思った。

「サルビアたちと同列に扱われるなんて心外だけど、今は置いておきましょう。私はスイレン。よろしくね~」

 さりげなくサルビアから距離を取りつつ、ナズナにひらひらと手を振りながら微笑みかけてくるのはスイレン。毛先の方に少し癖のあるセミロングの少女だ。サイドの毛だけを耳の上で小さくお団子にしている。

 ナズナを見つめる瞳には、いたずらっぽい光が宿っていた。

 たぶん、スズランの言うことが正しいのだろう。

「あ、あの! ヒナ、ヒナゲシ、です。よろしくお願いします」

 みんなに見つめられて、ナズナはぴょこんと頭を下げた。

「ヒナゲシ……ポピーのことだよね。花言葉は何だったかな…………?」

 スイレンが顎に人差し指を当てて、斜め上に視線を泳がせた。

 ヒナゲシと言われてもピンと来なかったナズナだが、ポピーと言われれば、何となく思い当たる花がある。赤とか白の、可愛い感じの花……だったような気がした。


 自己紹介が終わると、カトレアはパトロールの続きがあるからと言って、キキョウとスズランを連れて去っていった。

 残ったサルビアとスイレンに、ナズナの面倒を見るようにと頼んで。

 キキョウとスズランが心配そうに何度も振り返っていたのが気になったけれど、それよりも。


(ユリハナさんと二人でヘビと戦うはずだったのに。カトレアさんたちとは、昨日の放課後、なんか気まずい感じになっちゃってたのに。なんで、こんなことになっちゃってるんだろう?)


 気がついたら、カトレアたちの仲間に加えられてしまったようだった。

 本音を言えば、ユリハナのことを探しに行きたいナズナだったが、こうもフレンドリーにされてしまうと、何だか断りづらい。

 それに。一度、誰かに会ってしまうと、もう一度放課後の学園で一人になるのが、怖かった。

 魔法少女になったとはいえ、どうやってヘビと戦えばいいのかよく分かっていなかった。そもそも、ユリハナが広い学園のどこにいるのかも知らないのだ。

 最初から一人だったなら、なけなしの勇気を奮い立たせて……というよりも、一人だからこそ心細くて、とにかくユリハナを探そうと闇雲に学園内を歩き回ったかもしれない。

 だけど。こうして頼りになるベテラン魔法少女たちにこうもフレンドリーに迎え入れられては、それを断ってまで、一人きりで危険な放課後の学園内を彷徨い歩く気にはなれない。


(……………………ま、まあ、今のままじゃ、足手まといになるかもだし。せっかく、いろいろ教えてくれるって言ってるんだから、まずは一人前の魔法少女になるのが先だよね。うん!)


 怖気づいていることからは目を逸らし、ナズナは「こっちの方が近道なのだ」と自分に言い聞かせた。

 自分を納得させるのは、割と得意な方なのだ。

 カトレア率いる魔法少女たちがユリハナと敵対していることは、都合よく忘れた。


 ――――新米魔法少女のナズナには、まだまだ一人ぼっちは荷が重かったのだ。


 ナズナは、当然のように先輩風を吹かせてくるベテラン魔法少女たちの教えを素直に受け入れることにした。 

 まずは、武器の扱い方を学ぶことになった。

 いずれ、独り立ちしてユリハナを探すつもりなら、一人で戦えるようにならなくては!――とナズナは気合を入れたが、その目的を、親切に魔法少女のノウハウを教えてくれる二人には伝えなかった。

 それを告げたことで、和やかな雰囲気がギスギスしたものに変わることを無意識に恐れた。

 誤魔化しをしている認識も覚悟もないままに、ナズナは、自分の一番大事な願いを隠すことを意識しないままに選択した。


 ともあれ、魔法少女初心者向け講習会はスタートした。


「これが、オレたちの武器だ」

 言うなり、サルビアは流れるような仕草で、スカートの下から白銀の銃を取り出した。

 お淑やかとは言い難いが、ガサツでもない。手慣れていた。

 取り出された白銀は、ユリハナが手にしていたものと、まったく同じ白銀に見えた。

 そして、ナズナはここでようやく自分の右の太ももにも何かが装着されていることに気づいた。

 ナズナは、恐る恐るスカートをまくりあげた。

 スカートの裾から、白い革製のホルスターが焦らすように姿を現していく。

 ごくり、と唾を飲み込んで、ホルスターに収められている白銀の中へ手を伸ばす。


(これが、魔法少女の、武……器…………ひっ!)


 ホルスターから銃を取り出す際に、白い布地の向こうにピンクの水玉がチラリと見えて、ナズナは銃を手にしたまま硬直した。

 魔法少女の制服は、スカート丈が短い。

 リリ女本来の制服よりも、短い。

 ナズナはその事実を、改めて認識した。

 膝上10センチ。

 ミニスカートだ。

 ナズナだけがミニスカートなのではない。

 カトレアたちも、ユリハナも、そう言えばミニスカートだった、とナズナは改めて思い出していた。

 新入生歓迎オリエンテーションの時には、ステージの上に並んでいるところを見ていたわけだし、もちろんそのことには気づいていた。

 だが、違うのだ。

 他人が穿いているところをただ見ているだけなのと、自分が穿くのでは、全然話が別なのだ。

 主に足の太さとかの問題で。

 だって、太ももに装着した銃で戦うということは、つまり……。

 悪魔の使いであるヘビと戦うためには、一瞬とはいえスカートをめくらなければならないということだ。

 いや、問題なのは太ももだけではない。

 それよりも、むしろ……。


(れ、練習の時は、気を付ければ大丈夫だと思うんだけど。いざ、ヘビと戦うとなったら、焦って取り出そうとして、たぶん絶対、パンツが見えちゃう、ような…………)


 初めて手にしたはずなのに、なぜかしっくりと馴染む大きさと重さの銃を見つめながら、ナズナはぐるぐるとパンツのことを考えていた。


(これからは、毎日、見られてもいいパンツにしないといけないよね? でもでも、あんまり大人っぽいのは、学校には穿いてきたらいけないよね? 他のみんなは、どんなパンツ穿いてるんだろう。聞きたいけど、いきなりこんなこと聞くわけにもいかないし……)


 いくら女の子同士とは言え、見られたくないパンツというものがある。

 お気に入りすぎて捨てられない、ちょっとだけほつれたパンツとか。

 中学生にしては、ちょっと子供っぽいかな、なパンツとか。

 あの子、中学生にもなってあんなパンツ履いているんだとか思われたら、恥ずかしすぎる。

 男の子に見られてしまうのとは違う種類の恥ずかしさというものがあるのだ。

 パンツ問題についてグルグルと考えていたら、心配したサルビアが声をかけてくれた。

「おーい、大丈夫かー? まあ、行き成り銃なんてビビるよなー? 男子なら喜ぶのかもしれないけどさ」

「そんなに怖がらないくても大丈夫。これは、本物の銃とは違うから。えーと、魔法の銃? マジカル・スティックの代わりみたいなものだから」

「オレは、マジカル・スティックとかふわっとした感じの武器よりも、銃の方が分かりやすくていいけどな」

「うん。サルビアはちょっと、黙ってて」

 銃を手にしたまま固まってしまったナズナを心配して、サルビアとスイレンの二人が、ナズナの両脇から話しかけてくる。

「は、はい。いえ、あの、大丈夫です」

 まさか、パンツのことを考えていたとも言えず、ナズナは焦って答える。

「お、よかった。戻ってきたな」

「えーと、話、続けても大丈夫そうかな?」

「は、はい! お願いします!」

 銃を握りしめたまま、ナズナはぴょこんと頭を下げた。

 パンツのことで頭がいっぱいになってしまったナズナのことを、幸いにもサルビアとスイレンは初めて手にした銃の感触に戸惑っているのだと勘違いしてくれたようだった。

「ま、オレたちが、ちゃーんと教えてやるからな。安心しな」

「そうそう。ゆっくりでいいんだから。偉そうに先輩風吹かせてるそこのサルビアも、使いこなせるようになるまでには一か月近くかかったんだよ! だから、大丈夫! 最初から上手くやろうとか、焦らなくていいからね! 何事も慣れだよ、慣れ!」

 勘違いは、まだ続行中のようだった。

 偉そうに腕組みをして仁王立つサルビアと、そんなサルビアを肘で小突いてから、胸の前できゅっと両手を握りしめ、ナズナにエールを送るスイレン。


(い、一か月……。一人前の魔法少女になるまでに、そ、そんなにかかるかも、知れないんだ……)


 スイレンとしては励ますつもりだったのだろうが、ナズナの方は現実を突きつけられた思いだった。魔法少女として戦うことを、少し簡単に考えすぎていたかもしれないと反省する。

 けれどおかげで、パンツのことは、すっかり頭から消え去っていた。


「あの、あたし! 早く、一人前になれるように頑張ります! だから、これからよろしくお願いします!」

 二人の先輩魔法少女に向かって、ナズナは深々と頭を下げる。


(待っててください。ユリハナさん……)


 そして、二人には言えない想いを、胸の内だけでそっと呟く。

 散々、レクチャーを受けておきながら、一人前になったとたんにユリハナの元へ去ったりしたら、間違いなくナズナも裏切り者扱いされるだろう。

 けれど、そんな覚悟なんて、もちろんあるわけない。

 かと言って、先にカトレア軍団と仲良くなっておいて、ユリハナとの橋渡し役を担おう……とか、そんな打算があるわけでもない。


 中途半端なことをしているという自覚もないまま、ナズナは先輩魔法少女たちとの絆を深めていくのだった。

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