第4話 花開く蕾

(絶対に、魔法少女になるんだ!)


 ベッドの上にカバンを放り出すと、ナズナは制服のまま勉強机に座った。

 手に持っていた小さなビニール袋から、中身を取り出す。

 駅前の百均ショップで買ったチェーン。

 包装を解いて、両手で端を持って、目の前に掲げる。


(待っててください。ユリハナさん!)


 決意を込めた瞳でチェーンを見つめながら、カトレアの言葉を思い出す。


『みんなを守りたいと、あなたが心から願うのであれば、きっとリリアナ様は答えてくれます。あなたにふさわしい名前と、魔法少女の証であるチャームを与えてくださる』


 魔法少女たちはみんな、花のチャームのペンダントを身に着けていた。

 丸い枠の中に、それぞれの花を模した飾りが入ってるデザインの銀色のチャーム。

 チャームは花違いのお揃いだったけれど、ペンダントのチェーンは5人とも違っていたことをナズナは目敏くチェックしていた。

 リーダーのカトレアと、サイドに小さなお団子を作っているセミロングのスイレン。それから、内側カールのボブカットの少女スズランは、それぞれ、ナズナの目から見ても高価だと分かる銀色のチェーンにチャームを通していた。一体、おいくら位するものなのか、ナズナにはさっぱりだったが、ナズナのお小遣いでは買えないだろうということだけは分かった。

 対して。

 ショートカットの南国系美少女サルビアと、滑らかな長い黒髪の気真面目そうなキキョウは、ナズナでも手が届きそうな、良く言えば中学生らしい、悪く言えば安っぽいチェーンを付けていた。二人も、もしかしたらナズナ同様百均ショップで入手したのかも知れなかった。

 チェーンがお揃いではないことから、リリアナ様から授けられるのはチャームだけで、チェーンは自前なのではないかとナズナは考えた。

 それならば、と。

 まずは形から入ることにしたのだ。

 カトレアと話をした後、ナズナは部活動の見学には出席せずに、学園を出て、そのまま駅前の百均ショップに向かったのだ。

 

「みんなを守るため……。もちろん、魔法少女なら、みんなのことを守らなきゃだけど、でも、それだけじゃなくて。あたしは、あたしだけは…………。あの人の、ユリハナさんの味方になりたい。だって、放課後は一人になっちゃいけないはずなのに、魔法少女だからって、いつも一人きりなんて……。カトレアさんたちは、みんなで行動しているのに」

 チェーンを見つめる瞳が揺れる。

 ナズナが見かけた時は、カトレアたちはいつも五人でパトロールをしていた。それはつまり、たとえ魔法少女であっても、一人で行動するのは危険が伴うということなのだろう。


(ヘビをやっつけてくれたあの人が、悪魔の使いだなんてあり得ないよ。裏切り者っていうのも、きっとなにかカトレアさんたちも知らない理由があるんだよ。ホーリーフラワーズのクイーン・ローザ様みたいに。きっと、そうに決まってる。だから……)


 チェーンを掲げていた両手を胸の前まで下して、ナズナは斜め上の壁の辺りをキッと睨み付け。

「あたしがユリハナさんのパートナーになる! そして、いつか。絶対に、誤解を解いてみせるんだから! そう、ホーリーフラワーズのアイリスちゃんみたいに、あたしだけは最後までユリハナさんを信じて見せる!」

 声も高らかに、中学一年生としては、少々恥ずかしい宣言した。

 両親は共働きで一人っ子。家に誰もいないのは幸いだった。



 その夜、ナズナは夢を見た。

 夢の中でナズナは、アニメ・魔法少女ホーリーフラワーズの主人公、アイリスになっていた。

 ナズナと同じ、中学一年生のアイリス。

 前世で妖精の国の花の騎士見習いだった、アイリス。

 妖精の国は、突如現れた影の王が率いる軍団によって、一夜にして滅ぼされた。

 騎士見習いだったアイリスも、その時命を落とした。

 そして、アイリスが生まれ変わった現代の日本にも、影の軍団は現れた。

 今度こそ、大切な人たちを守るために戦う覚悟を決めるアイリスと、次々と目覚めていく転生した花の騎士たち。

 かつてはなかった力を得て、次々と悪の軍団を打倒していく花の騎士たちの前に立ちふさがったのは、冷酷無比な影の王の妃、クイーン・ローザ。クイーン・ローザの正体は、かつて花の騎士たちが忠誠を誓った、花の王女ローズだった。アイリスたちのように、ローズが生まれ変わってローザとなったのではない。かつてのローズが、ローザとなったのだ。

 妖精は人よりも寿命が長い。

 妖精の国が滅んでから長い時が過ぎ去ったはずなのに、ローズは、ローザは、あの頃と同じ少女の姿をしていた。なのに、装いも目に宿る光だけが、別人のように闇に染まっていた。

 ――――妖精の国が滅んだのは、王女が裏切ったせいだ。

 転生した花の騎士たちの間に王女への不信が広がっていった。そんな中、アイリスだけが最後まで王女を信じ続けた。

 アイリスは、前世で王女と姉妹の契りを交わし合う仲だったのだ。

 そして。アイリスが王女を信じ続けたからこそ、最後に真実が明かされた。

 ローズは裏切ったのではなかった。妖精の国の滅びは避けられないことを覚悟したローズは、最後の力でわずかに残った花の騎士たちに力を分け与えて、その魂を転生させたのだ。

 未来に、希望を託して。

 力を失ったローズは、影の王に意思を奪われて、無理やり王妃にされたのだ。

 意思を取り戻し、泣きながら抱き合うアイリスとローズ。

 かつてと同じ、優しくも気高い微笑みを取り戻した、赤い髪の花の王女。

 夢の中の王女は、なぜか。

 白いブレザーに身を包んだ魔法少女……ユリハナの姿をしていた。




 ――――と、そんな夢をみたせいもあって。

 目覚めると同時にナズナは、誓いを新たにした。

 宣言を翻すつもりは毛頭ない。


 けれど。


 登校するなり駆け寄ってきた睦美とルカに、思いがけず打ちのめされた。

「ナズっち、考え直して! 魔法少女になるってことは、あの美少女軍団の一員になるってことなんだよ!? 想像してみて、あのメンバーの中にポツンと一人立たずむ自分の姿を!? ほら、居たたまれない! はっ。でも、よく考えたら、あれ絶対、写真審査がある感じだよね? だとしたら、そもそもナズっちが選ばれることはないってこと?……………………だ、大丈夫! たとえ選ばれなくても、ナズっちは十分可愛いよ、元気を出して!」

「は、はうっ。うっ、うぅ…………」

 おそらく心配してくれているのであろう睦美の一言は、サクッとナズナに突き刺さった。しかも、叶わない前提で、最後は何か励まされている。それが、余計にナズナの胸を抉った。

「そうだぞ、ナズっち。ナズっちにはナズっちの可愛さがある。そして、リリ女の生徒というだけで、あそこまでの美少女じゃなくても、十分に商品価値はあるはずだ。だからこそ、もっと自分を大事にするんだ! 脂ぎった親父に純潔を散らされてからじゃ遅いんだぞ! 世の中には、二度と取り戻せない大事なものがあるんだ! でも、もし、万が一、ナズっちの純潔が失われてしまったとしても、それでもあたしのナズっちへの友情はかわらないから! いいか、もしそうなっても、決して早まるんじゃないぞ! その時は、あたしが一緒に警察まで付き添ってやるからな!」

「あ、あぅ…………」

 ルカは相変わらず、魔法少女性犯罪説を信じているらしく、ナズナの肩を力強く掴んで、熱く友情を語ってくれた。

 その気持ちは、もちろん嬉しい。嬉しいのだが。

 魔法少女は性犯罪と無関係で、ちゃんと本当にいるから、と。

 そう強く反論したいのに、思った以上にダメージが大きく、口をパクパクさせていることしかできない。

 自分が美少女ではないことは、ナズナだって分かっている。

 だが。分かっていても、はっきり言われたら傷つくのだ。

 そうして、回復しないままに、予鈴が鳴った。

 誓いが揺らいだわけではないが、それとは違うところで心を折られ、ナズナはトボトボと自席に向かう。

 ちょっと暴走している感が否めない二人の友情は、ナズナの心に傷を負わせた。だが、そのおかげで与えられた恩恵もあった。

 昨日のカトレアへの突撃で悪眼立ちしてたナズナだったが、二人によって『魔法少女写真審査説』と『魔法少女性犯罪組織説』という新たな二つの燃料が投下されたことによって、矛先が分散されたのだ。

 こうなることを意図しての二人の発言だったのかどうかは定かではない。

 いずれにしても、自分のことで頭がいっぱいのナズナがその事実に気が付くことはなかった。




 そして、放課後。

 誰もいない下駄箱で、ナズナは一人立っていた。


「噂になってるみたいだし、先に帰るね」

 

 部活動見学は今日が最終日だったが、噂を理由に二人には先に帰ることを告げて、一旦は学園を出た。

 その後。

 少し時間をおいてから、ナズナは再び学園の門をくぐった。

 みんな、下校したか部活を始めている時間だ。

 誰もいないのを承知で、戻ってきた。

 それがどんなに危険なことかは、身にしみてわかっている。

 なのに、なぜ。

 こんなことをしたのかと言えば。

 それは、もちろん。


 魔法少女になるためだ。


 放課後は、魔法少女の時間だ。


 魔法少女とヘビは、放課後にしか現れない。

 だったら、きっと。

 魔法少女になるためには、放課後に学園に一人で居なければならないのではと、ナズナは考えた。

 一人なのはもちろん、魔法少女の正体は、不明だからだ。

 誰かと一緒にいたら、天使リリアナは現れないのではないかと思ったのだ。

 それと、もう一つ。

 ヘビと戦う勇気があるかどうかを証明するために。

 一人で、天使リリアナ祈りを届けなければと思ったのだ。


 とはいえ。

 ヘビにやられてしまっては元も子もない。

 下駄箱を選んだのは、直ぐに学園の外へ逃げられるからだ。

 ヘビは、学園の外までは追ってこれない。

 念のため、靴は履き替えずに外履きのままだ。そのまま、走って逃げられるように。

 少し覚悟が足りないだろうかとも思ったが、無茶をして魂を抜かれてしまっては魔法少女になるどころではなくなってしまう。


(魔法少女になったら、ユリハナさんと二人でヘビと戦っていくんだから、このくらいの用心深さは必要だよね。勇気と無謀は違うって、マンガかアニメで言ってた気がするし。うん)


 そう、自分に言い聞かせる。

 実際には、玄関で立っているだけでも怖くて足が震えていて、これ以上は先へ進めないだけだったが。


 ――――チャリリ。

 スカートのポケットから、昨日買ったばかりのチェーンを取り出す。チェーンを握りしめた右手を、左手で包み込むようにして目の前に掲げ、心の中で祈りを捧げる。


(リリアナ様。お願いします。あたしを、あたしを魔法少女にしてください! あたしは、みんなだけじゃなく、ユリハナさん、あの人のことも守ってあげたいんです。いつも一人きりなんて、寂しすぎる。だから、あたしが、あたしが…………!)


「そんなところで何をやっているの? 今度は何? 落とし物? 見つかったのなら、早く帰りなさい。全く、懲りない子ね」

「ふ、ふぇっ?」


 下駄箱の向こう。廊下に立ってこちらを見ているのは、長い赤髪をサイドテールにした白いブレザーの少女、ユリハナだった。

「ユ、ユユユユユ、ユリハナさん!?」

「……………………どうして、あなたがその名前を知っているの?」

「え…………?」

 さっきまで、お姉さんが聞き分けのない妹を嗜めるかのような呆れた顔をしていたユリハナがスッと目を細めた。低く冷たい声。射貫くような瞳。

 ナズナは思わず、一歩後ろに下がってしまった。

「そ、の……。カトレアさんに……聞いて…………」

「…………あいつ、どこまでっ!」

「ひっ」

 ギラリと鋭く睨み付けられて、ナズナは身を竦ませる。

「………………落とし物が見つかったらな、さっさと帰りなさい」

 怯えるナズナにハッとなったユリハナは、固い声で言い残すと、廊下の奥を真っすぐに見据えて立ち去っていく。

「あ……………………」

 声をかける間もなかった。

「落とし物って、もしかして、このチェーンのことかな……。あ、はは……」

 ユリハナの姿が見えなくなると、握りしめた手から垂れさがっているチェーンに視線を落とす。

 涙が零れ落ちそうなのを、必死で我慢した。


(部外者なのに、気軽に名前を呼んだりしたから、怒っちゃったの、かな……?)


 ナズナがユリハナの名前を口にするまでは、昨日と同じユリハナだった。素っ気ないようでいて、本当は優しい。


(なのに、どうして…………?)


 考えても、考えても。

 思考がぐるぐる回るばかりで、答えは見つかりそうもなかった。

 そう言えば、リボンタイはしていなかったけれど、シャツのボタンは首元まできっかり止められていたな、などとどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。

 カトレアたちは確か、チャームが見える様に、シャツを胸元まで開いていたはずだ。


「あー、もう! ここで、考えててもしょうがない! 魔法少女になれば、きっと何か分かるはず!」


 誰もいないのをいいことに、ナズナを声を張り上げて、自分に気合を入れた。


「リリアナ様。みんなを守るのが魔法少女だってことは、分かってます。それに、ユリハナさんは魔法少女だし、ヘビとは戦える。あたしなんかが守ってあげる必要なんて、ないんだと思います。でも、あたしは、それでも! それでも、ユリハナさんと同じ魔法少女になって、ヘビとは違う何かから、ユリハナさんを守ってあげたいんです。みんなを守るのが、魔法少女。でも、その魔法少女だって、そのみんなの中に含まれてもいいですよね? リリアナ様、お願いします。あたしに、力をください」

 

 誰もいない空間に向かって、ナズナは必死で訴えた。

 きっと、この声が届いていると信じて。


 ヘビのことは、すっかり頭から消え去っていた。

 止まらなかった足の震えも、すっかり治まっている。

 

 目を閉じて、何度も何度も。

 心の中で、リリアナの名前を呼んだ。

 リリアナへの願いを、何度も、心の中で唱えた。


 ――――ヒナゲシ


「え?」

 声が聞こえたような気がした。

 目を開けて、キョロキョロと当たりを見回す。

 でも、誰もいない。


 ――――ヒナゲシ


「!」

 今度は、さっきよりもはっきりと聞こえた。

 落ち着いた、女の人の声。

 誰かが喋っているというより、直接頭の中に声が聞こえてきているみたいだった。


 チェーンを握りしめていた拳の中に、突然、熱を感じて、ナズナは慌てて手を開く。

「あっ」

 手のひらには、蕾のチャームが載っていた。

 丸い枠の中に入っているのは、何かの花の蕾だった。


 さっきの声が、再び頭の中に響いてくる。

 ナズナはその声に大きく頷くと、教わったばかりの呪文を口にした。


開花オープン・ヒナゲシ!」


 蕾から、光が溢れだす。

 眩い、白い光。

 反射的に、目を閉じる。


 光が治まったのを感じて、恐る恐る目を開けて、自分の体を見下ろす。


 チャコールグレーが、純白へと変わっていた。

 リリ女の、チャコールグレーの制服から。

 魔法少女の証である、白いブレザーへと。


 リボンタイは消え去り、シャツは胸元までボタンが開いている。

 花のチャームのペンダント。

 その胸元には、ヒナゲシの花を模ったチャームが、燦然と輝いていた。

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