第3話 赤髪の魔法少女

(どうして、カバンなんて忘れてきちゃったんだろう。どうして、一人で取りに戻ったりしちゃったんだろう。一人になっちゃいけないって、言われてたのに。どうして…………)


 忘れ物を取りに戻った誰もいない放課後の教室で。

 赤い影の化け物が現れて。

 転んで。

 動けなくて。

 目の前に、赤い手が迫ってきて。

 もうダメだって思って、ぎゅっと目を閉じた。

 その時。

 閉じた瞼越しにも感じ取れるくらいの。


 ―――眩い閃光が走った。


「動けるなら、その場を離れて!」

「え?」

 知らない女の子の声が聞こえてきて、ナズナは思わず目を開けた。

 赤い生徒の影。ヘビはまだ目の前にいた。

 けれど、ナズナに向かって伸びてきていた手は、腕は。肩口から消えていた。ヘビの肩口の先では、赤い霧のようなものがモヤモヤしている。

 声は、先ほどヘビが現れた教室のドアの辺りから聞こえてきた。

 顔は動かさず、視線だけをそちらへ向ける。

 白いブレザーに身を包んだ少女が、白銀に輝く銃を手に、そこに立っていた。


(魔法……少女……? でも……)


 凛々しくも美しいその少女は、腰の先まである長い赤髪を、右側でサイドテールに結わえていた。真っ白いシュシュが、赤髪に映えている。

 昨日の、リリアナ研究クラブの部活動紹介の時にはいなかったはずだ。それに、さっき連絡通路ですれ違った時も、こんな赤い髪の少女は見かけなかった。


(他にも……メンバーがいるの?)


 床に座り込んだまま呆然と見上げるだけのナズナを見て眉を顰めると、赤髪の少女は銃を構えたまま、赤い霧に向かって声を張り上げた。

「おまえの相手は、こっちよ!」

 ヘビは一度、赤髪の少女の方へ顔を向けたが、直ぐに興味をなくしたようにまたナズナの方へ向き直る。

「チッ」

 鋭く舌打ちをしてから、赤髪の少女はスゥッっと大きく息を吸い込んだ。

「消え去りなさい!」

 低く言い放つと同時に、引き金に掛けた指に力を込める。

 銃口から、白い光が放たれた。

 光は、一直線にヘビの胸元へと吸い込まれていき、生徒の形をした上半身は、サーッと崩れて赤い霧へと戻っていく。

 少し間隔を置いて、再び光が走り、今度はスカートの下の蛇の胴体のような足を貫く。

 声もないままに、ヘビの体はほどけて霧となり、教室の隅へと霧散していった。


 コツコツと靴音を響かせてナズナの傍へ歩み寄ると、赤髪の少女は膝をついてナズナの頬に手を添え、瞳を覗き込んできた。

「よかった。抜かれてはいないみたいね」

 探るような視線にたじろぐナズナには構わずに、少女はナズナの全身に目を走らせる。

「大丈夫? 怪我はない?」

「は、はい。大丈夫…………です」

 掠れた声でナズナは答えた。

「そう。じゃあ、行きましょう。校門まで送るわ」

「あ……その……。け、見学、音楽室、友達が……」

 立ち上がった少女が手を差し伸べてくる。

 震えは止まっていたけれど、まだ一人では立てそうもなかったナズナは素直にその手を取った。

 引き上げてもらいながら、ナズナは睦美のことを思い出す。このまま、一人で先に帰ったら、心配させてしまうだろう。一人でナズナのことを探しに来たりしたら、今度は睦美が危険な目に会うかもしれない。

 ショックが抜けきっておらず、たどたどしい口調のナズナの説明の意図を、少女は正しくくみ取ってくれたようだった。

「ああ、部活見学か。そうね、私も校門までしか送ってあげられないし、今は誰かと一緒にいた方がいいか。…………音楽室に行けば、誰か仲のいい友達がいるのね?」

 少し思案した後の少女の問いかけに、ナズナはコクコクと頷いた。

「分かった。じゃあ、音楽室まで送っていくわ。ついてきて」

 赤髪の少女に手を引かれて、ナズナは教室を後にした。

 手を繋いでくれていたのは、教室の外に出るまでだった。教室を出て、ナズナが一人でも歩けそうだと判断すると、少女はあっさりと手を放した。

 少し心細かったけれど、手を繋いだままだと、いざという時に対応できないからと言われれば仕方がない。

 名残を惜しむように、さっきまで繋がれていた手をキュッと握りしめる。緊張していたせいか、少女の手が温かかったのか冷たかったのか、もう思い出せなかった。



 赤髪の少女に連れられて北館へと続く連絡通路まで辿り着き、ドアに手をかけたところで、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた。

「ナズっち、遅いね。カバン、見つからないのかな」

「もしかして、本当に、悪魔の手下が現れた、とか……」

「や、止めてよ!」

「や、やっぱり私、様子を見に行ってくる」

「え? もう少しだけ、待ってみよう? 一人じゃ危ないよ」

「でも…………」

 揉めている気配に気が逸った。

 様子を見に行こうと言ってくれているのはやっぱり睦美で、一人で先に帰ったりしなくてよかったと思った。

 ドアを開けて駆けだそうとするナズナを、赤い髪の少女が引き留めた。

「忘れものよ。これを取りに一人で教室に戻ったんじゃないの? 床に落ちてたわよ」

 はい、とカバンを手渡される。

 ちっとも気づかなかったけれど、少女はいつの間にかナズナのカバンを拾っていてくれたようだ。

 優しく微笑まれてドギマギしながらカバンを受け取ると、少女はすぐに表情を引き締める。

「いい? これに懲りたら、次からは決して、放課後は一人きりにならないようにね。今日のは、あまり動きが素早いヤツじゃなかったから何とかなったけど、次も間に合うとは限らないから。友達にもよく言っておくのよ。じゃあ」

「あ、待って! あなたは……」

 さっきの笑みが嘘だったみたいに、少女はそっけなく言い放ってその場を立ち去っていく。

「私のことは、忘れなさい。さあ、いいから行きなさい。友達が待っているわよ」

 ナズナの声に振り返ることもなく、廊下の向こうへと消えていく。

 伸ばした手が、行き場をなくして力なく落ちた。

 迷いと未練を断ち切るように大きく首を振ると、ナズナは連絡通路のドアを開けた。ドアの向こうからはまだ、睦美たちの声が聞こえてくる。


(今は早く、むっちゃんを安心させてあげなきゃ!)


 渡されたばかりのカバンをキュッと握りしめ、ナズナは連絡通路の中ほどにいる睦美たちへ向かって駆けだした。

「むっちゃーん!! ヘビが!! 魔法少女が!!! ホントにいたんだよーう!!!!」




 一年に組の教室にヘビが出たという話は、瞬く間に学園中に知れ渡った。

 連絡通路で叫んだナズナの声は、思ったよりも遠くまで届いていたようで、窓を開けていた北校舎3階の音楽室まで届いていたのだ。少し遅れて音楽室にたどり着いた時には、先輩たちに心配されつつ、「ここまで声が届くなんて、あなたなかなか見込みあるわよ」なんて言われたりもした。

 休憩時間になると、上級生たちが自然とナズナの周りに集まって、魔法少女に関する話をいろいろと聞かせてくれた。

 話を聞いている限りでは、上級生たちはみんな、魔法少女の存在を信じて疑っていないようだ。

 他の一年生たちはみんな戸惑いを隠せないようだが、ヘビをその目で見たナズナだけは、何の疑問もなく先輩たちの話を聞いていた。

 それによると。

 ナズナの他にも、ヘビに襲われたと思われる生徒がいるらしかった。

 一年間で何人かは、魔法少女が駆けつけるのが間に合わずに、ヘビの被害に合っているのだそうだ。そして、ヘビ襲われた生徒は、みな別人のように変わってしまったという。

 部活に熱心な子だったのに、急に興味を失って部活を休みがちになったり。

 成績優秀な生徒が、途端に学業への熱意が消えうせて、成績が下がりだして、それを本人が全く気にしていなかったり。

 さらに、何年かに一度は、廃人のようになって、休学してそのまま学園に来なくなったりする生徒もいたらしいのだ。

 さすがに先輩たちも、直接の知り合いにそこまでの生徒はいないらしいのだけれど。

 でも、が起こるとしたら、今年あたりなんじゃないかって、そんな噂もあるらしかった。

 ほんのついさっき襲われたばかりのナズナは、それを聞いてお腹の底が冷たくなったような気がした。

 もしかしたら、自分がなっていたのかもしれないのだ。

 青褪めかけたナズナの体に血を巡らせたのは、赤い髪の魔法少女に関する噂だった。

 俯きかけていたナズナは、ハッと顔を上げた。

 赤髪の少女に関する話は、一つも聞き逃したくなかったからだ。

「赤毛の魔法少女の噂は、あたしも聞いたことあるよ。比奈鳥ひなどりさんの他にも、助けられた子が何人かいるみたいなんだよね。でも……」

「カトレア様たちと一緒にいるところ、見たことないんだよね。助けられた子たちに話を聞いても、赤毛の子はいつも一人で現れるっていうし、一匹狼ってやつ?」

「魔法少女にも派閥があるのかも。それとも、あの赤毛のせいなのかな……。ほら、ヘビも赤い影じゃない? だからさ……」

「赤毛だから、仲間外れにされてるかもってことですか!?」

 それまで、黙って大人しく話を聞いていたナズナだったが、最後の発言が聞き捨てならず、発言した先輩を責めるように睨む。

 ナズナの隣で睦美がハラハラしているのに気が付いていたけれど、後に引く気はなかった。睨まれた先輩は、ナズナの態度に怒ったりはしなかった。それどころか、自分でも失言だと思ったのか、慌てたように手を左右に振っている。

 睦美が、ほっと息を洩らしたのが聞こえてきた。

「ご、ごめん。悪く言うつもりじゃなかったんだけど、その、赤毛の生徒のことについては、詳しい情報とか全然なくて、つい。憶測でものを言ってごめん。あなたにとっては、恩人だもんね。それに、他にも助けられた生徒もいるんだしね。ただ、赤毛っていうのが気になっちゃって。リリ女は、校則厳しいし、パーマとか染めるのとか禁止なのにって」

「ぁ…………」

 言われて初めて、ナズナはそのことに気が付いた。

 あの時は、それどころじゃなかったから気にならなかったけれど、確かに日本人とは思えないような綺麗な赤い髪の毛だった。染めているにしろ、地毛にしろ、あんな生徒がいたら目立ってしょうがないはずだ。同じ学年であれば、何某か話が聞こえてきそうなものだ。それなのに、詳しい情報がないというのだ。

 少々気まずい雰囲気のまま雑談は終わり、先輩たちは練習へと戻っていった。

 練習を見つめながらも、ナズナの頭の中は、あの赤い髪の魔法少女のことで一杯だった。

 なんだか、胸がモヤモヤする。


(髪が赤いから、悪魔の手下みたいに思われてるってことなのかな? だったら、そんなの、納得できないよ)


 あの赤髪の少女は、ナズナを助けてくれただけじゃなく、みんなのいるところまで送り届けてくれて、ナズナがすっかり忘れていたカバンまで持ってきてくれたのだ。最後は少し、そっけなかったけれど、それでも優しい人だとナズナは感じた。

 悪い人であるわけがないと、ナズナは信じた。


(んんー。ここで考えてても仕方がない。明日。何とか、カトレアさんを探し出して、あの人のことを聞いてみよう。うん。それで、もしも納得できないような理由だったら、その時は。その時は……)


 その時には、どうしたらいいのか?

 答えは出てこなかった。

 それでも。

 魔法少女のことは、魔法少女に聞いてみるしかない。

 とにかく、今は話を聞いてみよう。

 そう、心に誓うナズナだった。



 そして。

 翌日の放課後。

 その機会は、向こうからやって来てくれた。

 ナズナが探しに行くまでもなく、昨日の噂を聞きつけた魔法少女たちが、一年二組の教室へと様子を見に来たのだ。

 ふん!――――と気合を入れてから、ナズナは教室の入り口から中の様子を窺っているカトレアの元へと突撃した。

「赤い髪の魔法少女のことについて、教えてください!」

 カトレアは驚いたように目を見開いた。けれど、直ぐにナズナが噂のヘビに襲われた生徒だと気付いたのだろう。あの女神のような笑みを浮かべて、優しく言い諭す。

「あの赤い髪の子は、わたくしたちの仲間ではないの。そんなことより、身にしみてわかっているとは思うけれど、放課後は本当に危険なの。これからは、決して、一人で行動してはダメよ?」

「あの人の髪が赤いからなんですか? だから、ヘビの仲間だって思ってるんですか?」

 誤魔化されたりしないという意思を込めて、ナズナはさらに言いつのった。

 カトレアの後ろで、涼やかな目元をした長い黒髪の魔法少女が、ナズナを睨み付けているのが見えて、一瞬だけ身を竦ませたが、直ぐに瞳に力を込める。聞きたいことを聞くまでは、一歩も引かない覚悟だ。

「そういうことではないのだけれど…………。いえ、いいわ。教えてあげる」

 思案気に瞳を揺らしていたカトレアだったが、ナズナの本気を感じ取ったのか、仕方ないというようにため息をつく。

「あの子は、ユリハナ。…………裏切り者の魔法少女よ」

「裏切り者……? どういうことですか?」

「これ以上は、部外者には教えられないわ。これは、わたくしたちの問題だから」

「……………………っ」

 部外者という一言は、なぜかナズナの心を深く抉った。

 どうしてかは、分からない。

「待って!」

 そのまま、立ち去ろうとするカトレアたちを呼び止める。

「魔法少女になるには、どうしたらいいんですか?」

 考える前に、言葉が口をついて出ていた。

 既に歩き出していたカトレアが、足を止めて、ナズナを真っすぐに見据える。

「みんなを守りたいと、あなたが心から願うのであれば、きっとリリアナ様は答えてくれます。あなたに、ふさわしい名前と、魔法少女の証であるチャームを与えてくださる」

 そう言って開いた胸元を指で指し示す。

 リリ女の制服は、校則通りならばシャツの胸元には学年ごとに色違いのリボンタイを付けることになっているのだが、魔法少女たちはみんなタイはつけずにシャツの胸元を開けていた。

 白くしなやかな指の先にあるのは、銀の鎖に通された、花の形のチャーム。五人とも形が違っていた。それぞれにつけられた名前の花を、モチーフにしているようだ。

 優しい……というよりは慈悲深い、女神の笑みを浮かべて、今度こそカトレアはナズナの前から立ち去った。



 すっかり、みんなの注目を集めてしまっていた。

 今日だって、噂の的だったのに。

 明日もまた、いろいろ言われてしまうかもしれない。

 それでも。不思議と後悔はなかった。

 ずっと、モヤモヤした気持ちを抱えているよりもマシだと思った。

 それに、思い切って行動したおかげで、あの赤い髪の少女の名前を知ることが出来たのは、収穫だと思った。


(ユリハナさん…………ていうのか。綺麗な名前。あの人に、似合ってる)


 魔法少女になれたら、なんて。

 ほんの少し、夢見たりはしたけれど、そこまで本気で考えていたわけじゃなかった。

 でも。

 今、ナズナは。

 本気で魔法少女になろうと決意していた。


(魔法少女になれば、あたしは部外者じゃなくなる)


 ナズナは。

 みんなのためではなく。

 ユリハナという少女のために。

 魔法少女になりたいと思った。

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