第2話 放課後の赤い影
私立リリアナ女子中等学園。
Z市の最北、隣町との境である
学業だけでなく礼儀作法にも重きを置いた方針を打ち立て、戦後まもなく建てられた私立リリアナ女子高等学園の中等部として昭和の終わり頃に創立された。どちらも同じ白鳴山の山裾に位置しているが隣接はしておらず、数キロほど離れている。
元々は、中等部を設立する予定はなかったのだが、高等部の方が思いのほか好評で、地元からの要望があったこともあり、遅れて中等部が設立されたのだ。
名前のイメージからか、よくミッション系スクールと勘違いされるが、リリアナとは早くに亡くなった創立者の妻の名前であり、特に宗教色はない。
受験のための資料を取り寄せて初めて、ミッション系ではないことに気付いたという生徒もいれば、入学してからようやく気付いたという迂闊な生徒も意外と多く存在する。
そんな、不完全燃焼的に終わったミッション系スクールに対する仄かな憧れの心が、こんな伝説を生んだのかもしれない。
そう。私立リリアナ女子中等学園には、伝説がある。
七不思議の類ではない。
伝説だ。
生徒全員が当たり前のように信じている伝説。
それは、天使と悪魔と…………魔法少女の伝説だった。
伝説の内容は、こうである。
『昔々。まだ、学園が出来るずっとずっと前のこと。
この地で、天使と悪魔が激しい戦を繰り広げた。死闘の末、天使は悪魔を封じたが、自らも力尽きて眠りについてしまう。
――――時が流れ。
人々は、天使のことも悪魔のことも忘れ去った。
そして、何も知らずに天使と悪魔が眠る地に学園を建てた。
ある時、この学園で一人の生徒が自ら命を絶った。悪魔はその生徒の血と命を贄として、少しだけ力を取り戻した。取り戻した力で、悪魔は赤い影の魔物・ヘビを作り出した。ヘビを使って、復活のための供物となる生徒の魂を集めるために。
ヘビに襲われて魂を奪われた生徒は、まるで抜け殻の様になって、そのうち学校にも来なくなってしまった。
生徒たちはヘビを恐れ、救いを求めて天に祈った。その祈りは、学園で眠りについていた天使を揺り起こした。祈りによってほんの少しだけ力を取り戻した天使は、清い心と勇気を持つ生徒にヘビと戦うための力を授けた。
天使に選ばれたその特別な生徒は、魔法少女と呼ばれた』
♢♢♢♢♢♢
私立リリアナ女子中等学園、通称リリ女の一年生の教室では、朝から天使と悪魔の伝説、それから天使リリアナに選ばれた魔法少女を自称する白いブレザーの少女たちの話で持ちきりだった。
学園に姉がいる生徒は、昨日聞いたばかりの話を得意そうにクラスメートに話して聞かせ、リリ女の伝説は瞬く間にクラス中に知れ渡った。
放課後を向かえる頃には、伝説の内容を知らない生徒は一人もいなかった。
伝説と魔法少女の存在を信じる生徒もいれば、半信半疑の生徒もいる。でも、どちらの生徒も、話自体には興味津々だった。
教室のどこかで新たな噂が囁かれれば、みなそれに聞き耳を立て、たった今仕入れたばかりの話を別の生徒に話して聞かせた。情報は同じクラスの中だけにとどまらず、小学校時代の友達を介して、別のクラスへも伝わっていった。
伝説そのものだけでなく、伝説に付随した様々な噂が、教室中を飛び交った。
――伝説のことを知っているのは、今リリ女の中等部に通っている生徒だけで、卒業したら忘れてしまうんだって。
――先生たちは、伝説のことを知らないし、魔法少女のことが見えていないみたい。
――ヘビの正体は、昔、いじめられて自殺した生徒の霊らしいよ。
――伝説のことは、リリ女の生徒以外には話しちゃダメなんだって。
――魔法少女たちの正体は、誰も知らないんだって。
「……………………なーんか、いろんな話が飛び交ってるけど、どこまでが本体でどこからが尾ひれなんだろうな?」
最後の机を運び終えると、ポニーテールの活発そうな少女、小林ルカは待ちかねたように話を切り出した。
ここは、一年二組の教室。掃除のために教室の前方に固めていた机と椅子を元の位置に戻し終え、掃除が完全に終わったところだった。掃除中は私語を慎むようにという規則を守って、今までずっとお喋りを我慢していたのだ。
「天使とかー、悪魔とかー、ミッションスクールもどきのリリ女らしい伝説だよねー」
ほんの少しばかり、おっとりぽっちゃりした女の子、
「うんうん。入学式の日はびっくりしたよ。まさか、礼拝堂もミサもないなんて」
三つ編み輪っかの小柄な少女、
「入学式まで気づかないって、うっかりにも程があるだろう? 受験の前に取り寄せた資料とかで分かるだろう、普通は」
「う、うぐっ」
「まあまあ。他にも何人か、そんなうっかりさんがいたみたいだし。気にしない、気にしない」
「う、うう…………」
睦美が一応フォローらしきことをしてくれたのだが、うっかりさん認定されたことは変わらないという事実に、それなりにうっかりの自覚があるナズナは肩を落とした。
出身の中学はそれぞれ違うのだが、同じクラスに知っている顔がおらず、掃除当番の班わけで一緒になった縁で仲良くなった三人だった。
「それにしてもー、悪魔の使いがヘビっていうのは分かるんだけど。魔法少女はどこから来たんだろうねー?」
「何言ってるの、むっちゃん! 悪魔と戦うために天使様に選ばれた女の子は、魔法少女って相場が決まってるじゃない!?」
睦美が首を傾げると、ナズナが拳を振り上げて力説した。
「まあ、こういう子がいるからじゃないかな。たぶん、元ネタになるような話が合って、それがリリ女アレンジされて今の伝説になったんじゃないのかな? まあ、つまり、魔法少女とかは尾ひれの部分? 自殺した女の子は本当にいたのかもね。もしかしたら、そこ以外は全部尾ひれって可能性も……」
「あー、なるほどー。そういうことかー」
ルカの冷静な分析に睦美が頷くと、ナズナは盛大に抗議した。
「もーう! なんで、二人してそんなに冷静なの!? 卒業したら忘れちゃうとか、先生たちには見えてないとか、魔法少女の正体は不明とか、いろいろ不思議なトコがあるじゃん!? ねえねえ、どう思う、どう思う? やっぱり天使様の魔法は本当にあるってことなのかな!?」
抗議しつつも目はキラキラと輝いている。
確認するまでもなく、ナズナが天使様を信じている、若しくは本当だったらいいなと思っている、天使様推奨派であることが分かる。
「んー。伝説をベースにした、リリ女の七不思議的なアレじゃないのー? ちょっと、定番とは違うみたいだけど」
睦美が小首を傾げると、ルカは腕組みをして自説を披露した。
「あたしが思うに、だ。卒業したら忘れちゃうっていうのは、高校生になって我に返るというか。つまり、天使とか悪魔とか魔法少女とかを本気で信じていた恥ずかしい過去を、黒歴史として封印したってことなんじゃないか?」
「うっ。一理ある。あ、でも、あれは? 先生たちには見えてないってヤツ! 昨日のリリアナ研究クラブの部活動紹介の時、先生たち、ステージの様子に全然気づいていないみたいに見えたんだよね。あ、あと! 一組の子が先生にリリアナ研究クラブのことを聞いたら、そんなクラブはありませんって言われたって聞いたよ?」
「言われてみればー? それに、よく考えたら、あんな美少女たちが正体不明っていうのもおかしいよねえ? それとも、本当は正体を知っているのに知らないふりをする、暗黙の了解状態ってこと?」
一度は怯みながらもナズナが反撃を開始すると、さっきまでルカよりだった睦美もそれに追従してきた。
だが、ルカはそんな二人に余裕の笑みで答える。
「ふっ。それについては、既に答えは用意してある。つまり、これは、学園ぐるみの犯罪行為が行われているんじゃないかと思うんだ」
後半、内緒話でもするかのように声を潜めたルカに、ナズナと睦美の二人は顔を見合わせて、首を傾げた。
「聖なる花っていうのは、やっぱりいかがわしいアレなんだよ。学校ぐるみで生徒を商品として扱ってるんだよ。先生たちもグルだから見て見ぬふりしてたんだよ。いや、もしかしたら、何か薬物とか使われてるのかも。あとな、二年と三年の教室に様子を見に行ってみたんだけど、昨日の美少女たち、一人も見つけられなかったんだよ。そんなこと、あるか? だから、つまり。あの子たちは、この学園の生徒じゃないんだよ。若しくは、登校してきてないんだよ。きっと、昼間からアレな仕事をさせられてるんだよ」
「え、えぇー? なんで、そんな怖い話になるの?」
「悪魔に魂を狙われるとか言う方が怖いだろ!」
「それは、天使様と魔法少女が助けてくれるし!」
「犯罪だって、警察が助けてくれるだろ!」
ルカとナズナが声を潜めつつも言い争いをしている横で、睦美が、んーと首を傾げた。
「聖なる花って、ナズっち的な発言じゃないのかなー?」
「え?」
「へ?」
言い争っていた二人が、ピタリと動きを止める。
「あれって、ホーリーフラワーズを日本語にしただけなんじゃないの? 魔法少女の名前が花の名前なのも一緒だし」
「あ!」
「あれか! あたしたちが小さい頃、すっごい流行ってた、魔法少女アニメ!」
ホーリーフラワーズとは、ナズナたちが幼稚園に通っていたころから始まった魔法少女アニメのことだ。シリーズになって、ナズナたちが小学校に通うようになってからも、次々と続編が放送された。
「前世が花の妖精だったんだよね。それで、それで、あと、なんだっけ。あ、そうだ! クイーン・ローザ様! 敵の女幹部なんだけど、実は妖精の国の王女様で、主人公のアイリスちゃんとは姉妹の契りを交わした仲で。妖精の国が滅びたのはローザ様が裏切ったせいだって言われてたけど、実はみんなの魂を守るためだったんだよね! 確か!」
「あの変身シーンは覚えてる。服が、バーッて花びらになって、体の周りを渦巻いて、それがそのまま魔法少女のコスチュームになるんだよな。なんか、花びらをいっぱい重ね合わせたみたいなヒラヒラフリフリしたやたらと可愛い感じのヤツ」
「そうそう! あれ、可愛かったよね。いかにも、お花で妖精って感じで!」
「あれー? でも、リーダーのカトレアさん、魔法少女なんて低俗だって言ってたような? んー、なんでだろう。照れ隠し?」
ナズナとルカが盛り上がっている傍で、睦美は話を振っておきながら、昨日のことを思い返して首を傾げている。
「…………むっちゃんって、結構、マイペースだよね?」
「うん…………。あ、そうだ。二年生と三年生が先生たちとグルになって、あたしたち一年全員にドッキリを仕掛けてるっていうのはどうだ? それなら、すべてに説明がつくような気がする」
「え…………? 先生たちも一緒って、何のために?」
「………………………………そこが一番の問題なんだよな」
そうこうしている内に、学園内の別の場所を掃除していたグループが次々と教室に戻ってきた。
「みんな、戻ってきたみたいだねー。続きは、明日にしよっか。今日の部活見学で、先輩たちから何か新しい情報を聞けるかもしれないしー」
リリ女では、部活動の仮入部の前に、三日間の部活動見学の時間が設けられている。見学は任意なので、入りたい部活が決まっている生徒は無理に参加する必要はない。けれど、ナズナのようにやりたいことがはっきりしていない生徒には、部の雰囲気や活動の様子を見学できるのは非常にありがたい。この後、仮入部期間もあるあとはいえ、仮入部しておきながら別の部活を選ぶというのは、一年生には少しハードルが高い。
「じゃあ、あたしは三田さんたちと一緒にグランドに行くから。また明日な」
陸上部への入部を希望しているルカは、ナズナたちに手を振って、他の運動部を希望している生徒の方へ向かっていった。
ナズナと睦美も手を振り返してそれを見送る。
二人は合唱部の見学をするつもりだった。
同じ部活を見学する生徒同士、グループになって行動すること、という担任教師からの指導の通り、ナズナたちも他の合唱部見学組と合流して、音楽室へと向かうことにした。
合唱部が練習に使っている音楽室は、北校舎三階の一番西の端にある。一年生の教室は東校舎の三階にあるのだが、東校舎と北校舎は建物が直接つながっておらず、行き来には一階にある連絡通路を使わなければならなかった。
「連絡通路が一階にしかないって、何の嫌がらせなんだろう。全部の階に作ってくれればいいのに」
「ホントだよねー」
ナズナたち一年二組の合唱部見学組は、全部で五人。五人は楽し気に文句を言いつつ、連絡通路のドアを開ける。
すると、丁度、向こうから白い制服の一団がこちらに向かってくるところだった。
「わー。本当にパレードしてるんだー」
「むっちゃん。パレードじゃなくて、パトロールだよ」
「んー。パレードでも間違ってないと思うけどー」
通路の脇によけてコソコソと喋っていると、白い一団がすれ違った。
「帰る時も、校門までは一人にならないようにね」
「は、はい!」
先頭を歩くカトレアが、女神の微笑みを浮かべながら注意を促してくる。
すれ違う瞬間、甘い花の匂いがふわっと漂って、ナズナたちは思わず立ち止まって、白い一団を見送った。
「お花の匂いがしたね。もしかして、本当にホーリーフラワーズ?」
「ナズっち、しっかりして。あれはアニメだから」
陶然としながら、白い少女たちが消えていったドアを見つめているナズナの肩を睦美がゆさゆさと揺さぶった。
「う……あ……分かってる…………よ? あれ?」
睦美に片手で肩を揺さぶられて我に返ったナズナは、何とはなしに睦美のもう片方の手の先を視線で追い、あることに気付いた。そのまま、残りの三人の手元に視線を走らせる。
「あ! 教室にカバン忘れてきた!」
「え? あ、本当だ」
「あー、どうしようー。ううー、ご、ごめん、みんな先に行ってて。ちょっと、取りに行ってくる!」
「え? 一人で大丈夫? 一緒に行こうか?」
「大丈夫! 放課後って言っても、まだ部活も始まってないし。魔法少女もあっちの校舎に行ったところだし。すぐに戻るから!」
心配そうな睦美に答えながら、既に走り出していた。
「…………え?」
まさか、返事をしながら行ってしまうとは思っていなかった睦美は、ナズナにも状況にもついて行けず、その場に立ち尽くして目を見開く。そうこうしている内に、ナズナはもう校舎へと続くドアの向こうに消えていた。
「…………一応、ここで待ってよっか?」
「そう、だね」
魔法少女やヘビの存在を頭から信じたわけではない。けれど、それでも。
さっきも、一人にならないようにと注意されたばかりだ。
残された四人の少女たちは、心配そうに東校舎へと続くドアを見つめた。
「あ、あった」
ナズナが教室に戻ると、カバンは自席の椅子の上に、自分で準備した状態のまま置いてあった。
椅子じゃなく、机の上に用意しておけばよかったと反省しながら、手を伸ばす。
「はー、やれやれ。さて、それじゃ、音楽室へ急がないと!」
カバンを掴んで意気揚々と教室のドアを振り返ったナズナは、手にしたばかりのカバンを取り落として立ちすくんだ。
「あ、な…………に?」
視線の先、開け放たれたままのドアの前に、赤い霧のようなものがとぐろを巻きながら集まっている。教室の端から、廊下から、床を這うようにして集まってきた霧が、ドアの前でとぐろを巻きながら立ち上がっていく。
赤い霧はやがて、一つの形を成した。
スカートを穿いた女の子の影…………に見える。
赤い、生徒の影。
少し違うのは、スカートの下に生えているのが二本の足ではないことだ。日本画の幽霊のようでもあるし、蛇が鎌首をもたげているようにも見える。
(あれが……ヘビ。ホントに、いたんだ…………)
逃げなければいけないのに、足がすくんで動けなかった。
赤い影――ヘビは、ゆっくりとナズナの方へ向かってくる。
本当に、蛇が這っているようだった。
ヘビには実体がないのか、机も椅子もすり抜けて、教室の中ほどにいるナズナの元へと、一直線に進んでくる。
「あ……あぁ…………」
震える足で後ろに下がろうとして、バランスを崩して転んでしまう。
ナズナの体に押されて机が押しやられ、椅子が倒れた。
ヘビは、そんなナズナの様子に気付いているのかいないのか、全く変わらない速度で近づいてくる。
「あ……カ、カトレア……様。リリアナ様……助……けて……」
立ち上がることもできないまま、床の上で震えているナズナの目の前でヘビは止まった。
ゆっくりと、ナズナに手を伸ばしてくる。
自分に迫ってくる、手のひらの形をした赤い影。
眼前に迫る手のひらに耐え切れず、ぎゅっと目を閉じたその時。
瞼越しに、白い閃光が走った。
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