第1話 天使と悪魔と魔法少女

 講堂に響き渡る美しいコーラスに、三つ編み輪っかの小柄な少女、比奈鳥ひなどりナズナはうっとりと酔いしれた。

 私立リリアナ女子中等学園新入生歓迎オリエンテーションの部活動紹介用に短くアレンジされた大地讃頌。

 歌っているのは、合唱部員たちだ。

 合唱部は文科系では一番人気の部活で、本日の部活動紹介のトリを飾る。壇上には20名ほどの生徒が並んでいた。新入生が入部すれば、おそらく30人を超えるだろう。


(うーん。やっぱり、合唱部にしようかなあ……。運動はあんまり得意じゃないし。それにしても、やっぱりリリ女の制服可愛いなぁ)


 キラキラとした憧れの眼差しを、壇上の少女たちに向ける。

 チャコールグレーのブレザーに、同色チェックの膝丈プリーツスカート。ブレザーの丈が短めで、スッキリと洗練されたデザイン。

 この制服を着るためにリリアナ女学園に入ったと言っても過言ではない。

 これからの成長を見越して大きめの制服を買ったので、ナズナ自身はちょっとダボついた感じの着こなしになっていて、まだまだ洗練には程遠いのだが、そこいら辺は将来へ期待するしかなかった。


 発表が終わると、司会進行役の生徒会役員のアナウンスが入った。拍手とともに壇上の合唱部は退場していく。

「合唱部の皆さん、ありがとうございました。……………………では、次が最後の発表になります。リリアナ研究クラブの皆さん、壇上へお願いします」

(ほ、ほえ? 最後は、合唱部じゃなかったの?)

 慌てて顔を上げると、ステージ右側の階段を上っていく、白いブレザーの生徒たちの姿が見えた。左側からは、チャコールグレーの生徒たちが列になってステージを降りていく。

 手元のプリントにもう一度目を落とした。

 やはり、プログラムの最終は、合唱部となっている。


(え? あれ? プリントが、間違ってるの? あと、あの白い制服は一体、何? あの人たちも、リリ女の生徒なの?)


 白いブレザーとプログラムの間を、何度も視線を往復させる。

 会場内にざわめきが走った。

 驚いているのはナズナだけではないようで、首を傾げたり、ナズナ同様視線を行ったり来たりさせている生徒の姿が、あちらこちらに見えた。

 最終がどうのという以前に、プリントの部活動紹介の欄に、リリアナ研究クラブなどとは、どこにも書かれていないのだ。

 何か手違いがあったのなら、その旨のアナウンスが入りそうなものだが、司会進行役はそんなそぶりは一切見せなかった。プログラム通り、つつがなく進行しているかのようにすました顔をしている。

 騒めいているのは一年生だけのようだった。


「皆さん、静粛に」

 ステージの上に並ぶ5人の白ブレザーたち。いずれも、美しい少女ばかりだった。

 その真ん中に立つ少女が、生徒会役員がステージの中央に用意したマイクスタンドの前に、一歩進み出る。

 たった一言で、会場内はシンと静まり返った。

 甘さを含んだ、涼やかで凛と通る声。

 5人の少女たちは皆それぞれ違った美しさの持ち主だったが、彼女は特に際立っていた。

 少女の中から放たれた輝きが目に見えるようだった。

 それは、直視することは敵わない太陽のような強い輝きではなくて、夜空を照らす月の光のような、優しく滲み出るような輝きだった。眩しすぎて目を逸らしてしまうのではなく、つい見入ってしまうような、そんな光。

 まるで、女神様が降臨したかのようだった。

 前髪は作っておらず、額の中央で左右に分けた流れるように艶やかな髪は、肩口の先まで続いている。秀でた額は、彼女の高い知性を表しているように見えた。穏やかで、常に微笑みを絶やさない表情。

 生徒たちはみな、吸い寄せられるように彼女を見つめていた。


「新入生の皆さん、初めまして。わたくしは、リリアナ研究クラブリーダーのカトレア。この学園に隠れ棲む悪魔から、皆さんを守るために、天使リリアナ様からお力を頂いた聖なる花の一輪…………きゃ?」

「その説明じゃ、みんな意味分かんないって」

 カトレアの左隣に立っていた、スラリと背の高いショートカットの少女が、マイクスタンドの前のカトレアを押しのけた。

 色白なカトレアとは対照的な小麦色の肌。はっきりとした目鼻立ちの南国系の美少女だった。

「オレはサルビアだ。オレ達は、悪魔と戦うために天使リリアナ様に選ばれた魔法少女なんだ!」

 キラキラとした揺るぎない笑顔で、どーだとばかりにサルビアは言い切ったが、一年生たちはみなポカンと口を開けてステージの上のやり取りを見ていた。

 聖なる花…………よりは、魔法少女の方が分かる気はする。分かる気がするが、でもやっぱり意味不明だ。


(部長じゃなくてリーダーなんだ)


 ポカンと口を開けたまま、ナズナは心の中でひっそりと、割とどうでもいいことを思った。

「ちょっと、サルビア! 大事な挨拶の最中なのに何するんですか!? それに、わたくし達は魔法少女なんて低俗なものじゃなくて、聖なる花ですから! これは譲れませんから!」

「何言ってんだよ。聖なる花とか意味分かんないし、ちょっといかがわしい感じがするし。それに引き換え、魔法少女は正義の味方だって、日本に住んでる女の子なら誰だって知ってるだろ? オレ達は、リリアナ様に選ばれてみんなを守る正義の味方なんだって、ちゃんとみんなに分かってもらわないとなんだからさ」

「い、いかがわしくなんて、ありません!」

「いや、いかがわしいって」

 カトレアは両手の拳を握りしめてふるふると体を震わせているが、サルビアの方は頭の後ろで両手を組んで、まるで取り合わない。


(た、確かに、聖なる花って、ちょっとアレな感じがするけど。っていうか、部活動紹介なのにステージの上であんなこと喋ってて、先生たちに怒られないのかな。……って、あれ?)


 サルビアの言葉に内心同意しながらも、ナズナは生徒会役員や教師たちの反応が気になって、チラチラと様子を窺い、首を傾げた。

 生徒会役員たちは、微笑まし気にうっとりと、壇上の二人のやり取りを見守っている。立場上、その反応もどうかとは思うが、まあ理解はできた。それだけ、あの白いブレザーの自称魔法少女たちは、人気があるということなのだろう。

 だが。役員たちの後ろに用意された椅子で控えてる教師たちの様子にナズナは首を傾げる。教師たちは、怒るでも呆れるでも苦笑するでもなく、ごく普通の顔をしてステージの上を見ていた。壇上で起きていることに、気が付いていないようだった。


(あ…………れ?)


 湧き上がった違和感は、凛とした声にかき消された。

「二人とも、いい加減にしてください! カトレア、そもそも私たちは飛び入りであまり時間もないんですから、必要なことだけ簡潔にお願いします。とりあえず、まずはこのまま自己紹介を」

 カトレアの右隣にいた少女が、二人の間に割って入ったのだ。

 腰のあたりまでの、癖一つない真っすぐな黒髪が目を引いた。キリリとした眼差しの、気真面目そうな美少女は、やたらと姿勢がよかった。


(剣道部の部長とかやっていそうなイメージ)


 教師たちに感じた違和感などすっかり忘れて、ナズナは再びステージに釘付けになった。

「キキョウです。皆さん、よろしく。いきなり、天使とか悪魔とか魔法少女とか、何のヨタ話かと思っているかもしれませんが、これは作り話ではありません。すべて本当の話です。ですが、天使と悪魔の伝説については、これから嫌でも耳にすることになると思いますし、飛び入り参加で時間もないことですので、ここでは割愛します」

 そこまで話すと、キキョウはさっきまで自分の右隣にいたボブカットの少女に、マイクの前を譲った。

「スズランです。皆さま、どうぞよろしくお願いします」

 キキョウの代わりにマイクの前に進み出た少女がペコリと頭を下げた。

 細くて柔らかそうな髪が内側にふわくるんとカールしているのが、良く似合っている。名前の通り、小柄で可憐な少女だった。声も名の通り鈴の音色のようで、もっとその声を聞いていたいと思わせた。

「今回、この場をお借りしたのは、皆さんに伝えておかなければならない、とても大事なお話があるからです。放課後になるとこの学園には、生徒を狙う赤い影の魔物が現れます。私たちはそれを悪魔の使い・ヘビと呼んでいます。ヘビは、この学園に封印された悪魔を開放するために、生徒の魂を狙っているのです。」

 ざわり、と。

 新入生たちの間に動揺が走った。

 みんながみんな、白いブレザーの少女たちの話を鵜吞みにしたわけではないけれど、悪魔に魂を狙われていると言われては、心穏やかではいられない。

「でも、どうか、ご安心ください。この学園に眠っているのは、悪魔だけではありません。天使リリアナ様が、私たちを守ってくださいます。そして、私たちはヘビと戦うためにリリアナ様に選ばれた、魔法少女なのです」

 スズランもまた、話の途中でマイクの前を退いた。

 最後は。

 列の一番左端にいた少女に、自然と視線が集まった。

 肩口の先まで伸ばした柔らかそうな髪は、毛先の方にだけ少しクセがある。サイドの毛を、耳の上あたりで小さなお団子にしているのが可愛らしい。

 皆の視線を集めながらも、怯むことなく少女はニコリ笑みを浮かべ、マイクの前に進み出た。

「最後になります、スイレンです。皆さん、よろしく。さて、今更ですが、リリアナ研究クラブは、正式な部活動ではありません」


(え、ええ!? こ、この流れで、今ここで、それ!? ま、魔法少女の説明は!? そこのところを、もっと詳しく!)


 ナズナは心の中でじだもだした。

 壇上の少女たちの話に、すっかり引き込まれていた。

 騒めく新入生たちを見渡して、スイレンはふふっと微笑んだ。

「私たちは、分かりやすく一言で言うと、つまり……………………天使リリアナ様に選ばれた魔法少女です」

 騒めきが止まった。

 皆、呆気に取られてスイレンを見つめた。


(そ、それはもう、分かったから~)


 一瞬、呼吸を止めた後、ナズナは椅子の上で、両足をジタバタさせた。じれったさに、ついに体の方も動いてしまった。

 スイレンの後ろに並ぶキキョウとスズランが微妙な笑みを浮かべているのが、視界の端に見えた。そんな気はしたが、予定通りの発言ではなく、今のはスイレンのアドリブのようだ。

 ちなみに、カトレアとサルビアは肘でお互いを突き合いながら、小声で何か言いあっている。


「この学園を守るために、リリアナ様からヘビと戦うための力を授けられた、それが私たち魔法少女なんです。みんなを守るために、私たちは毎日、放課後の学園をパトロールしています」


(ふわぁ)


 白いブレザーの少女たちが、赤い影の魔物と戦っているシーンを想像して、ナズナは瞳を輝かせた。

 彼女たちの言うことをすべて信じたわけではないが、それでも、想像するだけでも胸がときめく。ヘビの話を聞かされた時の、心の奥がざわざわするような嫌な感じは、すっかり消えうせていた。

 もしも、ヘビが本当にいるのだとしても、いるのだとしたら。それは、魔法少女も本当にいるということなのだ。

 むしろ、本当であってほしいと、ナズナは思った。

 壇上のスイレンは、新入生たちを見てふわりと優しく微笑んでから、少しだけ悪い顔をした。

「とはいえ、現状。私たちは五人しかいないわけで、この学園のすべてに目が行き届いているわけではありません。もちろん、魔法少女として、みんなのことは全力で守るつもりです。でも、ほら、もしかしたら、急いで駆けつけたけれど間に合わなかった…………ということが絶対にないとは言い切れません」


(………………………………え、えーと?)


 話の展開について行けず、ナズナは首を傾げた。

 魔法少女が守ってくれるから、安心してくださいという話ではなかったのだろうか?

「なぜなら、これは現実の話だから。ドラマでもアニメでもない、現実の話だから。最後が必ずハッピーエンドで終わるっていう保証はないの。きっと、魔法少女が助けてくれるさ~、なんて思って気を抜いていると、その油断が命取りになりかねない!…………だから。だから、みんなにも、各自で自衛をお願いしたいと思います。今日、私たちがこのステージに立ったのは、ヘビから身を守る方法を、みんなに伝えるため。ヘビは赤い影のような魔物です。そしてヘビには、放課後にしか現れない、一人でいる生徒を狙う傾向がある、そして学園の外には出られない、という習性があります。そのことを踏まえて、ヘビから身を守るための『リリ女・放課後注意事項!』をリーダーのカトレアからお伝えしたいと思います。心して聞くように!」

 新入生に向かってにっこりと会心の笑みを浮かべると、スイレンは軽く一礼した。カトレアに目配せをしてから、元の位置へと戻る。

 後を託されたカトレアは、コホンと咳払いをしてから、マイクの前に進み出た。

「えーと。それでは、わたくしから放課後を生き延びるための、リリ女・放課後注意事項をお伝えします。

 まず、一つ。放課後は一人にならない。すぐに帰る。

 二つ。赤い影を見たら学校の外に逃げる。

 三つ。リリアナ様に助けを求める。あ、これは、声に出さなくても心の中で念じるだけでも構いません。

 この三つは、絶対に忘れないようにしてくださいね。それから、もう一つお願いがあります」

 一本ずつ指を立てながら、放課後注意事項を説明した後、カトレアは一度口を閉じて、講堂にいる新入生を全員を、ゆっくりと見渡した。

「きっと、これから、あなたたちの中からも、新しい花…………魔法少女が選ばれることと思います。もしも、あなたの前に天使リリアナ様が現れたら、恐れずに受け入れてください。そして、わたくし達と共に戦いましょう。わたくし達は、新たな花の誕生を歓迎します」

 魔法少女と口にする時だけ、カトレアは少し顔を引きつらせた。けれど、それはすぐに女神の微笑みに搔き消される。

 一年生たちはみな、息を飲んでカトレアを見つめた。

 カトレアだけを。

 その様子を見届けたカトレアは、一層、笑みを深くした。

「それでは、これでリリアナ研究クラブの発表を終わります。皆さま、くれぐれも、赤い影には気を付けて。ご清聴、ありがとうございました」

 優雅に一礼すると、カトレアはステージの左へと向かい、階段を降りていく。後ろに控えていた少女たちも、それに続いた。

 新入生たちは皆、拍手をするのも忘れて、ステージを降りるカトレアの姿をただただ目で追っている。

 白いブレザーの一団が講堂を出て、プログラムの終了を告げるアナウンスが入っても、心ここにあらずの状態で、さっきまで白い制服が並んでいたステージの上を呆っと見つめている。

 まだそこに、白い光が残っているかのように。


(新しい、魔法少女。どうやって選ばれるんだろう? いいなぁ。あの白いブレザー、あたしも着てみたいかも…………)


 アイドルに憧れるような調子で、ナズナはうっとりとため息をついた。

 講堂のあちらこちらから、同じようなため息が聞こえてくる。

 どうやら、そう考えているのは、ナズナだけではないようだ。


 だがしかし。


 肝心の『リリ女・放課後注意事項!』のことは、大半の生徒の頭の中から、すっかり消え去っていた。

 魔法をかけられたから…………ではない。

 それよりも、魔法少女に選ばれて、白ブレザーを着てみたいという憧れが勝ってしまったせいだ。


 この憧れ浮つき気分上昇による危機意識の低下は、後日、ナズナに一つの出会いをもたらした。

 それは、ナズナの人生を大きく変えた、運命の出会いだった――――。

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