闇に堕ちた魔法少女

蜜りんご

第0話 忘れられた神様と三つの願い

 名前も存在も忘れ去られ、すっかり眠りについていたソレを揺り起こしたのは、久しく聞いていなかった柏手の音と、無邪気な少女の声だった。


「リリアナ様。どうか、私たちをお守りください」


 リリアナ様。

 そう呼ばれるのは、初めてだった。

 お守りくださいと祈願されるのは、初めてのことではない。

 眠りにつく前は、毎日のようにその言葉を聞いていた。

 ソレは、かつてはこの地の、この地に住む人々の守り神だったから。


 リリアナ様。

 それが、新しい名前なのだろうか?

 新しい名前と共に、目覚める時が来たのだろうか?

 微睡ながら、耳を澄ませる。


 少女は、二人いるようだった。


「へーえ。この祠の神様、リリアナ様っていうんだ。すごい偶然だね」

「え? ううん。本当は、なんか白っぽい名前だったらしいんだけど、ばあちゃんもよく覚えてないらしいんだよね」

「…………そーなの?」

「うん。私がリリ女に入学するって聞いて、ここに祠があったことを思い出したんだけど、それまですっかり忘れてたらしいよ」

「あー。あんまり手入れもされてないみたいだもんね。忘れられちゃった神様か。でも、いいのかな、勝手に名前とか付けちゃって……」

「名前がなくて、ほったらかしにされるよりいいと思う! せっかく、リリ女のすぐ傍にあるんだし、みんなでお参りして、リリ女の守り神になってもらおうよ!」

「元々、この辺の守り神だったんだっけ?」

「うん。なんか、昔、赤い蛇の妖怪がこの辺で暴れまわってたんだけど、旅のお坊さん? がやっつけてくれたんだって。それで、相打ち?……になった蛇とお坊さんを一緒に祀って守り神になってもらった? なんか、そんな感じらしいよ」

「あやふやな話だなぁ。それにしても、敵同士だった蛇とお坊さんを一緒に祀っちゃうなんて、それが本当の話なら、昔の人って結構乱暴なことするよね」

「ん? うーん、言われてみれば? まあ、昔話だし。それに、昔のことは兎も角、これからはリリ女の守り神だし。さっ、お参りしよ」

 再び、柏手が響く。

「リリアナ様。リリ女…………とと、リリアナ女子中等学園をお守りください」

 ため息とともに、もう一つ柏手が聞こえた。

「しょうがないなぁ、もう。…………………………」

 二つ目の願いは、声に乗せることはなかったが、願いはちゃんとソレの元に届いた。

 騒々しい足音と共に、二人の少女は笑いさざめきながらどこかへと駆けていった。


 賑やかな気配が消え去り、ゆっくりと眠りの底へ沈みかけたソレを呼び止めるかのように、新たな声が聞こえてきた。

 先ほどの二人とは違う、けれど同じ制服を着た少女。

「リリアナ様…………守り神、ね……。ふん、くだらない」

 吐き捨てるように呟きながら、少女の胸の内では、願いとも祈りともつかない思いが激しく渦を巻いていた。

 声には出さなくとも、少女は確かに心の奥底で強く願った。

 その激しさが、ソレを引きとどめる。


 覚醒するでも、眠りに落ちるでもなく、ソレは微睡み続けた。


 リリアナ様。


 新しい名前と、三つの願いがいつまでもいつまでも木魂する。


 少女たちはその後も、何度もソレの元を訪れた。

 その内に、他の少女たちもソレの元へと訪れるようになった。新しい名前で呼ばれることが増え、ソレは少しずつ力を取り戻していった。

 ソレの名を呼ぶものは次第に増えていった。

 少女たちは皆それぞれに、願い事をした。


 それでも。

 ソレの中にいつまでも響き渡るのは、始まりの三つの願いだけだった。



 そして。

 目覚めの時から数年たったある日。


「リリアナ様、どうか…………」


 祈りと共に、一人の少女が祠の上に落ちてきた。


 悲鳴は聞こえなかった。

 ただ、何かが壊れる激しい音と、重いものがぶつかる物音。

 微かに聞こえた吐息は、やがて聞こえなくなり。

 血の匂いが立ち込める。

 大量の血の匂い。

 覚えのある、匂いだった。



 その日。

 長らく微睡んでいたソレは、完全に目を覚ました。


 少女の血と、命を贄として。


 事故なのか自殺なのかは、ソレにはどうでもよいことだった。

 供物は確かに捧げられたのだ。


 少女の最後の祈りを、ソレは確かに聞き届けた。

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