10-緑色の刺繍糸で鈴蘭が刺してあった

 私の目を引いたのは、緑色のワンピース。それは、もう少し薄い緑色の襟が付いていて、緑色の刺繍糸で鈴蘭が刺してあった。共布で作られたクルミボタンが付いた、前開きのワンピースだ。

 胸の下の辺りに共布のベルトがあって、そこから下がふんわりとしたスカートになっている。ハンガーラックに吊るされた状態で見ると、単色のワンピースなのだけれど、前二か所、後ろ二か所にスズラン柄の下のスカートが見えるように切り込みが入っていた。



「それになさいますか? キルヒナーさんも喜ばれますね」

「どなたですか?」

「お嬢様専門のデザイナーさんで仕立て屋さんです。お嬢様のためにいつも新作を作るんですが、着て貰えていなくて」

「それを、私が着ても? 本当に?」

「バルドゥイーン様に着て頂くのも十分に誉ですし、もしかしたら色違いをベアトリクス様が着てくれるかもしれないじゃないですか」


 そんな事はないだろうけどって、小さくシャルロッテさんが付け加えた。それを私は聞いた。聞いたからな。

 まあ実際、ワンピースやスカートが嫌いなひとが友人が着ているから、という理由だけで着ることはめったにないので、シャルロッテさんの反応の方が正しいだろう。


「昨夜お預かりした下着を元に、お身体に合うと思われるサイズの下着をお持ちしております。こちらをご利用ください。あ、こっちももちろん新品です」

「ありがとうございます。下着はさすがに、お下がりは」

「いやですよねー」


 ころころと笑って、シャルロッテさんは一式を渡してくれた。ドレスだったら手伝いが必要だろうけれど、このワンピースなら必要ない。


「お着替えが終わる頃に、また伺いますね、と言いたいんですが、今朝は傷の状況だけ確認させてくださいね」


 ハンガーラックを運んできてくれた人たちは、私が服を選び終わるまで待っていてくれていた。彼女たちは私たちにお辞儀をすると、またハンガーラックを持って出ていく。大変そうだし、明日からは何とか言ってお断りした方がいいのだろうか。ハンガーラックだけお断りすればいいのかな。


 下着たちはまとめてソファにおいて、シャルロッテさんは私を浴室の方へと誘う。薬が残っていたら、水差しで流せるように、との気遣いのようだ。ついでに顔も洗わせてもらおう。そうしたらきっと、もっと目が覚めるだろう。

 浴室に置いてあった、昨日は気が付かなかった椅子に座って、まずは靴下を脱ぐ。そこまでは自分でできるけれど、足の裏の布と、それを押さえている包帯はシャルロッテさんに剥がしてもらう。


「うん、綺麗になってますね」


 痛くない時点でそんな気はしていたけれど、目視でそう告げられるとほっとする。そのまま、ズボンをまくり上げてすねの包帯を外してもらう。

 続いて腕も確認してもらい。二人で顔を見合わせて、ほっと一息ついた。どこもたった一晩で綺麗に治ってくれている。跡すら残っていないのはちょっと怖いけれど、きっと、なんか、こう、魔法とかそういうものが存在するのだろう。

 無かったら怖いから、聞かないことにしておくけれど。

 シャルロッテさんはタオルを水に浸して、足の裏と、脛と、腕を拭いてくれた。私にはよくわからなかったけれど、やはり少し薬が残っていたようで、それをふき取ってくれた。


「ありがとうございます。助かりました。ギーゼラさんや、ビアンカさんにもお礼をお伝えください」

「報告するように言われてますから、その時一緒に伝えておきますね」


 着替えが終わるころまた来ますね、と声をかけて、シャルロッテさんは部屋を後にした。私にまかれていた汚れものとかをかごにひとまとめにして、退室していった。

 簡単に着替えて、鏡台にあったブラシをお借りして、髪の毛を整える。シャルロッテさんが来た時に、手櫛で整えただけだったけれど、子供の時ほどこんがらがってはいなかったので、まあ良しとすることにした。

 もしかしたらお化粧とかする必要があるのかもしれないけれど、今手元には何もない。化粧ポーチはいつの間にかどこかに行ってしまっていたカバンの中だし、そもそも基礎化粧品の類は家だし。

 今朝不自然にハンガーラックに混ざっていたあのドレスを着るようなとき以外は化粧を特にしなくてもいい文化だと楽なんだけれど、それは後で聞く事にしよう。聞かなくても分かるかもしれないけれど。


「お待たせいたしました。朝食に参りましょう」


 ソファに座ってぼんやりと待っていたら、シャルロッテさんが迎えに来てくれた。昨夜夕飯を食べたのが何時かは知らないけれど、お腹は空いている。そういえばこの部屋、時計ないなあ。


「食堂は一階にあります」

「はい」


 シャルロッテさんに先導されて、可愛いワンピースに昨日森の中を疾走したパンプスで朝食会場へと赴く。靴だけは、足に合ったものを後日あつらえましょう、とシャルロッテさんに言われてしまっている。どうにも、「市販品」とか「既製品」というものがないようだ。服も自宅で仕立てるか縫い直すかで、靴は特別な職人以外は作れないそうだ。許可がないと販売できない、作成できない、とかではなく、単に職人じゃないとうまく作れない、ってことらしい。

 まあ、私のパンプスは昨日私が着ていたものの中では比較的ダメージが少なく、靴の底にこびりついた土を洗えばまだ履けるんだけれど。はく靴はある、というのは、それだけでありがたいことらしい。

 廊下に出て、足音を吸われるくらい毛足の長い、しかしふわふわして歩きづらいという事のない、つなぎ目の無い絨毯の上を歩いて、昨日の階段まで行く。外から見た感じは二階建てってことはなさそうだったから、他の場所にもっと上階に行く階段はあるのだろう。ご当主様の絵画の前を通って、玄関ホールへ。

 そういえば前に、玄関ホールでパーティをやるってシーンを何かの小説で読んだけれど、ここなら可能そうである。グランドピアノを運び込んでのダンスパーティとかは難しそうだけれど、立食パーティなら可能そうだ。

 なるほど、海外は、いやここは海外どころの話じゃないけれど、広いのだなと変なことを考えながらシャルロッテさんの後に続いた。

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