09-赤い四本腕のクマさんの夢すら見ずに、私は目を覚ました。

 疲れていただろうし、混乱もしていただろう。あのよく分からない赤い四本腕のクマさんの夢すら見ずに、私は目を覚ました。

 興奮はしていただろうけれど、それ以上に何もかもをリセットしたかったのだろう。一旦リセットしないとやってられないと、脳みそも体も考えたとしても不思議ではない。私もリセットするのに大賛成である。

 なんでこんなことを悠長に考えているのかというと、あれである。小説とかでよく見る、見覚えのない天井。あれを私は体験していた。

 普通に生きていたら、救急車で運ばれる途中で意識不明になって、病院で目を覚ました、くらいしか起き無さそうなあれである。

 昨夜、私は天井を覚える間もなく眠りについたようで、目が覚めてしばらくは訳が分からなかった。

 そして、思い出してしまったので、現実逃避をしていた。要するにそういう事である。おはよう、私。

 寝返りを打って横を向けば、確実に我が家ではない。いやそもそも我が家はこんなにいい布団ではない。多分部屋に入らないんじゃないかな、このベッド。組み立て式とか圧縮とかそういう力を使って部屋の中に入れることはできても、それだと生活スペースがなくなりそう。


「おはようございます!」


 ところで今は何時かな、朝かなと考えていたところで、シャルロッテさんが入ってきた。今日も元気である。

 ハンガーラックを数人がかりで部屋の中に持ち込んで、自身はさっさと窓まで歩いて行ってカーテンを開ける。シャッと小気味のいい音を立ててカーテンが開くと、明るく柔らかい陽の光が入ってきた。


「お屋敷のこちら側からは、街がよく見えるんですよ。窓辺までいらっしゃいませんか」


 歩けるだろうか。昨日の夜は、あんなに足が痛かったのだ。今だって痛い気が……体重をかけていないからだろうか、痛くない。

 それに気をよくした私は、起き上がり、そっと床に足を下した。


「あ、痛くない!」

「昨夜治療したじゃないですか」


 あきれ顔のシャルロッテさんのそばまで歩いて行きながら、私は首を横に振った。


「私のいたところでは、こんなにすぐは治りませんでしたよ」


 ちょっとした傷なら、翌朝には痛くないこともあったけれど、昨日の靴擦れはちょっとではない。翌日も足が痛むのを覚悟するレベルだった。間違いなく。


「あれ、そうなんですか。じゃあバルドゥイーン様はこちらの薬が体に合うんですねぇ」

「ああそうか、拒否反応とか出る可能性もありますよね」


 アレルギー、こっちでどれだけ浸透しているか知らないけれど、それで拒否反応が出る可能性だって皆無ではなかったわけで。今更それに思い当たってちょっと背筋が寒くなった。特にこれといったアレルギーがなくてよかった。花粉症くらい受入れる。

 窓の外は、異国の街並みが広がっていた。いやまったくもってその通りなのは分かっていたはずなのだけれど。昨日もカリーナの上から見てはいたし。


「わぁ……!」


 それでも、声は出てしまう。

 お城のさらに奥にある丘の上から見るのと、お城から眺めるのとではこうも違うのか。距離があるから、活気があるとかそういうことは立ち上る煙からしか分からない。それはオレンジ色で統一された屋根の間から幾筋ものぼっているけれど、それが家々の煙なのか、それともパン屋さんとか鍛冶屋さんとか、そういった店の煙なのかは分からない。

 ここから遠目に見える街並みは、異国情緒抜群で、自分が自分の意思ではなく、異国に来たのだと否応もなく感じさせられた。

 私の知ってる街並みとの違いに困惑はもちろんあるが、でも不思議と、私はもう帰れないのだ、という確信はなかった。


「本日は、四着準備しました」


 私が窓の外を見て呆けている間に、シャルロッテさんは部屋にあるほかの窓のカーテンも開け、何なら窓も開けて換気もしてくれていた。彼女が有能なのか、私がぼんやりしているのかは考えないことにしておこう。昨日の今日だしまだ許されるはずだ。あと朝だし!

 声化をかけられたのでハンガーラックに目をやれば、五着が吊るされている。そばまで寄ってみてみれば、白いブラウスが一着に、水色のスカートが一着。おそらくは膝丈程度と思われる黒いズボンが一着。それから緑色のワンピースに。


「なんか一着おかしいの混じってませんか」

「せっかく庶民が貴族の家に来たわけですから、ご興味おありかしらって」

「あるかないかで言ったらありますけれど、遠慮したいですね」


 着てみたい、と、思わないわけではないけれど。これからその貴族に会うのにこのドレス、と言っていいものは違うんじゃないかと思う。勿論これを着るように、と指定されたのであれば、仕方ないといそいそ着るけれど。


「ちなみに実際着るとなると、コルセットをこれでもかとぎゅうぎゅうに締めますので、お覚悟ください」

「遠慮したいですね!」


 そんな事をお喋りしながら、残りのブラウスとスカートズボンとワンピースを見る。スカートもズボンもワンピースも、裾に丁寧に刺繍が施されているし、ブラウスの袖回りも同様だ。


「こちらのお洋服はすべて、ベアトリクス様のお洋服です。どれもまだ手を通されていませんので、お気になさらず」

「ベアトリクスさんは、衣装持ちなんですか?」

「一応当家で唯一のお嬢様ですから、それなりにドレスもお持ちですが、基本は騎士服で過ごされていますね」

「それなら、ズボンははきそうですけど」


 動きづらい、とかあるのだろうか。


「そちらのズボンは単に、まだおろしていないもの、というだけです」

「さすがにそれをお借りするわけには」

「じゃあスカートになさいます? ベアトリクス様スカートもワンピースも着ないので、もう昨日の夜からみんなでどれをバルドゥイーン様に着てもらおうかって盛り上がっちゃって」


 その緑色のワンピースは、もう少し薄い緑色の襟が付いていて、緑色の刺繍糸で鈴蘭が刺してあった。共布で作られたクルミボタンが付いた、前開きのワンピースだ。

 胸の下の辺りに共布のベルトがあって、そこから下がふんわりとしたスカートになっている。ハンガーラックに吊るされた状態で見ると、単色のワンピースなのだけれど、前二か所、後ろ二か所にスズラン柄の下のスカートが見えるように切り込みが入っていた。

 なにこれ可愛い。

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