06-そっとつま先から絨毯の上に足を下す

 シャルロッテさんの手に自分の手を乗せ、そっとつま先から絨毯の上に足を下す。お高そうな絨毯だけれど、汚してもいいのだろうか。血が出ていたかどうかは分からないけれど。


「ッツ!」


 かかとまでしっかりと下したところで痛みが走る。ぎゅ、と彼女の手を握ったら、握り返してくれた。そしてさっと私の腰に手を回し、体を支えてくれる。


「大丈夫ですよ、バルドゥイーン様。シャルロッテはここに居りますから」


 なんだがとても心強い。心強いだけで、足の裏は痛いままだけれど。まあそれでも、痛いのは生きてるからだ。私はあのクマのご飯になってない。だから痛い。

 分かってるけれど、痛いものは痛い。

 シャルロッテさんに縋り付きながら、勿論体重をかけるようなことはしないで、お風呂場まで歩いていく。腰を支えてもらって、縋り付いていいよって手を差し出して貰えるのって、こんなに心地いいものなんだ。今度誰かが弱っていたら、手を差し伸べられる人間になりたい。

 友達とか。兄弟とか。家族とか。


 ドアの向こう側は、タイル敷きだった。ドアのところにはタオルが敷いてあるけれど、後はタイル。お湯で濡れてもいいように、ってことだろう。

 部屋には小さい窓があるだけで、他は石造り。人が一人は入れるサイズの、白というよりは灰色の陶磁器製と思われるバスタブが一つ。お湯の色は緑だ。


「擦り傷や切り傷によく聞く薬湯です。アデーレさんの調合ですから、よく効きますよ」

「アデーレさんは、薬剤師さん? なの?」


 薬剤師が果たして温泉の素を調合するのだろうか。調合師さんの方が正しいのだろうか。


「薬湯自体を作るのは、街の薬さんなんですが、アデーレさんはそのチョイスが上手なんです。お風呂に入れるときにいくつかの薬湯を調合してとてもよく効くようにしてくれるので、ついついそう呼んでしまうのですが」

「私たちの所では、こう、最初からボールみたいな形で売ってるからなあ。その、バスボムにするのが上手、ってことなのかな」


 二人そろって、首をかしげる。

 それぞれ違う常識の世界に生きているから、すり合わせるのは大変そうだ。そしてそれは今ではなくてもいいとどちらからともなく理解して、私はバスローブを脱いだ。


「お預かりしますね」

「お願いします」


 バスローブの下の下着も脱いで、それもシャルロッテさんに渡し、私はゆっくりとお湯に浸かった。

 お湯はぬるいくらいだと最初は思ったけれど、浸かっているうちに気持ちよくなってきたから、適温だったのだろう。お湯はもっと傷に沁みるだろうと思っていたけれど、思いのほか痛くない。思いのほか、ってだけなので、足の裏も足首も脛も腕も痛い。じわじわじわじわ痛い。


「それじゃあ軽く洗いますね」

「はぁい」


 お湯に蕩かされた私は、申し訳ないとも思わずにシャルロッテさんにされるがままだった。柔らかい布にいい香りのする石鹸の泡をつけて、優しくこすってくれる。これもとても気持ちがいい。


「眠っちゃだめですよー。もうちょっと頑張ってくださーい」


 腕を洗いながら、シャルロッテさんが声をかけてくれる。


「がんばりまーす」


 としか言いようがない。

 お湯はとてもぬるくていい気持ちだし、体を洗ってくれる手も優しくてとても気持ちがいい。

 かくなる上はお喋りしかないだろうか。という気合で臨んで、何とかお風呂で眠りこけることもなく、上がることができた。ひとえにシャルロッテさんのおかげである。


「まずは、こちらのバスローブを着てください」


 最後に頭をマッサージされながら洗われて、端から端までぺっかぺかになった。少なくとも森の中を全力疾走していた時と比べればピカピカだと思う。洗い流されたから浴槽の中は泡だらけで、床も濡れているのに、どうしたことかシャルロッテさんは濡れていない。不思議なこともあるものだ。

 下着なんてつけていないけれど、そもそも体は濡れたままなのだけれど、と思いながら渡されたバスローブを羽織る。タオル地でできているから、水滴はバスローブが吸い取ってくれる。だから、バスローブがタオル代わりなのだろうか。

 部屋と繋がるドアを開けて、シャルロッテさんが部屋へと戻る。私も、それについていく。足の裏は、不思議と歩いても痛くない。いや、痛みはあるんだけれど、悲鳴を上げるほどではない。薬湯がとても効いたのだろう。お湯でふやけているだけかもしれないけれど。


 痛くないから、どっちでもいい。


「こちらへ」


 ギーゼラさんが、さっきは無かったはずの横になることができる長椅子の所で待っていた。寝椅子、って奴だろうか。まずは横にならずに腰掛ける。ダメならそう言われるだろう。


「まずは、腕から塗っていきますね」


 隣に腰かけたギーゼラさんが、優しく私の手を取る。


「慣れない臭いが少し不快かもしれませんが、薬ですので我慢してください」

「はい」


 不快な臭いなのかと少し身構える。

 ギーゼラさんは素焼きのような壺の、蓋になっている皮を取った。確かに嗅ぎ慣れない臭いだけれど、何だろう、薬草臭いというか。


「すごい効きそうな臭いですね」

「そう言っていただけると助かります。薬師が二十五種類の薬草を煎じて作る傷薬になります」

「そんなに使うんですか」

「作成に日数もかかると聞いていますよ。騎士団では大量に使うので、専門の薬師の方が毎日大鍋で作っているとか。ご興味があるのでしたら、後日温室に行かれますか?」

「珍しいお花とかもありますし、今度ご案内しましょうか」


 どこかに行っていったシャルロッテさんが戻ってきて、提案をしてくれる。

 正直、草花に詳しくないし、温室に興味もない。これまでの人生で植物園に自分の意思で行ったことはないように思う。学校の移動教室とかで、行ったような記憶はほんのりあるけれど。

 お花屋さんの前を通ると、綺麗だな、と思う程度で。


「知識のない人間が行っててもいいものでしょうか」

「暇つぶしですって伝えておけば、多分ずっと説明してくれますよ」


 どこの世界もオタクは一緒なんだ! 好きなことを興味を持ってくれた人に語りたいのは分かるので、考えておくことにする。


「それじゃあ反対の腕をやりますね。私が移動しますので、バルドゥイーン様はそのまま座っていてください」

「包帯も巻いてしまいますね」


 ギーゼラさんの座っていた場所にシャルロッテさんが座り、薬を塗ってくれば所に薄い布を置いて、優しく包帯を巻いてくれた。

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