色集めの午後

佐倉千波矢

色集めの午後

 カーテンをさっと開けると、明るいオレンジ色の日差しが部屋にあふれた。ひんやり冷たい風は、うっすらと色づいてレモン色だ。昨夜の雨に洗われて、外の景色がなんだか新しくなったように思える。


 春はまだ浅く、家の前に広がる原っぱに花はまばらで、焦げ茶色の地面をうっすらと淡い緑が覆っている。向こうの木立ちは常緑樹だからいつだって濃い緑だけど、今朝は黒っぽさが薄れて柔らかな緑に変わっていた。空は少し煙ったような青。青い絵の具にほんの少し白い絵の具を混ぜたときの色だ。


 春は何もかもみんな、優しい色にする。


 その景色の中を、左の方から誰かが歩いてきた。遠くてよくわからないけど、女の人のようだ。大きな鞄をさげたその人は、どんどん原っぱの中を進んでいった。


 やがて真ん中辺りに辿り着くと、その人は鞄を下ろし、中から何か取り出して組み立て始めた。見る間にそれは片端に三脚がついた棒になった。地面に三脚を据えると、次に鞄から大きなボールを取り出して棒の先っぽに載せた。しばらくボールをいじってからその人が離れる。棒はゆっくりと上へ伸び上がっていった。


 ようやくぼくはそれが何なのかわかった。色を集める装置だ。そうか、あの人は春の始めの原っぱの色を集めに来たんだ。


 急いで階下のキッチンへと下りていった。


「お母さん、そこの原っぱに色集めの人が来てるよ」


 お母さんは朝食の支度をしていた手を止めた。


「まあ、そう。そろそろ春の色を出荷するんだわ。穏やかないいお天気だし、きっと色集め日和ね」

「こんな近所で色集めなんて初めてだね」

「ほんとねえ。でも邪魔しちゃだめよ」

「うん。学校でこの間先生が言ってた。色集めの機械は調整がとても難しいんだって」

「そうよ。とても大切なお仕事だしね。さあ、着替えてらっしゃい。もうすぐご飯よ」

「はーい」


 部屋に戻ったとき、もう一度原っぱの人影を捜した。三脚の隣に椅子を並べて座っている。その頭上に、色集めの球体が太陽の光を受けてキラキラしていた。


 午後、学校からの帰り道、ぼくは原っぱを横切ろうと思い、道路から逸れてまず林の中に入った。ぼくの背たけの何倍もある高い木々は、そよ風に揺れてさやさやとおしゃべりしあっている。林を通る散歩道は薄暗く、土の焦げ茶も木の幹の褐色も葉の緑も、色合いが深い。所々に白い木漏れ日が差し込んでいる。


 とても静かで、ぼくの心も静かになる。


 林の中ほどで「あれ?」と思った。木々の間で男の人が折りたたみ椅子に座り本を読んでいて、そばには細長い棒が立っている。見上げると棒の先にはやはり球がついていた。


 ここでも色を集めていたんだ。春の始めの林の色かな?


 ぼくはそっと通り過ぎた。


 じきに林を抜けた。明るい原っぱが開けている。目を凝らすと、棒とその先っちょの球体が見えた。でもそばに人影はない。どうしたんだろう? 誰も付いていないのかな?


 ぼくは色集めの装置に向かって駆けていった。


 少し離れたとこで立ち止まった。やはり誰もいない。球を掲げた長い棒だけが突っ立っている。


 息を切らしながら思った。今なら近くでじっくり見られる。ううん、寄っちゃだめだ。ぼくのせいでせっかく朝から集めた色をダメにしちゃったらどうするのさ。色はこの国の重要な輸出品なのに。


 だけど自然に足が動いて、いつの間にかぼくはかなり近くに寄っていた。球体を見上げる。ずっと高いところにあって、とても手が届かない。たぶんスイッチをどれか入れたら棒が縮むとは思うけど。


「それに触らないでね」


 突然後ろで声がして、ぼくはほんとに飛び上がってしまった。


「触ってません。見てただけで」


 あわてて答えながら振り向いた。そこにはショートカットの若い女の人が立っていた。たぶん朝見た人なんだろう。


「びっくりさせてごめんね。でもこの装置、調整がけっこう面倒なの」


 女の人はにこっと笑った。感じのいい人でよかった。


「近寄っちゃいけないって思ったんだけど、誰もいなかったからつい……」


 ぼくはしどろもどろに言い訳した。


「そうね、離れてた私もいけなかったわ。交代の人が来れなくなってしまって、少し休憩を取ってたのだけど」

「そうなんですか。あ、向こうの林にも、色集めしてる人がいましたけど」

「ええ、今日はこの地域に大勢来てるわ。それで人が足りないの。春の色は淡いから、こういうよく晴れた日でないとね」


 ピピピ、ピピピと電子音がして、女の人はポケットからカード状のものを出した。


「見ててもいいけど、ちょっと離れてね」


 カードを三脚に向けると、棒がゆっくりと縮み始めた。このカードがリモコンらしい。


 じきに球が目の前に降りてきた。中をのぞき込みながら、カードで何か操作する。少ししてまた棒が伸び、球体は元の高さに戻った。


「こうやって十五分おきにチェックするの」


 見つめていたぼくに、女の人は説明してくれた。それから両手を上にあげ、軽く伸びをして空を見上げた。


「今日はほんとに、色集め日和だわ」


 ぼくも空を見上げる。


「色集め日和っていうの、なんとなくわかるような気がします。今朝起きてすぐ窓からこの原っぱを見たとき、すごくすごく綺麗でしたから」

「つくづく綺麗なところよね、ここは。この星には、どこにでもたくさんの色があふれてるわ」


 そこで女の人は急に肩をすくめて、ため息をついた。


「それにひきかえ、灰色星ときたら……」

「灰色星って、色の輸出先ですよね。お姉さん、行ったことあるんですか?」

「仕事で何度かね。色を取り出すほうの作業をするの。でも行くたびに気が滅入っちゃう。あの星ときたら、名前の通り何もかも灰色なのよ。空も海も山も川も、木も草も花も。すべて灰色。この星で集めた色を取り出して、景色に色がついて、やっと息ができるような気がしたわ」


 ぼくにはすべてが灰色の景色なんて想像もできなかった。この原っぱや林や空が灰色一色に塗りつぶされてしまったら、すごく悲しくなるだろう。灰色星の人たちは、よくそんなとこにいられるなあ。


「ぼくはそんなとこには住みたくないです」

「わたしだっていや。仕事で行くのも気が重くなるくらいだもの。あの星に以前はちゃんと色があったなんて、ちょっと信じがたいわ」

「えっ、そうなんですか?」

「あら、まだ学校では習っていない? それならそのうち習うんじゃないかしら。なんでもわたしたちの星と同じくらい、色の豊かな綺麗なところだったんですって。といっても、昔の話よ。大昔の話。灰色星がまだ、地球という名前で呼ばれていた頃のこと」

「何で色がなくなっちゃったんですか?」

「自然を汚して、台無しにしてしまったから。……工場がたくさんできて廃液で水を汚し、自動車が走りまわって排気ガスで空気を汚し、大量の農薬をばらまいて土を汚してしまったの。ほとんどの人がそんなことは気にもしなかったんで、汚れる一方だったらしいわ。そのうちふと周りを見回したら、色というものが灰色以外なくなってしまってたんですって。色を取り戻すために、それこそ様々なことを試してみたらしいけど、結局は他の星から輸入するしかなくなってしまったそうよ」

「どうして色がなくなってしまう前に、大事にしようって思わなかったんでしょう?」

「本当に大切なものは、失って始めて気が付くと言うでしょ。人って当たり前のことは、すぐに見過ごしてしまうから……。色が重要な輸出品だというのは、わたしたちにとってはいいことよね。おかげでこの星の人はみんな自然を大切にするもの。いつも大切にしようって思う心がなかったら、この星も灰色星みたいになってしまったんじゃないかしら」


 灰色星みたいになっちゃうなんて、絶対いやだ。ぼくは朝の景色を思い出していた。ああ、そうか。あの景色が『本当に大切なもの』の一つなんだ。


 またピピピ、ピピピと音がした。お姉さんは「ちょっと待っててね」と言って、球体をチェックした。


 そのあと、色彩採取機(というのだそうだ)のチェックの合間に、色集めの話をいっぱいしてくれた。北の地方で雪の色を集めたときのこと。南の地方で熱帯植物の色を集めたときのこと。海の色。草原の色。砂漠の色。氷原の色。ぼくは夢中になって聞いていた。


 やがて夕暮れとなり、辺りがぼんやりしてきた。まだまだ話を聞きたかったけど、すっかり暗くなる前には家に帰らなきゃいけない。ぼくはお礼とさよならを言ってから、家へ向かった。


 原っぱのはずれで振り返った。夕暮れの色を集める姿が小さく見える。原っぱは淡い紫色に包まれていた。木立ちは群青色の影になり、空は東端の方から少しずつラヴェンダー色に変わっていく。木々の上には白い三日月がかかっている。


 ぼくはしばらく、その景色に見とれていた。


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色集めの午後 佐倉千波矢 @chihaya_sakurai

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