第5話

「最悪だ……」


 いつの間にか眠っていたらしい。


 目を覚ますと、身体中が汗を搔いていた。しかも、また匂いが濃くなっている。もはや息苦しさすら感じるほどで、雨が降っているのもお構いなしに窓を開けるが、匂いは消えない。だが、閉めているよりはマシな気がした。


 電話が鳴る。


 和はうんざりする思いでスマホを手に取るが、優菜ではなかった。電話に出ると、同僚の伊川潤は開口一番「明石優菜が死んだ」と言った。


 さらに伊川は続ける。


 曰く、出社しない優菜を訝しがって彼女の友人が家に行ったらしい。すると、玄関扉は開いており、リビングで優菜が死んでいた。ただ、死体には妙な点があったらしい。


 そもそも彼女の友人が優菜の死体を発見できたのは、匂いのせいらしい。ただし、腐敗臭ではない。家の中に入った途端ミルクのような甘い匂いがし、それが濃くなる方へ行くと、リビングで優菜が死んでいるのを見つけた、と。


 そして、彼女の死体は粘りつくような甘い匂いを放っていたそうだ。


 和が口を挟む余裕がない程捲し立てていた伊川だが、急に大人しくなった。


「――お前、大丈夫か?」


「大丈夫じゃねぇよ。匂いがまるで消えない」


「匂い?」


「ああ、ミルクみたいな甘い匂いだ。優菜とこないだ会った時も、同じのがしてた。死んだ時も、ミルクみたいな匂いがしてたんだろ? 日に日に濃くなっていってるし――俺、呪われてんのかもな」


 乾いた笑いが出る。もはや笑うことしか出来ない。優菜が死んだことを聞いて、納得してしまった。この匂い、そう呪われているのだ。


 呪われる理由など知らない、思い当たる節もない。だが、現実問題として匂いは日に日に濃くなっている。


 伊川は、もうおかしくなっていると思ったのかもしれない。少しだけ話した後、すぐに切れてしまった。


 夜――雨が強くなりすぎたため、窓を閉め、ベッドに入る。


 匂いが濃くなったあたりから、なんとなく除霊師のような人間達はネットで探していた。それとなく、友人たちにも聞いてみていたが、どいつこいつも胡散臭さしかなかった。しかも、成功報酬がやたらと高い。詐欺だということを隠す気があるのかすら疑わしかった。この手の奴で金をとる奴は信用できない。他の事なら逆なのだが。


 優菜が死んだ――しかも、あの電話の後に。明らかに発狂していた彼女の声。


 伊川の声が蘇る。


 匂いがしたらしい。ミルクのような濃い匂いが。


 リビングで死んでたんだ。


 彼女の死体からはドロドロとした粘ついた甘い匂いが――


 窓から音がした。身体が強張る。考えていたことが考えていたことだけに、嫌な想像ばかりが頭に思い浮かぶ。


 また、音がする、はっきりと。中にいるのは分かっていると意思を示すように。問いかける様に。


「――開けて」


 雨音の合間にはっきりとそう聞こえた。女性の声。どこかで聞いたことのある声。懐かしさを感じる声。


 音は続く。雨音が聞こえるのに、妙にくっきりと耳に入る。続く、女性の声はもっとはっきり頭の中に響いた。


「――入れて」


「中に――」


「ねえぇ――」


「和くん、中に入れて――」


 真奈だ。途切れ途切れに聞こえる声は、真奈そのものだった。死んだはずなのに。この目で確かに見たのに。彼女の自殺体を。焼かれるところを。いないはずなのに。


 彼女の声が呼び掛ける。死者がせがむ。


 ――まさか、この呪いは真奈がやっているのだろうか。なぜだ。彼女はこんなことをする必要がないだろうに。自殺はしてしまったのは、あんなのは勢いでやってしまっただけだろう。


 中に入れてやりたいのは山々だが、本物かは分からない。ただ、ここはマンションの十階。しかも、窓の外は何もないはず。ただの壁だ。人間ではありえない。


 そうだ。真奈がこんなことをするはずはない。彼女は反抗的だったが、最終的には自殺と言う形で自分のものになってくれた。そういうことだ。真奈が自分を恨んでいるはずがない。


 ――じゃあ、外にいるのは誰だ?


 声は途切れることなく聞こえる。かすかだが、しっかりと。その存在を主張し続けている。

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