第一部 冒険者たち

武勇

 鬱蒼うっそうとした森の中を、ジーニアスたち三人は無言で歩いていた。

 折角、ガタイのいい体に設定したというのに、こうも狭い道では窮屈でしょうがない。


 前方には、辛うじて道と呼べそうな小径こみちが果てしなく続いているように見える。奥までしっかりと視認できないのは、無数に伸びている木の枝が進行を阻むように生えているからだ。


 それは長いこと人が通っていなかったことを示唆していると同時に、これ以上進むなという暗示にも思える。だが、ジーニアスたちにとってそれは当然でもあり、問題はそこではなかった。


「なぁ、アンナ。いつになったら森を抜けられるんだ?」


「なによ、ジーニアス。もう疲れたの? 多分もうすぐよ、多分……ね」


 一番後方にいるアンナが右手に持った地図を凝視したまま答えた。左手に持っているオーブは、前途暗澹ぜんとあんたんと言いたそうにかげっている。


「もうすぐもうすぐって、三十分ぐらい前にも同じことを言ってたじゃねぇか。アンナ、お前ほんとに地図読めてんのかよ?」


 唸っているジーニアスの代わりに、中央にいるライナがぼやいた。


 ライナは道の途中に生えていた得体の知れない果実を、自慢の短剣で枝から斬り落としてかじっている。


「ええい、うるさいうるさい! 私だって真剣なんだから、文句言わないの!」


 アンナが左手に持っているオーブで、短く刈り込まれているライナの頭に打撃を与える。頭蓋骨にヒビでも入ったんじゃないかというほど鈍い音だったが、当然この世界ではそこにダメージは表示されない。仮に表示されていたとしたら相当な数値だったに違いない。


「うぎゃっ! 痛ってぇーな、何するんだよ。この暴力女!」


 ライナが反撃しようと食べ終えた果実の芯を投擲とうてきしようと振りかぶる。それを見ていた先頭のジーニアスが果実の芯をひょい、と取り上げた。


「喧嘩はよさないか。地図を読めるのはアンナだけなんだから、彼女に頼るしかないだろう」


 ジーニアスは自分で言っておきながら、本当にアンナは地図を読めているのかと不安になる。だが、だからといって自分やライナが見ても何も分からないのだから、考えるだけ不毛か、と自己解決した。


 ライナが納得いかない様子で舌打ちしながら視線を上空へ向ける。つられてジーニアスも顔を上げた。上空は木々が果てしなく伸びており、ほとんど空を覆い尽くしている。かろうじて見える日差しからして、もうすぐ夕方になるだろう。


 ジーニアス、ライナ、アンナの三人は朝方に『はじまりの村』を出立して、今は樹海を北上していた。


 目的は、北にあるといわれている王都。そこを目指しているわけだが、幾つかの障害がある。まずこの樹海を抜ける。そして鉱山を越えて、湖までも越える必要がある。


 長い旅はまだ始まったばかりだが、こうも同じ景色だと飽き飽きしてくる。とはいえ、この世界にはまだまだ知らないことが沢山ある。それを楽しむのが、冒険の醍醐味だ。


 しばらくして、夜が訪れた。


 ただでさえ木々に覆われて薄暗かった森は、まるで死んでいるかのような静けさを漂わせる。ジーニアスたち以外に音を発するものはおらず、静寂が森を支配していた。


 ジーニアスの提案で、小径のすぐ横にあった開けたスペースの草を刈り、休息場所を作った。草を刈ったのは短剣を二本も器用に扱えるライナだ。


 そして筋肉だけが自慢のジーニアスは、木の枝など薪になりそうな物をせっせと集めた。その様子を、アンナは地図とオーブを抱えて見守っていた。


 ある程度の木の枝が集まったところで、ようやく出番とばかりにアンナがオーブに魔力を注ぎ込む。淡い光がオーブの中に浮かび上がり、辺りが明るくなる。アンナが魔法を詠唱すると、途端に木の枝が炎を上げた。下位の炎魔法である。


 各々が荷物を置いて、焚火を囲うように腰掛ける。


「どれぐらい休憩するの?」


 既に光の消えたオーブを愛おしそうにさすりながら、アンナが訊いた。


「ああ……」

 ジーニアスが背負っていた盾を地に下ろす。

「今日は野宿だなぁ」

 

「は……?」


 アンナが口をあんぐりと開けた。


 その近くを羽虫が飛んでおり、アンナの開いたままの口内へと吸い込まれるように入っていった。


 ライナが「あっ」と声を出したときには時すでに遅く、アンナは顔を顰めてぺっぺっ、と吐き出してからオーブを置いたかと思うと、腕を振り回して暴れだした。


「やだやだ! 野宿なんてあり得ないわ、絶対に無理! ちょっと、何とかしなさいよー!」


「まーた始まった。これだからお嬢さんは」


 ライナが嘲笑ちょうしょうすると、アンナは拳をぎゅっとして黙った。獰猛どうもうな獣のようにうぐぐ、と唸っている。


「これも冒険の醍醐味だと思って楽しもうじゃないか。さぁ、とりあえず適当に何か食べよう」


 ジーニアスが荷物から鍋を取り出して、焚火の上に器用に設置した。


 事前に持ってきておいた根菜類や、肉類をライナが短剣で素早く捌いていく。それを見ていたジーニアスがおお、と感嘆した。


「凄い器用だな、ライナ。いやぁ……いい奥さんになるね」


「何言ってんだ、俺は男だぞ」


「ああ、すまん。そうだったな、どうも中性的な顔立ちだから……」


「仮に俺が女でも、お前みたいな筋肉だけのような男は勘弁だけどな」


「なんと! この美しい筋肉の良さが分からんというのか?」


 ジーニアスは着ていた鉄鎧を脱いで、腕まくりをしている。そこに現れた上腕二頭筋は、ライナとアンナの腕の太さを足しても足りないんじゃないかというほど大きく、太かった。


「はいはい、分かったから。もうそれ何回見たと思ってんだよ全く……。それよりアンナ、鍋に水入れてくれ」


 ライナがぶすっとした顔のアンナに言うと、渋々といった様子で再びオーブを使って鍋を水で満たした。


「なんか私……いいように使われてない?」


「アンナというより、オーブがな」


 ひどい、とべそをかくアンナに、ライナがにやにやと笑いかける。ジーニアスはてきぱきと具材を沸騰した鍋の湯に浸していた。


 しっかりと煮込んだ鍋は、あっという間になくなった。不貞腐れていたアンナが一番食べていたが、彼女がそれに気付いた様子はなかった。


 それから三人は少し談笑したものの、すぐに眠気が襲ってきて口数が減る。やがて、ジーニアスが集めた小枝が底をつき、三人がうたた寝している間に火は消えた。


 暗い森は、深閑しんかんとしている。そのなかで、不満を漏らしていたアンナのいびきが、ぐーぐーと異質な音を響かせていた。


 だがそれ以外の音が鳴ったのを、ライナは敏感に感じ取っていた。


「……おい、起きろ。何かがいる」


 その声に普段のふざけた様子は感じられず、ジーニアスとアンナはすぐに体を起こすことができた。ライナは既に短剣を構えている。


「なんだ?」

 ジーニアスが片手剣を左に、大きめの盾を右に構える。

「誰か、人がいるのか?」


「こんな夜更けの虫だらけの森に人がいるとしたら、ゾンビかもね」


 アンナがオーブに魔力を注ぎながら冗談を言った。魔力が蓄積されるのに比例して、次第に周囲が明るくなる。木々のあいだでうごめいているものを、ライナが捉えた。


「オオカミだ!」


 ライナが叫ぶ。

 それと同時に、アンナの背後に忍び寄っていた一匹のオオカミが、大きく飛び上がった。


「きゃあ!」


「任せろっ!」


 ジーニアスが盾を斜めに構えて、オオカミを受け止める。


 ガコッ、と鈍い音が響く。その衝撃が森を伝い、何枚もの葉が揺れた。まるで森があざ笑っているかのようだ。

 だが、笑っているのはジーニアスだった。


「その程度か……? ふんっ!」


 ジーニアスは盾で受け止めたオオカミを真上へ投げた。重力に逆らえずに落ちてくるオオカミの中心部分に片手剣を突き立てると、驟雨しゅううのように血が滴った。それを盾で防ぎながら、オオカミを地に振り落とす。


「流石、ジーニアスだな。俺もいっちょやるか」


 ライナが軽口を叩いていると、その背後からもオオカミが現れた。


 ジーニアスを見ていたライナは一瞬反応が遅れたが、軽く身をひるがえしてオオカミをかわすと同時に、短剣で斬りつけた。


 オオカミの呻き声が響き、砂煙を上げながら木の幹に衝突する。まだ息があるのか、低く唸りながら立ち上がろうとしている。短剣の一撃では浅かったようだ。


 瀕死のオオカミにトドメを刺したのは、アンナだった。


 二人の戦闘中にも詠唱をしていたアンナは溜めた魔力を風魔法へと変換してオオカミ目掛けて放つ。それは風の刃のように体中を斬り刻んで命を刈り取った。


 数匹いた他の仲間も、その魔法に怖気づいたのか潔く撤退していった。草木を掻き分ける音が遠くなっていき、しばらくして森は再び静寂を取り戻した。


「ふぅ……」

 ライナが短剣にこべりついた血を払う。

「誰も怪我はしていないよな?」


「ああ、問題ない。ライナが気付いてくれて助かったよ」


 ジーニアスが微笑むと、ライナは少し照れ臭そうに鼻を掻いた。その横で、アンナも胸を張る。


「まぁ、私も気付いていたけどね!」


「嘘つけ」


 ジーニアスとライナが同時に突っ込むと同時に、風が吹いて森も笑ったようだった。

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