第6話 モホソース

ベンチの横で待機しながら、コーチの言葉に集中する。


今シーズンはすでに3度目の交代だった。


先発なら良いが、自分の実力を誰よりもよく知っている。


交代選手に選ばれるだけでも、自分の価値が大いに認められているのだ。


心地よい緊張感で胸が高鳴る。


「ヒュウガ、ナルバエスの代わりに入るんだ。ペナルティボックス内だけで動く必要はないが、相手ディフェンダーに押し出されるのはダメだ。分かるか?」


「分かります。」


「よし、普段通りにやれ。お前はよくやっている。この試合、上手くいかなくても構わない。気楽にいけ、いいな?」


「はい。」


「カサチコエルソンブレリート、覚えてるか?」


「あそこの料理、美味しかったです。」


「そうだ、次回も行こう。」


ペペ監督は熱血だが、良い人だ。


若い選手に多くのチャンスを与えるだけでなく、人をリラックスさせる方法を知っており、チームを一つにまとめる術を知るコーチだった。


ピッチを出てくるナルバエスの肩を軽く叩き、中に入る。


コーチのためにゴールを決めたいが、準備運動中に見たサンタンデールの強固な二列バスを見て、自信が前の試合ほどないのも事実だった。


それでもゴールを決められなくても、フォワードとしての役割を果たさねばならない。


観光地として有名なカナリア諸島の高い物価を考えれば、受けた信頼に応えなければならない。


メイン材料ではなくても、モホソース程度にはなれると思う。


恩を返すツバメもいるのに、私にできないことはないだろう?


「くっ!」


入った途端にペナルティボックス内で競り合い、相手センターバックに押されて倒れる。


体が岩のようだ。さっきの決意が色褪せ、今日はかなりきついかもしれないという思いがわずかによぎった。脇腹が打撲しているのは確実だった。


正規時間が10分も残っていないのに、私を含む攻撃陣はサンタンデールのペナルティボックスの外であちこちを彷徨っていた。


後半開始と同時に交代で入ったドゥローレは、監督の指示に従いカウンターを食らわない状況でドリブルに失敗した。したがって、右サイドは自動的に封鎖された状態。


左ウィンガーのセドリスに代わって入ったジョアン・フェルナンデスは、ドリブルを試みてはボールを後ろに戻したり、あり得ないクロスを連発していた。


シュッと頭上を越えていくクロスを全力で追いかけるが、物理的に届かない位置に落ちる。


相手ゴールキーパーがゴールキックを準備する間に、ペドリに近づいて話す。


「ペドリ、位置を変えよう。再び、再び、再び。」


「位置を変え続けるってことだな?」


「ああ、ペナルティボックス内に。ボールを下に持っていけ。」


試合を変えられるのは結局ペドリだけだと感じる。


ドゥローレはトルコリーグから来て馴染んでいないのか、見た目にもひどいプレーで、ジョアン・フェルナンデスは成長せず、2軍で一緒にプレーしていた当時のままだった。


密集したディフェンスを突破するには破壊力が不足していた。


ゴールキックが遠くへ飛び、今回はしっかりマーキングをしていたアイタミがマロンに向かって走り、豪快に肘を振り回す。


笛の音と共に、審判は急がずに近づいてもう一枚のイエローカードを取り出す。


累積カードで退場だった。


なんてことだ。


サンタンデールの全選手が降り下がっている中、ハーフラインを越えた選手はストライカーのマロンだけだった。なぜだろう。判断が惜しいが仕方がない。


80分に退場者が出たのはむしろ幸運だったのかもしれない。キャプテンの腕章を引き継いだイニゴの指示でフォーメーションを変更する。


86分。スリーバックに転換したラス・パルマスの左側、クルベロ・デラフェの斜めのグラウンダーパスがペナルティボックスのすぐ前まで、一気に私の足元に届く。


運が良かったが、素晴らしいパスだった。一度のタッチで後ろから走り込んできたペドリにボールを送り、ボックス内に進入する。


中央のディフェンダーを背にして、再びパスの流れを受け継ぐ。


ペドリが送ったボールを左足の甲で直ぐに返す。後ろからの押しに抵抗せず、最初の位置から離れる。すぐに返さなければ奪われていただろう。


力で劣るのはペドリも同じだった。


ペドリと相手のミッドフィルダーのタックルが入る直前に目が合う。ボックス内で再び短いワンツー。非常に近い距離なので集中しなければならなかった。


正確な高さでボールを浮かせばペドリの足元に落ちるだろう。


高さが少し足りなかったが、ペドリは難なくボールをタッチし、ペナルティボックス内にさらに深く進入する。


シュートを打つスペースがあるだろうか?


相手ディフェンダーの背中に隠れてペドリの姿が見えないその瞬間、ペドリのヒールからボールが転がり出る。絶妙なパスだった。


ペナルティボックス内に進入してきたサンタンデールのミッドフィルダーと同時にボールに向かって駆け込む。少しでも遅れたらシュートする時間がない。観客の歓声が高まる。ボールはゴール脇に外れた。


くそっ。


サンタンデールのミッドフィルダーの足先に触れたのだろうか?シュートを打つ瞬間に入ったタックルで一緒に地面に滑り込んだので、状況を正確に把握できなかった。


試合が終わったら映像資料をもらって見直さなければならない。


「Buen trabajo! 最高だ!よくやった!」


「何?」


「ペナルティだ!ペナルティ!」


巻き毛の下から笑顔を浮かべてペドリが私を起こしてくれる。


エスタディオ・グラン・カナリアは爆弾でも爆発したかのように賑やかだった。審判に抗議するサンタンデールのディフェンダーたちの背中が見えた。


「Varを確認するだろうけど、ペナルティは確実だ。目の前で見たんだ。」


「ペナルティ?」


「ああ、Príncipe。タックルが足裏で踏み込んできたんだ。百パーセントだ。」


ペドリの言葉に左足の足首を見てみると、確かに相手のミッドフィルダーのスパイクのスタッドの跡が残っている。大丈夫と言う間もなく、周囲の仲間たちが集まってきて、あちこち軽く叩いてくる。


私はペナルティの担当でもないのに、なぜ叩くのか理解できない。ゴールを決めた時だけ触ってくれればいいのに。


審判は少しの間varを確認してからペナルティエリアを指し、20番にイエローカードを取り出す。観客の歓声がスタジアムを満たした。


イニゴのペナルティキック成功でスコアは1:1となった。


左足首にわずかな違和感があったが、プレーに支障はなかったのでコーチには伝えなかった。2軍でも何度も経験したことなので、試合が終わってから言っても十分だった。


一人退場した状況で同点ゴールを決めると、サンタンデールは遅れてラインを上げて対応した。


スリーバックに慣れていないラス・パルマスだったが、危険な状況でもゴールキーパーのマルティネスは何度もセーブを重ねて危機を回避した。


サイドからセンターバックに転換したクルベロ・デラフェは守備力が不足していたため、左サイドで何度もチャンスを許したが、同時にラインを上げたサンタンデールに対して特有のロングパスで脅威を与えた。


相手のラインが上がると、ペペ監督は私にカウンターの状況でラインブレイキングに集中するように手信号を送ってきた。


90分。正規の時間が過ぎ、アディショナルタイムが4分流れ始めた。


サンタンデールのセンターバックたちは足が遅かった。スピードを活かして突破に成功したドゥローレが相手ディフェンダーの引っ張る手に引っかかり倒れる。


ファウルからのフリーキックで、長身ディフェンダーのマンタバーニですら競り合いに苦労している。ヘディングでの得点は簡単には見えなかった。


観客が息を呑んだサンタンデールの10番、セフードのシュートがゴールの上をかすめ、一息ついた。今回は本当に入ると思った。


一人少ないのは毎回ハラハラする状況を招いた。


再び渡された攻撃権。マルティネスのグラウンダーパスがクルベロに、クルベロがイニゴに、イニゴが再びキリアン・ロドリゲスとワンツーパスを交換しながら中央のプレスをかわしていく。


先発で出場した選手たちは疲れ果てていた。


もしかしたら1:1というスコアが今の我々にとって最善なのかもしれないが、もう一度か二度くらいのチャンスはなんとか作れるように思えた。


相手のオフサイドラインを止めて再び走り抜けたが、キリアン・ロドリゲスのパスが見当違いの方向へ飛んでいく。


がっかりしたが、大丈夫だという意味で手を挙げる。体力的に疲れているのは仕方がない。


サンタンデールも今や審判を意識しながら試合の速度をさらに速めている。終了が近い。


デ・ラ・ベラがサンタンデールの右サイドの攻撃を深いタックルで阻止する。遠くに蹴り出されたボールに素早く走り込み、ボールを取り返すが、攻撃陣には私しかいない。


交代で入ったドゥローレとジョアン・フェルナンデスも守備に加わっていて上がってこられない状況で、ドリブルは選択肢ではなかった。


華麗な個人技は自分の能力外だったので、上半身を振りながら辛うじて相手ミッドフィルダーをかわし、左サイドのスペースを深く突き上がる。


ディフェンダーは4人。攻撃は私一人。ペナルティボックス近くに接近したのは良かったが、ようやくフェルナンデスがハーフラインを越えてきた。


少し苛立ちを感じる。他の選手たちはともかく、交代で入ったドゥローレは一緒に上がるべきではないのか?


中央ディフェンダーが加わった協力守備に一瞬でサイドへ押し出される。相手の足にボールを当てて何とかコーナーキックに持ち込み、最後の攻撃チャンスを作り出す。


これが私にできる最善のプレーだった。


ホームファンは皆席を立ち上がった。最後まで勝利への期待を捨てなかったファンの願いを叶えるため、ラス・パルマスはベンチの指示に従いゴールキーパーまで上げて最後の攻撃を準備する。


4分のアディショナルタイムはすべて過ぎた。96分、審判の合図で最後のコーナーキックがカーブを描いて上がる。


マンタバーニが辛うじてボールに頭を当てたが、シュートには程遠い。跳ね返ったボールが混戦の中で地面を転がる。選手たちは狭いスペースで体をぶつけ合い、相手を引っ張り合っている。


ドゥローレは最初にボールに触れたが、すぐに中央ディフェンダーのタックルに倒れ、ボールはペナルティボックスの外に跳ね返る。審判はそろそろ試合終了の笛を吹く頃だろう。


コーナーキックに参加せずに後ろに下がっていた私とイニゴの前にボールが転がってくる。私の方が少し良い角度にいたので、ためらわずに最後のシュートを試みる。


イニゴより確実にシュートしやすい角度だったが、誰が蹴るにしても中央に密集するディフェンスを突破するには、最終的にドロップボールを蹴るしかなかった。


ボールの中心を捉えて足を振り上げる。


自分でも驚くほどきれいな軌跡を描き、ボールはディフェンスの壁を越えて落ちる。相手ゴールキーパーは全く反応できなかった。


黒いユニフォームを着た選手たちが頭を垂れ、スタジアムには楽しい歌声とともに黄色い波が揺れている。


「イエーイ!!」


「うわああ!」


サンタンデールにとっては残酷な一日だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る