第2話 旅の始まり
「タミ、ディフェンスラインの調整がめちゃくちゃだ。練習通りにやろう。こうやって下がっていると前半の流れが続くだけだ。もう1点取られても構わないから、思い切って行こう。ラインを上げるんだ。いいな?」
「Si。」
「ティモール、お前はこれまで通りディフェンスラインの前でプレーしろ。ラインが上がればカバーするスペースが減る。お前の力を見せてやれ。ゴンザレスはイニゴと一緒に中盤を支配することに集中して、カストロ、お前は後半にもっと前線でプレッシャーをかけろ。70分あたりで交代させるから。」
カストロは靴下を履き替えながら黙ってうなずいた。チーム内で最年長の彼は、靴下を履き替え終わった後、平然とマッサージを受けているペドリにちょっかいを出した。
試合中にロッカールームに入って監督の話を聞くのは初めてだった。負けている最中でも重くない雰囲気が、2軍とは違って新鮮だった。
「何してる?」
突然肩をポンと叩いて尋ねてくるダニ・カステヤーノに戸惑っていると、青い目の彼はクスッと笑って腕を首に回し、ささやくように言った。
「返事もしないって聞いてたけど、どうだい?今日自信あるか?」
「うん?」
「…何も聞いてなかった?」
彼は戸惑ったのか、青い瞳が揺れた。再び見てもその目の色は不思議だった。ダニの言葉には特に気を取られなかった。出場は最終的に監督が決めることだったから。
最後の瞬間までウォーミングアップをして結局試合が終わってしまうことも多々ある。それでも監督の計画に自分が入っているように感じられて、嬉しかった。
彼は咳払いをしてポケットに手を入れ、どこかへ消えていった。
後半が始まると、ダニ・カステヤーノの言葉通り、コーチが近づいてきてウォーミングアップするよう指示された。運が良ければカストロの代わりを務められるかもしれなかった。
父さんはスタジアムに来ているだろうか?少しでもプレーできたらいいな。
今日の試合は自分のためというより、父のために。
「うわぁ!入った!」
「うわあああ!!」
ウォーミングアップをしていた瞬間、追い付きゴールが決まった。ラインを上げる戦術は確実に良い影響を与えていた。追い付きゴールとともにラス・パルマスは完璧に立て直した。サッカーの流れというのは驚くべきものだった。
アイタミのディフェンスラインの調整は時々心臓を撫で下ろすような危機を招いたが、同時にセンターラインの内側で強いプレッシャーを作り出していた。
ペドリとカストロ、ラミレスまで。攻撃陣の連携がうまく働き、ついにラス・パルマスの3人の攻撃手が力を発揮し始めていた。
試合がうまく進むにつれて、デビューに対する期待は薄れていく。顔に出さないようにウォーミングアップに集中した。もし誰かにしかめっ面を見られたらまずいから。
「日向 日向!」
ウォーミングアップ中に観客席から父の声が聞こえた。父は王冠の描かれたラス・パルマスのマフラーを手に持って階段を降りてきていた。恥ずかしいと思いながらも、感謝と同時に申し訳ない気持ちだった。プレーできないかもしれないから。
試合が追加得点なく65分を過ぎたとき、ホイッスルが鳴った。
「ヒュウガ!こっちへ来い!準備はできているか?体の調子はどうだ?」
「いいよ。」
「カストロが足首をひねったんだ。お前が入る。心の準備をしろ。」
「わかった。」
遅れてピッチを見回すと、審判に警告を受けている背番号17の相手選手が見えた。着ていた緑のビブスを脱ぎ、副審と監督の方に向かった。
耳元であらゆる楽器を持ち寄って騒音を作っているような気分だった。観客の歓声をかき消すほど心臓の音が大きく聞こえた。緊張しているのだ。
もしかしたら準備ができていないのかもしれない。
「ヒュウガ、こっちだ。カストロのポジションに入る。センターフォワードだ。わかったか?」
「わかった。」
「役割は?何をするか覚えているか?」
「前線でプレッシャーを最大限にかけて、連携と……。」
「Nooo!!」
ペドリのフリーキックが外れて観客の歓声が大きく響くと、ラス・パルマスの監督、ペペ・メルが半ば叫ぶように言った。
「好きにしろ!」
「え?」
「好きにしろって。やりたいこと、できることをやれ。」
「でも……。」
「さっきの観客席、家族だろ?」
私は何も考えずにただうなずいた。アナログテレビの画面越しにスタジアムを見ている気分だった。冷や汗が流れる。
「お父さん?」
「はい。」
「今日の君の姿は誇りに思っているだろうな。」
ペペは私の肩を軽く叩いて、副審にうなずいた。副審が交代を知らせるサインを送る間、本能的にウォーミングアップしていた場所に目が行った。父はまだ階段に立って、握りしめた拳を上げている。
再び見たピッチは実際よりも大きく見えた。振り返れば、ついにここまで来た。長い旅の準備が終わり、ついに最初のチャンスが訪れたのだ。
両親の離婚も、私のひねくれた性格も、サッカーの技術以外は何も見られない場所。舞台に立つ瞬間だ。
筋肉の震えが収まり、世界がこれまで以上に鮮明に見えた。
交代のサインが出ると同時にカストロのいるべき場所に駆け込む。スタジアムの歓声が聞こえた。半分は励ましで、残りの半分は心配だろう。ウエスカのコーナーキックから試合が再開される。
ディフェンダーのティモールの頭に当たって跳ね返ったボールが、中央ミッドフィールダーのイニゴの足元に収まる。イニゴはウエスカのプレッシャーが始まる前にボールをハーフラインの方にクリアした。
ハーフライン左側を越えて飛んでいくボールをラス・パルマスの左ウィンガー、ペドリが追いかける。良いカウンターチャンスが生まれそうだったが、足に力が入らず、最初のタッチでボールがラインを越えた。彼は疲れていた。
アシスタントコーチはすでに知っていたかのように、攻撃陣からペドリとトニーを、ミッドフィルダーからゴンザレスとダニ・カステヤーノを交代させた。これで交代カードは全て使い切った。
入ってすぐにゴールチャンスが作られるような幸運なことはなかったが、私たちはかなりよく戦った。
特に、交代したダニ・カステヤーノとカストロを負傷させた相手チームの背番号17番、リコという選手との神経戦が激しかった。ホームファンのブーイングにもウエスカは頑なに守り続け、スペースを与えなかった。
10分間の攻撃は相手ペナルティライン横までボールを運び、ウィングバックのベラがクロスを二度上げるだけだった。
望まない形でパスが入る。
180センチに満たない身長で、2メートル近い相手センターバックとの競り合いに勝つのは難しいことだった。何をすべきか、最初から考え直す必要があった。ベンチをちらりと見たが、監督もアシスタントコーチも何の指示も出さなかった。
心の奥底から闘志が湧き上がる。
結局今日の試合もBチームでプレーするのと変わらなかった。質の高いパスは期待できない。センターバックとの競り合いは博打のようなものだったので、私は2列目に下がる。
私の動きを見たペドリと交代で入った左ウィンガー、トニーがウィングから中央への動きに変わる。
左ウィングバックのベラもオーバーラップの範囲を広げて敵陣深くまで入ってきた。中央に動くトニーの空いたスペースを埋めようとしているのだ。
ウエスカのセンターバックはペナルティボックスに切れ込むトニーと右サイドの攻撃手ラミレスに集中している。
相手ミッドフィールダーのマークを受けながらダニ・カステヤーノからのパスを受ける。右足から一歩離れたところにボールが来た。
相手ミッドフィールダーが左後方から駆け寄ってきた。
最初のタッチは足裏で。柔らかくボールの回転を落とす。体をゴール正面に向け、駆け寄ってくる相手ミッドフィールダーと対峙する状況に転じる。
いつも通りにやろう。
右足の足裏で左にボールを引き、相手ミッドフィールダーの足が入ってくる瞬間、もう一度右に転がしてボールが通る角度を作る。
すると対人守備に入った相手の足の間にボールを通すことができる。重心を失ったウエスカのミッドフィールダーは追いつこうとして芝に滑って倒れた。
私がウエスカのミッドフィールダーを突破すると、相手守備陣近くのトニーと右サイドのラミレスが攻撃的な動きを見せる。
相手のセンターバックはそれに反応して反射的にラインを下げるので、突破後に瞬間的にスペースが生まれる。ついに、ゴールが姿を現した。
左も右もシュートを打つのに良い角度だった。練習試合で毎回ゴールを決めた同じ位置。息が荒くなるが、頭の中は恐ろしく冷静だ。
ピッチに立つことは恐れることではなかった。投入される前、恐怖に苛まれて荒々しく鼓動していた心臓が、今は喜びを燃料にして鼓動する準備をしている。
これまでやってきたこと、そのままだ。
「うわあああ!」
「Tipo loco(クレイジーなやつ)!」
「Buen chico!!」
黄色いネットが揺れる。左上隅にゴールが決まると、選手たちが駆け寄ってきて頭を叩き、足で蹴られた。イライラする。
私はクソ野郎たちの手を振り切り、ボールを拾ってハーフラインへ走った。観客はスタジアム内に響く音楽に合わせて叫び、拍手をしていた。少し狂った人たちのように見えた。
勝利にはまだもう一点が必要だった。残りの正規時間は6分だった。
ウエスカのキックオフで再開された試合は、勝敗を決するための激しい攻防戦となった。私は死ぬほど走り、荒れた試合は本当に誰かが死ななければ終わらないように思えた。
選手たちは体を惜しまずに競り合った。アディショナルタイムに入るまでにイエローカードがさらに4枚出され、結局カストロに対するタックルで警告を受けたウエスカの背番号17番の選手がカードの累積で退場となった。
興奮したウエスカの選手たちの中にベテランたちが入って審判を守る間、ラミレスはトニーと私を呼び、攻撃方法を話し合った。
芝の上で繰り広げられる小さな戦争のようだった。
試合が再び再開される。正規時間は全て過ぎ、副審が残りの時間を表示したが、わざと見なかった。試合に集中することが重要だ。
ウエスカは一人が退場した後、引き分けを目標とした。完全に二列に下がった守備陣は攻略するのが難しそうだった。
この状況で二列目に下がることは意味がない。最前線に上がり、相手のセンターバックの間でパスを受けられるように角度を作ろうと試みたが、何度も失敗した。
ウエスカの選手たちの集中力は鋭かった。
二度、三度。連続して攻撃が失敗し、ボールはウエスカ陣内で回り続けたが、成果はなかった。ある瞬間から審判を見つめる選手たちの動きが増えた。
笛が鳴ることが試合の終了を意味する時間になった。
右サイドのラミレスがクロスの角度を阻まれると、後ろに下がってきた中央ミッドフィールダーのイニゴに、イニゴは左中央のダニ・カステヤーノにボールを渡す。
監督の指示に従って相手のペナルティボックス内にはラス・パルマスのセンターバックであるアイタミまで上がってきた。空中戦で勝つことが重要だった。
頭の中から審判の姿を消し、ダニと目が合うことを願いながら、立ち位置を変え続けた。たとえパスが来なくても、常に動いてわずかなスペースを作り出す必要があった。
ダニ・カステヤーノはアイタミにクロスを上げるかどうかを悩み、すぐに諦めて私と目を合わせた。
相手チームのセンターバックに囲まれたアイタミよりも私が良いと判断したのだろう。狭いスペースに通すため、低くて強いグラウンダーパスだ。
近づいてくるディフェンダーたちの厳しい表情がプレッシャーだった。しかし、芝の下を滑るように入ってくるパスは見逃すにはあまりにも魅力的だった。
私は力任せにディフェンダーたちの間に体を押し込んだ。
左足の甲でボールを浮かせてゴール正面に体を向け、すぐにシュートに繋げるのが私の計画だった。
しかし、ボールは大きく横に弾んでしまった。パスの勢いをうまく殺せなかった。
ラ・リーガの公式球は無情にも私の体から離れ、両足で制御できない領域へと飛んでいった。
ボールが飛んでいった先には、私にプレッシャーをかけようと駆け寄ってきた相手のセンターバック、ゴメスの頭が見えた。反射的に頭に当たったボールが跳ね返る。
まるで私のための魔法のようにボールが斜め方向、ゴール前に戻ってきた。2対1のパス交換をしたようなものだった。
私はただ走るだけだった。今度は運が私に味方した。
たった三歩で息を呑むような長身のディフェンダーたちのプレッシャーが消え、ゴールキーパーと私だけが残った。相手のゴールキーパーの吐息が、膨らむ胸のあたりが生々しく感じられた。
観客席で叫びながら立ち上がる裸の男性と、その横で男性の黄色いユニフォームを振る子供まで。ボールの中心から少し外れた場所に向かって、ゴールキーパーを倒すために足を振り上げる。
芝の上で繰り広げられたラス・パルマスとウエスカの戦いは審判の笛とともに終わった。
私は勲章を受けるだろう。
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