第三話 天使の秘密

新谷乃衣の噂は瞬く間に校内に知れ渡った。


新谷乃衣:愛くるしく、美しく、頭のネジの外れた転校生。


乃衣は寡黙で、他人とは進んで関わろうとするタイプではなく、むしろ人を遠ざけるような雰囲気すら醸し出していたが、イギリスから来た帰国子女で日本語が不慣れなのだろう、と好意的に解釈されたようだ。転校初日の突拍子もない振る舞いも帰国子女だからスキンシップが激しいのだろう、ということになった。便利だな、帰国子女設定。俺にはどうしてもあれが帰国子女とは思えないが。海外どころか、もっと違った別の世界から来た、異能力者か、さもなければ本当に天使か……。まあ、そんなわけ、ないよな、ははは。


「色の白いは七難隠す」とは言ったもので、乃衣の突飛な行動や、お世辞にも愛想がいいとは言えない振る舞いも、類稀な容姿によって前向きに捉えられ、受け入れられていった。

彼女に早速目をつけたのがクラスの陽キャ女子連中。お人形さんの様な愛らしい容貌、本音しか話さない超絶素っ気ない言動、入学時の大胆行動…………全てが彼女たちに受けたようで、乃衣の周りには女子が群がり、あれやこれや日本の言葉や文化を教えていた。乃衣は乃衣で、異文化(彼女曰く「この世界」)について学ぼうとしているらしく、情報収集には意欲的で、女子軍団と良好な関係を築こうとしていた。



そんな感じで数日間は平和な日々が続いたが、ある日、俺と乃衣との関係を決定的に特別なものに変える出来事が起こった。

乃衣が、学校に来なくなったのだ。

最初は、風邪か何かだろうと高を括っていたのだが、欠席が何日も続くようになり皆が心配するようになった。

プリントや集金用封筒などの届け物ついでに、誰か様子を見てこい、ということになり、結局、俺がその仕事を任された。

新谷の家は、この町の外れにあった。学校からだと、自転車で3,40分ほど走った所だ。

市街地を抜け、田んぼが広がる田舎道を進む。山の麓までたどり着くと、セメント工場や自動車のスクラップ工場など広い土地を生かした建物が並ぶ。

新谷の家は、自動車修理工場の敷地内にあった。自動車修理工場とは言っても、高級外車のメンテナンスを主に取り扱っているようで、警備も厳重だし、建物もアメリカの50年代っぽいカラフルな仕上がりだ。オーナーの趣味が反映されているのだろう。

来意を告げると、敷地内の離れにいると言う。そこまでお邪魔させてもらうことになった。

離れは、どうやら物置を改造したもののようで、ぱっと見たところ、プレハブ小屋にしか見えない。

少したためらった後、ドアを叩く。返事はない。声をかけても、静かなままだ。

思い切って、ドアのノブに手をかける。鍵は掛かっていないようだ。

意を決して、ノブを回して中に入る。

締め切られた部屋の中は、肌寒く、薄暗かった。

「おーい、相馬だ。乃衣、いるか?」

不審者と勘違いされたら堪ったものではない。声をかけながら乃衣の姿を探す。

暗闇の中ふっと、人の気配を感じた。

乃衣は、ソファの上に横になっていた。

目が慣れてくると、乃衣の真っ白な姿が暗がりの中に浮かびあがる。

乃衣は目をあけ、虚ろな表情でこちらを見ていた。

「ソーマ……か?」

か細い声が乃衣の唇から漏れる。

「ああ、同じクラスの相馬栄輝だ。大丈夫か?」

「そうか……。すまないが、手を貸してくれないか……?」

消え入りそうな声で乃衣が手を差し伸べる。

華奢な腕と細い指先が、白々と弱々しく虚空に浮かぶ。

「まかせとけ。ほら」

俺はソファの横まで行くと、乃衣が差し伸べた手を掴んだ。

乃衣の細い指が俺の指に絡まる。

乃衣の指は、冷たかった。


————可愛そうに、体調の悪いまま一人で放って置かれていたのだろうか


そんなことを考えながら、俺は乃衣の手を暖めるように握り続けた。


どのくらい時間がたったのだろうか。

「あ……」

締め切った部屋の中で、風がふわりと吹いた気がした。

部屋の中の空気が少しずつ動き始めている。

乃衣の銀色の髪が空気の流れに合わせて、揺れる。

陶器のように冷たかった乃衣の肌が温かみを帯びてきた。

「暖かい……」

乃衣がポツリと呟く。

「ソーマ、もっと、こっちに」

俺は言われるがまま乃衣の側に近付く。

刹那、乃衣が両腕を伸ばし、俺の首筋に回して自らに引き寄せた。

俺は覆いかぶさるような体勢で乃衣に抱かれた


————これって……出会ったときと同じ状況……


乃衣は俺の背中手を伸ばし、何かを確認するかの如く撫でまわす。

「ソーマ、やっぱり、お前は、凄く、いい……」

目を閉じ、乃衣が耳元で囁いた。

その時、再び部屋の中の空気が動く。

今度ははっきりと、暖かな風が吹き上がった。

それだけではなかった。

照明が灯り、部屋の中がオレンジ色の光に包まれた。

かちゃり、と機械の音が鳴り、オルゴールが澄んだ音色で美しい調べを奏で始めた。

コンロに火が付き、薬缶を温め始めた。

天井からつるされたモビールがゆらゆらと揺れ動き、回る。

書見台に置かれた分厚い本のページがひとりでにパラパラと捲れた。

鉄道模型が自動的に床に置かれた円環状のレールの上を走り始めた。

「これは……一体……」

一気に生気を帯び、賑やかになった部屋の中で、俺は乃衣に抱かれたままひたすら戸惑うしかなかった。

薬缶の中の湯が沸騰したのか、笛の様な音を立てる。

「ふう…一時はどうなるかと思ったが……感謝するぞ、ソーマ」

まだ窶れてはいるが、先ほどまでの死人のような青白さは見られない。

俺は乃衣の横に腰を下ろした。

乃衣は俺に寄りかかり、頭を俺の肩に乗せる。

俺の手を捕まえ、指と指を絡ませて来る。

まるで恋人のような仕草だが、俺達の間に甘い雰囲気は存在しない。

まるで捕食者が獲物を逃がさずに捕らえているような有様だ。

乃衣と出会って以来、突拍子もない不可思議な体験ばかりしてきた。

その理由を、今日こそ問いたださないといけない。

「乃衣、話してくれ。お前は一体、何者なんだ?」

俺は真剣に、乃衣の目を覗き込んでいった。

「……そうだな、ソーマには事情を知る権利がある。いいだろう」

乃衣は長考の後、意を決したように呟き、説明を始めた。


「お前が考えている通り、私はこの世界の人間ではない。元の世界(primus mundus)では私は技術者で、研究者だった。実験中の事故の結果、気がつけばこの世界(secundo mundo)に飛ばされていた。

 私の世界とお前の世界はよく似ている。人々の見た目もそっくりだし、国や言語も同一だ。しかし、決定的に大きな違いがある。それが、産業構造だ。

 お前の世界では現在、電気が主要なエネルギーだが、私の世界では蒸気機関と原子力が主要なエネルギーだ。この二つの世界はある時期までは進化も歴史も同一だったが、ある時点を境に異なる道を歩んだようだ。

 そして、私の世界では、高度な錬金術の発展により、電気の代わりに「エーテル」と呼ばれる力を活用して、この世界で言う魔術のような効果を上げることができるのだ」

「魔術……さっき、物を触らずに動かしていたようなことか?」

「そうだ。他にもこんなこともできる」

乃衣は俺の両手を握った。

再び、暖かい風が吹き上げる。

乃衣の髪が生き物のように揺れ動く。

刹那、俺と乃衣の身体がふわりと浮かんだ。

「うわっ」

まさか自分が宙に浮かぶことになるとは。

俺達は座った姿勢のまま、ソファの僅か数センチ上を浮かんでいた。

「うむ、私のエーテルはまだ弱い。ソーマ、力を借りるぞ」

乃衣が俺に抱きつく。

周囲の空気が動き、俺達を持ち上げる。

いや、俺達だけではない。

クッション、モビール、クマのぬいぐるみ、ブリキのおもちゃの車……

俺達を取り巻くように室内の調度品が宙に漂っている。

「ソーマ、悪い、今日はこれが限界だ」

耳元で乃衣が呻くように、囁いた。

俺達はゆっくりとソファの上に着地した。

調度品も静かに絨毯の上に落ち、転がった。

「乃衣……大丈夫か?」

乃衣の顔はまだ心なしか青白い。恐らく、万全の体調とは言えないだろう。

「ああ、大丈夫だ……。ソーマ、少しだけ膝を借りるぞ」

「わかった」

乃衣は横になり、俺の膝の上に頭を乗せた。乃衣の美しい顔が俺を見上げる。

「エーテルとは、即ち霊力だ。精神のポジティブなパワーが空間に発せられることで、エーテルの濃度も高まるのだ

精神のポジティブなパワーはどこから来るか、考えたことはあるか? リラックスしたり、成功をおさめたりすれば、ポジティブなパワーは勿論発生する。しかし、エーテルの発生に一番適しているのが、身体の接触だ」

「だから……乃衣は俺に触っていたのか」

「小さい子供が母親の手を握りたがったり、恋人たちが手を繋ぎたがったりするのは、エーテルを無意識のうちに求めているからだろう」

「別に俺は乃衣の恋人ではないぞ」

「お前は私にとっては特別な存在だ。お前に触れるとエーテルの不足を簡単に補うことができる。

お前と私は身体の相性が良いようだ。お前の身体は素晴らしい」

「誤解を招きかねない言い方はやめて欲しい」

乃衣はニコリともせず真顔でギリギリな発言をするのが怖い。

「お前なら、触れるだけでもある程度の量のエーテルを効率的に得ることができる」

「俺は充電器なのか……」

「私の世界(primus mundes)では電気は迷信とされているが、言いたいことはわかる」

俺の突っ込みが華麗に流された。

「じゃあ、暫く学校を休んでいたのは何故だ?」

「体内のエーテルが枯渇したからだ。大気中から得ることができるとはいえ、未知の環境で生活していると緊張の連続だ。霊的なパワーの消費も激しくなる

 だから今日、お前が来たのは本当に良かった。

だから……もうちょっとだけ……いいか?」

そう言って乃衣は俺の身体に腕を回し、再び密着した。

先程より回復傾向にはあるが、乃衣はまだまだ弱っている。

「ああ……いいけど、折角だから、乃衣の世界(primus mundes)のことを、もっと教えてくれよ。

 このままの姿勢でもいいから、さ」

「わかった……。私にも、お前のことと、お前の世界(secunde mundes)のことを教えてくれ」

「『お前』じゃなくて『相馬栄輝』さ。よろしくな」

「わかった、栄輝」

こうして、俺達はようやく、わかり合えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る