#4


 チャレンジ中にだけ、俺達幽霊は眠気というものを感じる。

 身体はないので休息を求めているのではなく、時が経つのを欲しているから眠るようなイメージだ。


 とはいえ、タダで休ませてはくれない。

 意地の悪いシステムは、やはり俺を責める。

 夢という形で、俺は俺が死んだあの日を、俯瞰させられる。


「どうせ荷物持ちなんだから、家でゴロゴロしてる方がマシだ」

「今更文句言わないでよ! せっかく家族みんなで出掛けてるんだから!」


「ゴールデンウィークに家族と買い物ってのもなぁ。もう高校生だぞ俺は」

「じゃあ彼女の一人でも作ればいいじゃん」

「うるせえ」


 妹の涼心とやいやい言い合いながら、俺は歩道を歩く。

 暇するぐらいなら付き合え、ってことで、涼心と母さんを中心とした買い物に俺は駆り出された。

 父さんは運転手で、俺は荷物持ちだから、我が家の男連中のパワーバランスは崩壊気味である。


 涼心は三つ下で、当時は14歳だ。

 色気づいてきたのか、最近はもっぱらおしゃれに興味がある。

 だが金はないので、服やら靴は親やばあちゃんにねだって買ってもらうのが常だから、末っ子の役得を最大限活用していると言わざるを得ない。


「駐車場遠いよ~。お兄ちゃん、ジュース買って?」

「何でお前の荷物を持たされた上にジュースまで奢らなきゃならないんだ」

「いいじゃんたまには! この前ポッキーあげたでしょ!」

「一箱くれたならともかく、一本くれたぐらいじゃ釣り合わねえよ……」


 両親は先に駐車場へ戻っているので、俺だけ優柔不断な涼心に付き合わされていた。

 にしても最近こいつは生意気だ。

 反抗期とでもいうのか。昔はもっと俺の言うことに従順で、少し脅すだけで泣きわめいていたのに、今じゃ何言おうが反論してくる。


「お兄ちゃんもさー、もっと服装とか見た目に気を使ったほうがいいよ? それに加えてケチだから、そりゃモテないっしょ」

「この荷物全部車道に捨てるぞ」

「やーめーてー」


 言いたい放題言いやがって……。俺は溜め息をつきながら、視線を彷徨わせた。


「ん……?」


 横断歩道の信号は赤だ。俺と涼心は足を止めている。ここは車の通りが多く、待つと長いのだが、そんな俺達兄妹の横を誰かが駆け抜けていった。


 明らかに信号のことに気付いていない。

 駆けているというか、何かから必死で逃げているような、そんな気がした。

 いずれにせよ、このまま歩道に突っ込めばどうなるのかは明白だった。


「危ない!!」


 だから俺は、両手の荷物をその場に落として、その誰かに走って手を伸ばした。

 幸か不幸か――この場合は不幸だった――俺の手は届き、そいつを捕まえた。

 俺より年上の、人相の悪い疲れた男だった。男は驚いた顔をしたのを覚えている。


 俺は男を引っ張り、放り投げ、そしてその反動で車道へと投げ出された。

 もうその次の瞬間には、俺は自分の身体が宙へ舞っていることに気付いた。

 走ってきていたトラックが、俺を大きく撥ね飛ばしたのだ。

 見下げた景色の一つに、妹が状況を飲み込めず俺を見上げているものがあった。


 頭から落ちる。意識がブラックアウトする。

 本来なら、もう俺はこの時点で脳挫傷を起こし意識不明で、救急搬送されてすぐに死亡するのだが、今は違う。


「お兄ちゃん!!」


 涼心が悲鳴を上げる。そして、尻もちをついている男に、後からやって来た誰かが……警察官が飛び掛かる。

 周囲は騒然となり、トラックから降りた運転手が青褪めた顔で俺に近寄っている。


(地獄絵図だ)


 ぼんやりと俺はその光景を観ていた。

 俺の意識がなくなってから、こんな感じのことが起こっていたのか、と。


 ――俺が無意識的に助けた男は、窃盗の常習犯だった。


 何度も窃盗を繰り返している、チンケな男だ。今回は足がつき、警察に追われているところを無我夢中で逃走していた。

 そして赤信号に気付かず車道へ突っ込み、俺が反射的に助け、代わりに俺が死んだ。男は当然、この後すぐに捕まった。


 こうして見ると本当に愚かだ。

 そんなクズ、放っておけば良かったのに。

 そうすれば、トラックにはねられたのはその男だった。


 俺は、自らの命を使って犯罪者を助けたのだ。


「嫌な夢だな……」


 目を覚ます。夢の内容は嫌というほどはっきり覚えている。

 錯乱し泣き叫ぶ妹と、後からやって来て絶望する両親。

 去年は確か、俺が搬送された病院での出来事を見せられたっけ。

 悪夢もどうやら、何種類か取り揃えているらしい。


「映画館かよ」


 空腹を感じる。何か食べないといけない……と、本能というか魂が告げる。

 俺は涼心が供えた極細ポッキーを開封して、二袋ある中の片方を開いた。


「ん」


 ぽき、ぽき、さく、さく。

 静かな霊園に、ポッキーの軽い音が響く。

 小さい甘みと、サクッとした噛み心地は、もう一本あと一本と止まらなくなる。


 何よりも――ポッキーは分け合いやすい。だから涼心は好きだったのかもしれない。これだけたくさん入っていれば、兄にちょっとぐらいやっても平気だ、と。

 そんなケチ臭いあいつなりの優しさが丁度よく塩梅されるお菓子。


 ――こんなの、いらない。


 また『現象』が起こる。ポッキーを一本食べる度に。

 涼心は、自分の部屋で何かをグシャグシャにして捨てている。

 感謝状のようだった。


 ――お兄ちゃんを殺したのは、あたしじゃん。


 警察から贈られたものだ。ああ、そうか。曲がりなりにも犯罪者を捕らえたから、俺は感謝状に綴られていたらしい。

 デリカシーがないように思うが、警察からすると命と引き換えに窃盗犯を捕まえた俺は、感謝するべき対象として挙げられているのかもしれない。

 その感謝とは一方で――涼心のことを追い詰めるものだとしても。


 ――あの時、あたしがすぐに店を出ていれば。


 先に駐車場へ戻る両親と一緒に動いていれば。

 何か一つでも買うものを減らしていれば。

 荷物を自分でも持って、歩くスピードを上げていれば。


 たった一つ、どれか一つ、そういう歯車の噛み合わせが異なれば、あの結末は避けられたはずなのに。

 だから涼心は、毎年ずっと後悔している。

 夜、時折俺のことを思い出して、罪悪感に押し潰されて泣いている。

 自分が兄を殺したのだと。


 ――あたし、お兄ちゃんと同じ歳になったよ。本当に……ごめんなさい。


 もう涼心は17歳で、高校生だ。俺の享年と同じになったのか。

 時が経つのは本当に早い。死んでから感じるなんてふざけているが。

 めでたいことだ。そうやって一つずつ歳を重ねるのは、生きている人間の特権だ。


 だから、謝ることなんて何一つない。

 涙を流す必要なんて、どこにもない。


「お前は何も、悪くないだろ」


 呟くと同時に、意識が戻る。昔よりも大人びたが、それと同時に暗く影を落とした涼心に、一番言ってあげたい言葉を呟いて。

 霊になったからかもしれないが、俺は別段誰も悪いとは思わない。

 恐らく俺の家族は、あの窃盗犯の男に烈火のごとく怒っただろうが、それでも俺はそいつが悪いとも思わない。

 いや、窃盗は悪いことだが、それはそれとして、俺の死については悪くない。


 涼心は特に、悪くない。

 俺の死に責任を感じるのは、筋違いだ。

 俺はバカみたいな反射的な行動で死んだ、バカな兄貴なんだ。

 笑いこそすれ、泣く必要なんてないんだ。


「でも、そうは思ってくれないんだよな……」


 ポッキーを咥えたまま、チョコレートだけを舐めて溶かす。

 ガキの頃、どちらが早くポッキーを『』に戻せるか、涼心と勝負したのを思い出した。


 チョコレートコーティングがなくなったポッキーは単なるプレッツェルなのだが、当時の俺達にそんな知識はないので、『ただの木』と表現した。

 これが思いの外俺達にはツボで、涼心は中学生になってもチョコを失ったポッキーをそう呼んでいたことを思い出す。


 こんな『ただの木』一本でも、美味しくて、思い出があった。


「俺の方が、強かったな」


 勝負は、基本的に俺が圧勝していた。『ただの木』マスターだった、あの頃。


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