#3


「はー……」


 塗り込んだような青い空を、俺はベンチに座りながら眺める。

 霊園内にあるベンチだから、霊である俺にも座ることが可能だ。


 チャレンジ開始から数日が経過した。

 人間であった時とは腹具合の進行が異なり、霊はじわじわと消耗していく。

 生きていれば数日間の絶食は空腹でとんでもなく苛まれることだろうが、霊はそんなことはない。


 その分、ダイレクトに命が削れていくという感じがする。

 飢えるということは死ぬということで、では肉体を失った霊がそれを体験するとなると、己の消滅に繋がる。


「つってもまあ、消滅したらチャレンジ失敗なだけだけど……」


 過去の失敗では、消滅した瞬間にまた霊として誕生(?)した。

 そしてホトケから『チャレンジ失敗じゃのう~!!』と、割とテンション高めに告げられた。


「そろそろ、食べとくか」


 俺は手に持ったばあちゃんのおはぎを、空の次に見つめる。『転換』したから腐ることはないものの、やっぱり最初はこういうナマモノから食べていきたくなるのは、人間の本能なのだろうか。


「……いただきます」


 はぐっ。

 俺は大口でおはぎの半分以上を齧り取った。

 これは持論なのだが、おはぎというものはチマチマ食べるものではない。

 一気に口の中へ放り込み、口内を餅米と粒餡でもっちもっちと満たすのが美味いのだ。あらゆる洋菓子、和菓子と違って、おはぎはこういう圧倒的な食べごたえがある。この食べごたえこそ、俺がおはぎが好きな最大の理由なのかもしれない。


「うめえ」


 ばあちゃんのおはぎは、市販のものよりも塩気が強い。

 変に甘みが強いのではなく、最初に感じるしょっぱさが、あとから来る甘さをより引き立ててくれるのだ。

 餅米も粒餡もほどよく固くて、歯ごたえがある。


 ばあちゃんはよくおやつとして出してくれたが、俺は正直晩飯でも良いと思っていたくらいだ。

 まあ、実際に晩飯でおはぎが出て来たら、それはそれで不満を抱くのだろうが。


「ああ――」


 手に付着した餡を舌でぺろりと舐める。

 これなら何個でも食べられるが、残念ながら個数は有限だ。何より、『転換』したものを口にすると、必ず起こるがある。


 くらりと目眩のようなものが起こる。自分の視界に、滲むものがある。

 環境音だけのこの霊園に、明らかなノイズが走る。

 俺という再生機を使って、何か他の映像を流すような、そんな感覚。


 ――心汰や。ばあちゃんも、もうすぐそっちに逝くからな。


(ああ……毎日、仏壇に手を合わせてくれてるんだ)


 実家にある仏壇には、じいちゃんと俺の遺影が飾ってある。

 ばあちゃんは、毎日欠かさずそこへ手を合わせ、拝み祈ってくれている。

 なんでもない日も、特別な日も。祝日も盆も命日も誕生日も年末年始も毎日毎日。


 ――胃にちょっと嫌な影があります。もっと大きな病院で精密検査を……。

 ――病は怖くありません。先生、はっきり言って下さい。

 ――胃がんの可能性があります。あくまで可能性ですが。


 近所の診療所で、ばあちゃんが医者からそんなことを言われている。

 自分の身体のことは、自分が一番よく分かっている。ばあちゃんは特に驚いた様子もなく、己に起こった異常を受け止めていた。

 むしろ、少しだけ嬉しそうに見えた。


 ――はよう逝ってやらな、二人が可哀想だ。

 ――でも、お義母さん。ちゃんとした治療をしないと……。

 ――いらんよ。いらん……。

 ――あのなあ、母さん。親父も心汰も、そんなこと望んでないだろう。


 父さんと母さんとばあちゃんが話し込んでいる。

 ばあちゃんは胃がんで、もうかなり進行していたらしい。

 すぐにでも入院治療が必要だが、しかしそれを拒んでいる。


 まるで死ぬことを望んでいるような、そんな言い草だ。夫と孫に先立たれたばあちゃんにとって、死ぬことはもう怖いことではない。ただ生きながらえるよりも、それはよっぽど救いのあることだと思うのかもしれない――


「っ……」


 混濁していた意識がはっきりとしてくる。ベンチの背もたれにくっつくようにして気絶していたのか、俺が気付いた時にはもう青い空は茜色に変わっていた。


 そのモノを供えた人の想念を、垣間見てしまう。


 それが、『転換』したものを口にした時に起こる現象だ。

 霊園から出られない俺が、唯一今外の現実で起こっている出来事を知る手段でもある。


「ばあちゃん――」


 同時に、ひどく胸が締め付けられる、ある種の責め苦でもあった。


「どうりで、痩せこけていると思った……」


 去年に比べると、ばあちゃんは明らかに痩せ細っていた。

 その身が大病に蝕まれているのだ。でも、俺の墓前でそんなことは言いたくないのか、墓参りの時は何も言わなかった。

 言わなかったとしても……こうやって知ってしまうのは皮肉なことだが。


「くそっ……」


 俺に出来ることはなにもない。

 霊は祈られる側の存在だ。

 ばあちゃんの健康を祈るのは、どこか矛盾したものがある。

 そもそも、ばあちゃんを精神的に追い込んでいるのは、俺が早くに死んでしまったからなのに。


「俺が生きていたなら……絶対に……」


 ばあちゃんを病院に行かせただろう。きっとばあちゃんも、それを受け入れてくれたはずだ。孫のお願いを、首を横に振る祖母など居ない。

 俺が死んだら、残された者はどうなるのだろうか。

 その答えの一端を、俺は一人供え物を噛み締めながら知る。


 四十九日チャレンジとは、飢えと戦うと同時に――どうしようもない無力感と寂寥感と絶望感に苛まれる挑戦でもある。


 まだ、先は長い。

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