#1

 狭間心汰。享年十七歳。死因、交通事故。

 原稿用紙なら一行も使わない文量で、俺の人生の顛末は語ることが可能だ。

 およそ普通の人よりも早く、それでいて不運に、あっけなく俺は逝った。

 じゃあ何故死んだ後も、こうやって俺は郊外の山中に広がる霊園内でぼんやり空を見上げられるかという話だが――


「やっぱ誰にも見えないもんなんだなぁ、幽霊って……」


 ――何の捻りもなく、幽霊になったからだ。

 記憶もある。意識もある。

 ただ肉体だけが亡く、そしてほとんどの生きている人間に対し、俺は原則一切の干渉が出来ない。同時に、観測もされない。

 それが、幽霊というものらしい。


『ほっほ。良い天気じゃのう~』


 じゃりじゃりと玉砂利を踏み鳴らす音がしたので、俺は視線を落とす。

 真っ黒い着物を着た、おかっぱ頭の童女が、散歩仲間を見付けたかのようなテンションで俺に話し掛けてきた。


「何か用か、ホトケ」


 霊感に優れた童女……ではない。彼女の名前はホトケ。職業、自称仏様。

 ここら一帯を取りまとめている、俺達幽霊の管理人――みたいな存在だ。

 ホトケはあえて察しの悪い反応を返した俺に、ムッと頬を膨らませた。


『とぼけおってからに。わしがお主を茶飲みにでも誘いに来たと思うか?』

「思わねえなぁ。お前ケチだし」

『やかましいわい。受けさせんぞ、を』

「それは困るな」


 謝意の籠もらない謝罪を俺はホトケへと返し、少しばかり回顧する。


 ――人間は、死ねば必ず幽霊となる。


 なんてことを、生きている人間は誰一人として予想していないだろう。

 幽霊なんて眉唾物の存在で、せいぜい見える見えない、居る居ないって話で盛り上がるぐらい。ただの一人も、『もし自分が幽霊になったら?』という視点など持ち合わせていない。

 だから皆、死後すぐ焦る。俺まだ生きてね? って。他ならぬ俺もそうだった。


「え? あれ? ここって……」


 トラックにはねられ、意識がブラックアウトした俺が次に目覚めたのは、よくじいちゃんの墓参りで来ていた霊園だった。


『おいでませ冥土~。わしがこの辺の管理者たるホトケじゃ。新参霊のお主に、わしが色々と説明してやろう。二度も言いとうないから、一回で覚えるがよい』


 かんらかんらとホトケが笑っている。


「は……?」


 そして困惑する俺をよそに、ホトケが微妙に楽しそうな感じでいきなり説明を始めた。

 人は死後、必ず幽霊になること。

 霊として目覚めた地から外には出られないこと。

 霊感なんてものは生者にはなく、絶対に観測されないこと。


「……マジかよ」


 そんな言葉しか出て来なかった。

 感覚としては、確かに常に浮遊感がある。

 遊園地のフリーフォールで落ちる瞬間がずっと続く感じだ。

 心地良くはない……すぐ慣れたが。


 霊は足がないというが、ちゃんと足はある。

 ただ、全身が微妙に透き通っていて、俺は己の腕を透かして地面がちょっと見えることに最初は泣きそうになった。


 それでも、自分が最早生きたものではなく、霊であることに疑いはなかった。

 すんなりと納得してしまったのだ。生きている人間が、自分は生きているとわざわざ自認せずとも良いように、霊は自分が霊だと自ずから理解してしまうようだ。


『意外じゃろ~? 人類の数だけ霊はあるというわけじゃな』

「いや、でもおかしくないか。それならもうとっくに、この世界は霊で埋め尽くされているはずだろ」


 浮かんだ疑問をすぐに俺はホトケへとぶつけていた。

 胡散臭い童女とはいえ、死にたての俺は他人(?)と喋ることにどこか安心感を覚えていたからだ。


 人類は古来から延々と生と死を繰り返してきた。その度に霊が発生しているのなら、もう地球上は霊で過密化しているはずである。

 が、俺は霊園を見渡すものの、別に霊でごった返しているようには見えない。

 ちらほらとが見えるから、霊が俺以外一切居ないというわけでもないだろうが。


『中々に敏い坊主じゃのう。答えを返すと、お主は何か勘違いしておるな。霊とは永遠の存在ではない。普通にがあるのじゃ』


「存在期限……」


 賞味期限みたいな言い方だった。

 生きてないから寿命って言葉は当てはまらないのか。


『命日より五年が経過した時点で、お主ら霊は皆、逝くのじゃよ』

「ああ、天国ってこと?」



『いや地獄』



「…………は?」


 物騒なワードがホトケの口から飛び出していた。

 生きている時はその単語に恐怖など大して覚えなかったが、今は違う。

 それが『在る』と直感的に分かってしまうから。


『五年経てば、お主らは皆揃って地獄逝きじゃ。楽ちんシステムじゃな』

「ヤバ過ぎるだろそのシステム……。大体の人間は死んだら天国に逝けるって思って生きてるんだぞ……」


 生前、善行を積み重ねれば――みたいな条件はつくが。

 死んだ後のことなど知るか! と思う奴も居るとはいえ、結構な数の人間が死後の行き先についてはぼんやりと考えを巡らせるものだ。

 少なくとも、地獄の可能性大だとは――悪人以外は――思うまい。


『そんな生者の与太話など知らぬ』

「与太話扱いかよ」

『誰が言い触らしたかは知らんが、生前の行動で勝手に天国と地獄の振り分けを決められたら困るっちゅうに。わしらの仕事を勝手に奪うなバカタレが』


「……一応確認だけど、地球上に霊が溢れ返ってない理由は」

『そらもう楽ちんシステムじゃよ』

「正式名称なのか……!?」


 楽なのはホトケみたいな管理者側の話であり、俺みたいな単なる霊からすれば背筋が凍るばかりのシステムだ。霊は五年経てば強制的に地獄へ逝く――従って、そう霊の数は増えたりしない。悲しいほどに分かりやすい。


「でも、待てよ。ならどうして霊なんかになるんだ? 誰もが地獄逝きなら、死んだ後さっさとそうすればいいじゃないか」

『良い質問じゃのう。答えを返すと、お主ら霊にはチャンスがある。天国に逝くことが出来るチャンスがの』

「チャンス……」


『言うまでもなく、地獄は甘っちょろい場所ではない。読んで字の如く、地獄じゃ。落ちれば永劫の責め苦を受け続けることになる。一方で天国は良いぞ? 毎日ニートじゃ!』

「天国の比喩としてどうなんだそれは」


 まあ、地獄が俺達の考えるそれと同一のものなら、天国の方がマシなのは明らかだが。

 ホトケはくつくつと笑って、人差し指を一本だけ立てた。


『名付けて、四十九日チャレーンジ!!』

「…………。は?」

『名付けて――』

「聞こえなかったわけじゃないって。意味が分からなかったんだよ」


『ふむ。じゃがルールは簡単! 開始日から四十九日間、飢えなければクリアじゃ! その時点で天国に逝ける! ハッピーエンドじゃな!』

「何だそりゃ……飢えなければって。そもそも幽霊って飢えるのか?」


 現在の自分の腹具合を確認するが、正直腹が減ったとも膨らんだとも思わない。もうそういう有機的な概念からは解放されたと言うべきか。

 石ころは腹が減らないだろうが、今の俺はそれに近いような気がする。

 ホトケは着物の袂から扇子を取り出して、パタパタと己を煽った。


『今はの。四十九日チャレンジ中は飢えるようになる』

「なら飢えるとして……何を食べればいいんだよ」


 俺は霊園のほうぼうに生えている雑草へ手を伸ばすが、まるで触れられない。

 透過してしまうのだ。

 俺が居る側と、雑草が在る側は、近いようで限りなく遠い。

 それはつまり、食べる物なんて何も無いのでは? ということだが。


『あるじゃろ。一つだけ、お主ら霊が口にして良いモノが』


 扇子をパタンと閉じて、ホトケは指し示す。俺の隣にある、誰かも分からない墓。

 そこにぽつりと置かれた紅白饅頭――お供え物。


『己への供え物! 原則、お主らが口に出来るのはそれだけじゃ。つまり四十九日チャレンジとは、わけじゃな』

「な……んだよそりゃ。メチャクチャなルールだ。そんなの、もう今更どうしようもないじゃないか。俺、そんなに知り合い多くないぞ!?」

『知らん。じゃが、あえて答えを返すならば、お主らが死後唯一持ち越せるのは、富でも栄誉でも名声でもなく――』


 ホトケが霊園を見回す。つられて、俺も視線を追わせる。


 ボロボロだけど、綺麗な花が備えられた墓。

 新しいけど、鳥の糞が付着したままの墓。

 もうとっくに朽ちて、刻んだ名前すら読めない墓。

 花も供え物も溢れ返っていて、誰からも愛されていたであることが分かる墓。


 様々だ。墓一つ一つに、色濃く見えるものがある。

 それを、ホトケは端的に――


『――。ただそれだけだったのじゃ』


 ――そう、表したのだった。

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