9話

「大宮! そこだと後続に潰されるぞ! 休むならフィールド内に入れ!」


「――おい、楓! ほら、肩に掴まれ!」


 楓より先にゴールしていた渚がたまらずに楓をフィールド内へ連れて行くために駆け寄り、肩を貸す。

 だが楓はなされるがまま、力なく渚に持ち上げられると――。


「ふぁ――」


 目も開けずに生あくびをした。


「おい、自分で歩け! 何を欠伸してるんだ。寝るな! 部活中にふざけてるのか!?」


 自由奔放だと思ってはいたが、ここまでマイペースでふざけるなど許せない。

 そう渚が怒気を顕わにしている時、顧問がサッと顔を青ざめさせた。


「――欠伸だと……? おい川越! 大宮をゆっくり降ろせ!」


「え、は、はい」


 顧問の言う通り、即座にトラック上に楓を横たえる。

 楓は、相変わらず目も開けない。唯ならぬ顧問の様子に、渚も不安になり始めた。


(もしかして熱中症かなにかなのか、だとしたら、ウチは何て酷い事を……っ)


「おい、大宮! 聞こえるか! おい、おい!」


 大声で声をかけ、肩をバンバンと叩き――そして楓の親指を思いっきり握り潰すように親指と人差し指で挟む。


 見ている部員が思わず顔を顰める程に痛そうだったが――それでも楓は何一つ反応しない。


「おい、川越は救急車を呼べ、急げ! 他の部員は日陰になりそうな物を持ってこい!」


「――ぇ」


 救急車と言われた意味が一瞬飲み込めず、渚は呆けた声を出した。


「急げ、早くしろ!」


「は、はい!」


 顧問の悲鳴にも似た怒声にハッと我に返り、救急車を呼んだ。


 渚は電話先の隊員に症状を聞かれ、しどろもどろながらに「陸上の練習中に欠伸をした後、意識が無くなって」と伝えた。救急隊員は直ぐさま向かいますと告げ、電話を切った。


 その後、数分間。


 救急車が来るまでの間、部員や顧問が必死に、そして涙ながらに楓の名前を呼び続けるのを渚はただ呆然と見ていた。

 そして救急隊員がそっと楓を担架に乗せ、部長に解散指示を伝えた顧問と一緒に救急車の中へ消えて行くのを見ると、思わず脱力して膝をついてしまう。


 直ぐに搬送先が決まったのか、救急車がサイレンを鳴らし『端によって道を空けて下さい』と叫ぶ救急隊員の声を聴くと――全てが夢のように感じた。


 周囲には騒然としながら戸惑っている部員が取り残されているだけだ。


 ただ、渚の横には――確かに楓がいない。


 ずっと傍にいて当然だった存在がいない。

 それだけで渚には、とんでもない違和感で――やっと楓が大変な事になったという実感が湧いてきたのか、涙が溢れてきた。


「楓……っ。かえでぇえええ……っ。ぁ、ああああああ……っ」


 何故アップの段階で不調そうだったこと、様子がおかしかった事を顧問に伝えなかったのか。

 違和感に気が付いて対処してやれなかったのか。

 渚は後悔の念に苛まれ――いや、それだけではないと自ら気が付いた。


 真夏の太陽が作り出した影の中は、果たして肉体を遮ってできたものだけだったのか。

 あるいは混乱する幾多もの想いがおとした陰だったのか。


 渚はどんな表情をしていたのか、影からは判断できなかった――。



―――――――――――

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