第4話 王国の最後

それから二週間、リリアはほぼ不眠不休で働いた。

そばにいる執事長がいくら休息を取るように勧めても、たまに立ったまま壁に寄りかかって腕組みをしながら十分ほど仮眠を取る程度だった。

おかげで、弟から連絡が来るまでに、溜まっていた執務はほぼ全て片付いていた。

次官たちにも根回しをさせ、後は弟たちが来れば、政治は再び安定を取り戻し、正常に動き始めるはずだった。

革命勢力の動きは活発化し、あちらこちらで衝突が起き始めていたが、いずれ鎮圧することは可能だとリリアは踏んでいた。

そうすれば、経済対策に集中できる。

父が亡くなる前の繁栄が続く王国に戻ることが可能だと、強く信じていた。


弟たちからの連絡が来るまでは。

執務室に執事長が急いで入ってきた。

肩で荒い息をついている。

「リリア様、弟様が‥‥‥」

リリアに荒い走り書きのメモを渡す。

彼女は立ち上がり、執事長から書類をもらい、視線を落とした。

そして、大きなため息をつきながら、椅子に腰を下ろした。

「鉄道事故か‥‥。おそらく革命派に移動経路を知られたな。もしかしたら、王国鉄道内に革命派のスパイがいる‥‥‥か。さて困った。」

リリアは表情一つ変えていなかった。

「とりあえず次官を呼んでくれ。可能な限り情報を隠してもらうように頼む。少しでも時間が稼げればいいんだが」

「承知しました。儀式の日程はいかがいたしましょう」

リリアは、落ち着いている彼女にしては珍しく頭を抱えた。

「日程は現状はそのままで頼む、ただ」

彼女は壁にかかっている家族団らんが描かれた絵を見上げる。

「弟たちは三人いる。しかし、一人は重病、一人は人質にとらえられ、今最後の一人が鉄道事故で安否不明になったわけだ」

リリアは大きく瞳を広げると、机にあった葉巻を取り出す。

ゆっくりと火をつけると、煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

彼女の指先は震えていて、無表情を装っている顔よりも感情豊かだった。

「とりあえず、閣僚たちを呼んで人質になっている、カリアを助け出せないか掛け合ってみる。望みは薄いけどね」

執事長が頭を下げて執務室から出ていくと、リリアは紫煙をくゆらせた。

机の上にあった万年筆を手に取り、力任せにへし折った。

インクがまるで血の涙のように、机の上に飛び散った。

彼女は執務机のインクを、下唇を血が出そうになるまでかみながらにらみつけていた。

しばらく、そのままの姿勢でいた後、葉巻の火を消し忘れているのに気が付いた。

葉巻を手に取り、灰皿に押し付ける。

執務室にはまだ、紫煙が残っていた。

それらの煙は、徐々に集まり始め、まるで空中をさまよう蛇のようになった。

煙でできた蛇が、自分の首元にかみつこうととびかかってきた。

リリアは、近くにあった灰皿を投げつけ煙でできた蛇を縦に真っ二つにする。

煙は消え、粉々になった白い灰皿だけが床に散らばっていた。

疲れているようだ。

相当心が追い詰められているな。

少し休もう。



そう思って立ち上がり、ふと父の肖像画を見たくなって後ろを振り返った。

そこには、音もなく少女がいた。

リリアが反射的に後ろに下がる。

少女は、白いネクタイに白シャツ、白いロングスカートに黒いマントを羽織っている。

チェスの駒みたいにコントラストがはっきり際立つ服装だった。

少女の瞳も右目は、闇のような黒い瞳、左目は太陽光のようにわずかに黄色がかった白い瞳だった。

顔立ちは整っていて、気品を感じさせ、数世代前の貴族の箱入り娘だといっても違和感は全くなかった。

ただ、彼女の右手が真っ赤な血で染まっているにもかかわらず、服には一切汚れがついていなかった。そして、国王の執務室という極めて重要な場所に、そのような状態で入れていることが異常事態だった。

リリアは後ずさりをしながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

会話をして、少しでも時間を稼がなければ。

「おまえは誰だ。」

「‥‥‥」

少女は、無表情で無言だ。

まるで、凍った湖の水面を見ているかのように、そこには、興味も、悪意も、哀れみも、もちろん慈悲や喜びも一切なかった。

美術館の大理石の彫像の方がよっぽど表情豊かだった。

「ここに入れるということは、人ではないな。革命派が雇った悪魔か?」

「‥‥‥」

少女は無言で、血まみれの手をかざす。

血は、鋭い返しのついた矢じりのような形に変貌していた。

まずい。ここで殺される。

助けを呼ぼうにも、相手は明らかに人ではなく、間に合う保証もない。

「一つ教えてくれ。」

リリアは無駄だとわかりながらも、言葉を紡ぐ。

「君は王国をつぶしに来たのか。それともこの世界を壊しに来たのか?」

少女は二つ目の問いに対して初めてうなずいた。

チャンスだ。

「なら、最後くらい選ばせてくれ。混沌の中で世界を終わらせるのではなく、荘厳に秩序立てて世界を終わらせたいんだ。」

少女が初めて口を開く。

「どんなふうにあがいても結果は同じ。世界はなかったことになる。初めからね。」

「それは違う。」

リリアの返答に、少女は意外そうな顔をする。

「例え、最後は決まっていたとしても、そこに向かってどのように進んでいくかは、この世界の民が決めることだ。彼らが秩序立てて安心して最期を迎えることは、次の世代への贈り物になる。」

「贈り物?」

「そうだ。例え困難にぶち当たっても、どのような態度で臨み、それを解決に導けるかは自分たちの力で決められるということを証明できる。それは、次の世代につながる」

少女はゆっくり手を下ろす。

「貴女にはそれができると?」

少女の声は鈴が鳴るような愛らしい声だった。しかしその口調には氷のような冷たさがあった。

「あぁ。私に時間をくれ。君はどうせ人間じゃないんだろう。そして、世界の滅亡はきっと歴史のもつ逆らえない運命なんだろう。だが、君が猶予をくれれば、私は秩序立てて、安寧の中でこの世界を終える準備ができる。君だってその方がいいだろう」

少女は、一瞬隙を見せた。

今まで自分は世界を混沌に貶めて、破壊の限りを尽くしてきた。

世界は最後には醜くなって滅んだ。

しかし、目の前にいる女にこの世界の最後を任せれば、自身が誕生してから初めて、美しい中で世界を終えさせることができるかもしれなかった。

その誘惑に、少女は迷った。

リリアはその一瞬を見逃さなかった。

背中にあった宝剣を手に取ると、軍隊時代に随一とうたわれた剣術で、少女の首を切り落とそうとした。

誤算だったのは、彼女が動いた刹那は、少女の感覚で見れば千年に近かったことだ。

リリアが剣先で何かをとらえたと感じる瞬間と、剣先が切り取られ、彼女の首に突き刺さるのが同時だった。

「だから先輩言ったじゃないっすかー」

リリアは、床に倒れ伏す際に、人懐っこい声と猫の耳が生えた長身の女を見た気がした。

床に倒れ、首からほとばしる熱い鮮血を感じながら、リリアの瞳から生命の光が消えた。

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