第9話 ナッツイーター 後編


「とりあえず、マークを安全な場所に送らないと……。一旦街に帰りましょう」


 局部を齧り取られた無惨な遺体が転がり、血の匂いが漂うこの状況でもイリスは平静を保っていた。こういうところが流石プロだな、と裕真は感心する。

 彼女の提案はもっともだ。一旦引き返そう。と思った矢先――


「……いや、その必要は無い、自分で帰れる。傷も塞がったしな……」


 そう言うとマークはよろよろと立ち上がった。

 血で染まったズボンから赤い雫が零れ落ちている。痛々しくて見ていられない。


「馬鹿! 身体の一部を失ったのよ! 傷が塞がっても身体のバランスが崩れてマトモに動けないはずよ!!」

「そうです! フラフラじゃないですか! そんな状態じゃオオネズミにだって負けますよ!」


 股間を抉られた傷は全快ポーションで回復した。だが肉体の一部を欠損したことでのバランスの消失と精神的ダメージは本人の想像以上に能力を損なう。アニーが言う通りこのまま一人で返したら、オオネズミの餌食になってもおかしくない。


「あんた、もうすぐ子供が生まれるんでしょ? お父さんに何かあったら、その子が可哀想よ」

(…え? こんな若いのにお子さんが!?)


 と、軽く驚く裕真。

 マークは裕真の目から見て、大学生から新社会人ぐらいに見え、まだ結婚するような歳に見えなかった。

 いや、もちろん日本でもそれぐらいで結婚する人もいるが……裕真の周囲にはいなかったので、つい。


「……これ以上、俺に恥をかかせないでくれ。こうしてる間にもナッツイーターは

獲物を求めて彷徨ってるんだ……。あんたら、あいつを駆除しに来たんだろ? 俺に構ってるせいで犠牲者が増えたら、それこそガキに顔向け出来ねぇよ……」


 なぜ知ってるの?と一瞬疑問に感じたが、つい先ほど大きな声で「駆除しなきゃ!」と叫んでいたのだった。

 それにしても立派な心掛けである。初対面の時はイリスをからかっていたので悪印象だったが……人は一面だけでは判断できないものだ。

 裕真はより一層彼を放っておけなくなった。


「マークさん! たいして時間は掛けない! ほんの10分程度で送り届ける!!」

「え? 10分?」


 マークは耳を疑った。今この場所はマイラの街から歩いて半日ほど離れている。空でも飛ばない限り10分で帰るなんて……


「……いい?」と一応イリスに確認を取る。

「ええ、よろしく」と彼女は快く答えてくれた。


「ありがと! MP100! 《カモシカの靴》!!」

「う……うわぁぁっ!」


 裕真はマークを《ゴリラアーム》の腕力でがっちりホールドし、MP100で強化された脚力で空高く飛び上がった。

 それはもう「走行」ではなく「飛行」。森も丘も川も飛び越え、一直線にマイラへ帰還するのであった。



 ―― 20分後 ――



 マイラの街まで帰還した裕真、マークを街の警備隊に預け、迅速に戻ってきた。

 天高く飛び跳ねる裕真の姿が少々騒ぎになってしまったが、緊急事態だったので気にしないでおく。


「ただいま! 無事預けてきた!」

「おつかれさま」

「いや、凄いですね……歩いて半日の距離を10分で、なんて」


 なお裕真が帰還するまでの間、2人はハンターたちの遺体を地中に埋めていた。本格的な埋葬ではなく魔物に齧られない為の一時的な措置である。

 ナッツイーターの討伐が終わったら、葬儀屋の馬車を引き連れ回収しに来るつもりだ。


「さて次はナッツイーターをどうやって見つけるか、ね。行動範囲が広がった分、探すのも大変だわ」

「探知系の魔道具も買っておけば良かったな……」


 周囲を見回し、少しウンザリとする裕真。

 この広い草原から1体の魔物をどうやって見つけるのか……


 だが、その心配は杞憂に終わった。


 どこからともなくガリガリガリ……という音が聞こえる。石か金属のような硬い物を削り取る音。

 真っ先に気付いたのはイリスだった。彼女は一行の中で一番耳が良い。

 何気なく音が聞こえる方向に目を向けたら……


「ユーマ!! 股間! 股間!!!」

「……え? なに? ……ひえええっ!?」


 悲鳴交じりの声を上げるイリス。それに応え裕真が視線を落とすと……


 股間に何かが喰らいついている!


 それは栗色の毛皮を持つ巨大な獣だった!!


 体長2mはあるリスの化物……『ナッツイーター』!

 探すまでもなく、向こうからやって来た!!



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 狂獣属【ナッツイーター】 討伐Lv40


 『レッサーラタトスク』というリスの魔物から発生した突然変異。

 人類の睾丸しか食べないので常に飢えており、狂暴。

 非常に素早い。音も無く近づいて一瞬で睾丸を食い千切る。

 鋭い牙は厚さ5cmの鉄板も貫く。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 さっそく睾丸を狙われた裕真だったが、《ガードバングル》が展開するバリアのおかげで無事である。ガリガリという音はナッツイーターの牙がバリアを削る音だった。


「こいつぅ!!」裕真はナッツイーターの頭を狙い拳を振るった。

 拳は《ゴリラアーム》で強化されている。本来はちょっと重い物を持ち上げる際に使う物だが、裕真のチート魔力で強化すれば立派な武器になる。

 ここに来る前、試しに3mほどある岩石を殴ってみたら、易々と砕くことができた。ナッツイーターといえど、これを喰らえば一溜まりもないだろう。


 が、しかし、裕真の拳は空を切った。ほんの瞬きをする間にこの魔獣は裕真の股間から姿を消し、数10m後方に移動していた。


「な…… なんてスピードなの!?」

「スピードも恐ろしいが、こんなに接近されたのに、まるで気付かなかった!!」

「“ナッツ”を狙う習性が無ければ私達が危なかった……!!!


 アニーが言うとおり、この魔物に睾丸を狙う習性が無ければ、女子2人の首に喰らいついていたかもしれない。

 そしてそれを防ぐ手段が、こちらには無いのだ……。


 戦慄する一同。そんな心情を察したのか、ナッツイーターはこちらを嘲るように口を歪め――


「ふふふ…… なんて硬いクルミだ…… だが殻が硬ければ硬いほど噛み砕き甲斐があるというもの」

「ひぇっ!? 喋った!!」


 驚きのあまり腰が抜けそうになる裕真。

 魔獣の口から発せられたのは間違いなく人語。しかもちょっと渋くて良い声だった。


「高位の魔物は知能も高いのよ!!」

「知能って……」


 魔物が人語を話すというのは地球のファンタジー作品でも珍しくないし、いずれ出会うかもと予想はしてたが、最初が睾丸を喰らう猟奇的な珍獣とか……。なんというか夢を壊された気がした。

 ただでさえ高いこの怪物への嫌悪感が更に増す。もはや1秒たりとも生かしておけない。


「ええい気色悪い!! 今すぐ死ね!! MP100!《ショックボルト》!!」


 杖から魔法の衝撃波が放たれる! それも1発だけではない、外すことも見起して、4、5発と立て続けに撃ち込んだ。

 草原が爆煙に包まれる…… だがそこにナッツイーターの姿はなかった。

 衝撃波を易々と交わし、土煙の向こうから無駄打ちした裕真を馬鹿にするようにケタケタと笑っているのだ。


「全然当たらない! 素早すぎる!!」


 愕然とする裕真。これが賞金30万マナ(約3千万円)の実力か……。


 だがこの能力を見せられてもイリスは動じず冷静に指示を出す。


「想定の内よ! 打合せ通りに行きましょう!!」


 その言葉にドキッとする裕真。実は事前に対ナッツイーター用の作戦を立てていたのだ。

 ……ただその内容が――


「……やっぱやらなきゃダメ?」

「ダメ!」

「ああもう! そら来い!!」


 裕真は逆立ちして自分の股を大きく広げた。

 そう、作戦の内容は単純明快。裕真の“ナッツ”を囮にするというものである。


 少年のその姿、ナッツイーターには大輪の華が咲き、香しき蜜の香りを放っているように見えた!!


「キ〇タマ~!!!!!!!」


 ナッツイーターの意識が食欲に支配された!

 この獣はその寄食癖のせいで常に空腹に悩まされているのだ!!

 警戒心も空腹の前ではあえなく吹き飛び、一心不乱に“ナッツ”を目指す!!!


「チャンス!」


 イリスは『弓の精霊』を召喚し、実体化した弓矢を引き絞る。


「弓の精霊よ! 影を射貫き、大地に縫い留めよ!」!


 ナッツイーターが裕真の“ナッツ”に齧り付こうとした瞬間、イリスが放った矢が魔獣の影を射貫く。するとどういうわけか、魔獣の動きがピタリと止まった。

 それは『弓の精霊』のスキル《影縫い》の効果である。どういう原理か不明だが、対象の影を射貫くことで動きを止めることができる。

 このように精霊との契約者は、精霊が持つ不思議な力を借りられるのだ。


「キノコの精霊たち! 出番ですよ!! 《エノキ乱舞》!!」


 今度はアニーが『キノコの精霊』の力を使い、巨大なエノキを召喚した。

 細長いエノキは触手のように蠢き、ナッツイーターを縛り付ける。

 魔法抵抗力の高い魔物だと《影縫い》の効果は数秒しか持たない。なのでアニーのエノキを上乗せして、より強固に拘束したのだ。


「今です! ユーマさん!!」


 作戦は最終段階に入った。裕真の拳でトドメを刺すのだ。

 正直言って生き物を殺すのは抵抗がある。だが、この怪物が生み出した惨状を見た後で痛む良心は無い。


「MP100! ゴリラアーム!!」


 ナッツイーターの顔面に巨岩を砕くゴリラパンチが炸裂! その頭部が爆散した!!

 血と肉片と脳漿が周囲に飛び散ったが、《ガードバングル》のバリアが汚れを弾いてくれた。


「や……やった……! ナッツイーターを…… 300,000の賞金首を倒した!!」


 イリスは感激のあまり目に涙を浮かべた。

 作戦中は努めて平静を保っていた彼女だったが、緊張の糸が切れ、一気に激情が溢れてきたのだ。


「……我ながらヒドい殺し方をしてしまった」


 裕真は頭部の半分……口から上が吹き飛んだ魔獣を眺め、そう呟いた。

 傷む良心は無い……などと息巻いていたが、実際に砕いてしまった後、若干の罪悪感を感じてしまった。同じ殺すにしても、もっとやりようが……という思いが拭えない。


「まぁ、こいつのしてきた事を思えば、微塵も可哀想だと思いませんけどね」


 対してアニーはサッパリしたものだった。

 ハンター……魔物の命を奪う仕事をしているだけあって、ドライに割り切っている。これは見習うべきなのだろうか?

 

「……やったわね! ユーマ! アニー! 良いチームワークだったわ!!」

「ええ…… そうですね…… こんなに上手くいくとは思ってませんでした! ほとんど被害無しですもの!!」


 浮かれるイリスに釣られたのか、アニーのテンションも上がってきた。

 なにしろ賞金30万マナである。庶民の平均年収の10倍近い稼ぎだ。そんな大金、2人とも見たことがない。

 プロのハンターから年相応の少女に戻り、キャッキャッとはしゃぐ2人。

 その光景を見て裕真の緊張も解れてきた。


「股間に食いつかれた時はマジびびった……」


 いったいどれほどのダメージを受けたのかと気になった裕真、懐からスマホを取り出し、バングルをチェックした。


【 ガードバングル 残り耐久力 1,990 → 1,890 】


「うわっ! バングルの耐久力が100も減ってる! トロールに殴られた時は10しか減らなかったのに!!」


 ヒル・トロールが放ったダンプの衝突のようなパンチを思い出す。

 ナッツイーターの牙はその10倍もの威力があった事に戦慄した。


「攻撃が一ヵ所に集中してたせいもあるけど…… 恐ろしい破壊力ね」

「ユーマさん以外が狙われてたら即死じゃないですか! うわっ怖っ!! 今さら冷や汗が出てきました!!」

「ふふ、そうね、街に帰ったら一杯飲んで温まりましょう ……あ、そうそう、こいつを解体してからね。ちゃちゃっと済ませるから、見張りよろしく」


 そう言うとアニーは腰のマジックバッグから解体ツールを取り出し、横たわるナッツイーターの元に向かった。


「それなら丸ごと持ち帰って、加工所に任せても――」

「ダメよ! 賞金首ユニークモンスターの素材は凄く高く売れるから、解体する職員がネコババしちゃう事があるの! それで打ち首になった職員を何人も見てるんだから!!」

「打ち首制度があるのに やっちゃうのか……」


 死のリスクがあるのに……いや、地球の犯罪者でもそういう無茶をするケースがあるな。

 テレビで見た話だが、犯罪者が犯罪を犯す理由の大半は「想像力の欠落」にあるとか。「自分が逮捕される」「最悪、死刑になる」などという想像ができないから罪を犯すとか――


「まぁ、そういう事なら任せる」

「うん、すぐ済むから。ふふ、それに賞金首を解体出来るチャンスなんて滅多にないもの♪ どんな身体の構造をしてるのか楽しみ――」


 イリスはナッツイーターのすぐ横に膝を着き、バッグから解体ツールを取り出したところ―― 



 ナッツイーターがむくりと起き上がった。頭の上半分が吹き飛んだ姿で。



 「……え?」


 次の瞬間、イリスの腹部が裂けた。ナッツイーターの鋭い爪が引き裂いたのだ。

 そう、この怪物はまだ死んでなかった。脳が破壊されても、残された臓器や神経が生命活動を維持していたのだ。

 とはいえ頭部を欠損し、目も耳も使えない状態なのに、どうやってイリスを察知し攻撃できたのか? 魔物ならではの超感覚? ただ反射的に動かした腕が運悪く当たっただけ?

 いや、そんなことはどうでもいい、今重要なのはイリスが重傷を負ったということだ。

 手で押さえても滝のように零れる血......、素人目にも分かる深い傷…… 


 その光景に裕真の頭は真っ白になり、次の瞬間、一気に沸騰した。


「てめぇ!!! よくもっ!!」


 《ゴリラアーム》の耐久力も気にせず闇雲に拳を振るい、ナッツイーターの残された肉体をミンチにした。

 粉々に砕け散るナッツイーター。それと一緒に《ゴリラアーム》も砕け散る。

 脅威の生命力を持つ怪物だったが、今度こそ本当に死んだ。


「イリス!!」「イリスッ!!!」

 二人はイリスの元に急いで駆け寄り、手持ちの『回復ポーション』をありったけ浴びせた。

 だが出血は止まらない…… イリスの命が零れ続ける……



「はは…… まさか頭無しでも動けるなんてね…… さすが30万の賞金首……」

「イリス!! 動いちゃダメ!! 今、治療してますから――」

「……ダメよ、臓器まで抉られている。この傷は『全快ポーション』じゃないと治せない…… 散々見てきたから……」


 イリスが言う通り、傷口は一向に塞がらない。

 彼女は同じような光景を何度も見てきた。それは同業のハンターだったり、国の兵士だったり、運悪く魔物に襲われた旅人だったり様々だが、どの程度の傷が致命傷になるのか分かるくらいに人の死を見てきた。

 そして今日、自分に番が回ってきた。“見送られる側”になる日が。


「……ごめんなさい、あなた達の言う通り――」

「喋るな! 安静に!」

「いいえ、言わせて…… これは遺言だから…… 私の骨は『お姉ちゃん』と一緒に――」

「あ〜 、もしもし? もしや、お困りですか?」


 イリスの遺言を遮り、どこからともなく男性の声が聞こえてきた。

 驚きながらも後ろを振り返る裕真。するとそこには長身痩躯の……若干気だるげな表情をした男が立っていた。


「誰だ! あんた!?」

「俺はシノブ。ただの通りすがり……あんたらと同業だろ」


 裕真はシノブと名乗った男を観察した。服装は軽装の革鎧。それは確かにハンターギルドでよく見かける格好だった。


「ところで丁度、ここに『全快ポーション』があるのだが、買わないか?」

「え!?」


 思わぬ申し出に2人は声を弾ませた。

 

「売ってくれるのか!? ……いえ、くれるんですか!?」

「ああ、もちろん。困った時はお互い様だろ」


 良かった、助かった……。街から遠く離れ街道からも外れた草原に、偶然『全快ポーション』を持った人が通りかかるなんて! なんという幸運!


「ただ、知ってるとは思うが、この薬はそこそこ高価なもんだ。流石に無料タダでは譲れないだろ」

「もちろんお支払いします! おいくらですか?」



「100万マナ(約1億円)でお譲りしよう」



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 【 現在の所持魔道具 】


 ショックボルトの杖

 耐久力   400/3,000


 ショックボルトの杖(予備)

 耐久力 3,000/3,000


 シャドウボルトの杖

 耐久力     1/3,000


 シャドウボルトの杖(予備)

 耐久力 3,000/3,000


 ガードバングル

 耐久力 1,890/2,000


 マジックバッグ

 耐久力 2,780/3,000


 ゴリラアーム

 耐久力   100/200


 ゴリラアーム(予備)

 耐久力     0/200(破損)


 カモシカの靴

 耐久力   199/300

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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