第8話 俺はまだ何も考えてないっての!
朝の光が窓越しに差し込み、部屋全体を柔らかな金色に染めている。ベッドの上で横たわる私――セリアは、目覚めてすぐに頭を抱えた。昨日の出来事が、まるで悪夢のように鮮明に蘇ってきたからだ。
「ああ、やっぱり言うべきじゃなかったかもな……」
「ちょっと時間をくれ」と、昨日、アレンとエリオットに告げた。心の準備をするため、そして自分の中の混乱を整理するために出た言葉だったが、あの二人がそんなに簡単に引き下がるとも思えない。
「……今日こそ静かに過ごせますように」
そう呟きながら、部屋を出て、用意された朝食を急いで済ませる。贅沢な料理には慣れつつあるが、今朝は味わう気力すら湧いてこない。この異世界に来てからというもの、日常のあれこれが全て非日常に思えて疲れが溜まる一方だ。
「少し気分転換が必要かもしれないな……」
私は屋敷の門をくぐり、朝の冷たい空気を吸い込みながら街に向かった。しかし、その瞬間――
「おーい、セリア!」
元気いっぱいの声が広場に響き渡る。金髪を陽光に輝かせたアレンが、まるで待ち伏せしていたかのようにこちらに向かって手を振っていた。
「おいおい、何で朝からいるんだよ!」
私は思わず叫びそうになるが、ぐっとこらえる。アレンは何事もなかったかのように近づいてくると、気軽な調子で問いかけてきた。
「今日の予定は? 一緒にどっか行こうぜ!」
「予定なんかないし、そもそもお前と出かける気も――」
言い終わらないうちに、別の声が割って入った。
「おはよう、セリア。君に届け物を持ってきたんだ」
振り向くと、エリオットが穏やかな微笑みを浮かべながら立っていた。彼の手には、小さな包みが丁寧に握られている。
「何だよ、お前もか……」
私は思わず声を荒げた。アレンの存在だけでも手一杯なのに、エリオットまで朝から現れるなんて。しかも、その平然とした態度が逆にイラつく。
「この世界の繊細な職人技が活きた品だよ。君に似合うと思って」
エリオットはそう言って包みを開け、中から美しい細工のペンダントを取り出した。柔らかい光を受けて輝くそれを、彼は優しい手つきで私に渡してくる。
「……朝から何なんだよ、お前らは!」
自分でも分かるくらい苛立ちが滲んだ声を出してしまった。それでも、二人はまったく動じない。
アレンは肩をすくめて笑う。
「まあまあ、そんなに怒るなよ。俺たちがいるんだから退屈しないだろ?」
エリオットも静かに頷き、目を細めた。
「怒らせるつもりはないよ。ただ、君が少しでも笑顔になれるなら、それで十分だから」
この堂々とした二人の態度に、私は言葉を失いかけた。すると、ふと耳に届いたのは、周囲の人々のひそひそ声だった。
「セリア様、今日もお美しいわね」
「それにしても、アレンさんとエリオットさん、どちらを選ぶのかしら?」
「やっぱりアレンさんよ。あの大胆さが素敵だもの」
「でも、エリオットさんの誠実さも捨てがたいわ」
聞こえてくる噂話に、顔が一瞬で熱くなる。私を取り巻くこの妙な状況が、街中の話題になっているとは思いもしなかった。
「もう勘弁してくれ……」
思わずため息をついたその瞬間、アレンが軽く笑いながら肩を叩いてきた。
「そんな噂、気にすることねえよ。くだらねえ話だろ」
「くだらないとかそういう問題じゃないだろ!」
反論しようとした矢先、エリオットが静かな口調で口を挟む。
「噂よりも、君がどう思っているかの方が重要だ」
その冷静な言葉に、一瞬、場が静まった。いや、違う。そういう問題じゃないんだよ。
「俺はまだ何も考えてないっての!」
勢いでツッコミを入れると、アレンが大きな声で笑い、エリオットが柔らかな微笑みを浮かべる。そして次の瞬間、二人の表情に意気込みが宿ったのを私は見逃さなかった。
「なら、俺が決めさせてやるよ!」
アレンが拳を握りしめて笑みを見せる。それに対してエリオットも静かながら、目には決意の光を浮かべていた。
「最終的には君が決めることだけど、その前に、私たちがどういう人間かをもっと知ってほしい」
「はあ……」
深いため息が漏れる。どうしてこうも簡単に話が大きくなるんだ、この二人は。
「……とりあえず、静かに過ごしたいだけなんだけどな」
私の心の声は、二人に届く様子もなかった。
アレンとエリオットは、どちらも私の言葉には耳を貸さず、次なる行動を計画しているようだった。そんな中、私はもう一度、噂話に耳を傾けてしまう。
「でも、セリア様はどうして誰も選ばないのかしら?」
「きっと迷っているんじゃない?」
「でも選ばれた方が羨ましいわね。あんな美しい方を独り占めできるなんて」
――羨ましくない! 全然羨ましくない! 私の内心の叫びが空しく響く。どうしてこんな話題がどんどん広まるのか。
「おいセリア、そんなにため息つくなよ」
アレンが横から覗き込むように声をかけてきた。
「そんな噂、聞き流しときゃいいんだよ。俺がしっかり守ってやるから安心しとけって」
「守るって、何から守るんだよ……。それに、そもそもお前たちが原因だろ!」
冷静になれない私を横目に、エリオットは少しだけ眉を下げて苦笑する。
「アレンの言うことには賛成しないけれど、確かに噂は気にする必要はないよ。重要なのは、君自身がどう思うかだ」
噂を一蹴する二人の姿勢には感謝するべきなのかもしれない。けれど、それ以上に彼らの強引な態度が私を混乱させる。
「だから言っただろ、俺はまだ何も考えてないっての!」
もう一度強くツッコむと、アレンが「そこがまた可愛いんだよな」と笑い、エリオットが小さく肩をすくめた。
「まあ、まだ考えられないのなら仕方ない。ただ、私たちも諦めるつもりはないよ」
「そうだな!」
アレンが大きく頷き、力強く拳を振り上げる。
「よし、なら俺がもっとセリアに俺の良さを分かってもらう作戦を考える!」
「私は君に無理をさせない範囲で、誠実に接していくだけだ。そこは安心してほしい」
「お前ら、本当にどうしてそんなに前向きなんだよ……」
深いため息をつきながらも、私の心の中では少しだけ暖かいものが広がるのを感じていた。面倒だけれど、どこか憎めない二人。けれど、今はただ静かに過ごしたいだけなんだ。
私の一言で場が一瞬静まり返る。だが、アレンとエリオットがこのまま黙っているわけがないことは、今までの経験から嫌というほどわかっていた。
「じゃあ、セリア。静かに過ごすのもいいけどさ、俺と一緒に出かけるならもっと楽しいことができるぜ?」
案の定、アレンがぐいぐいと前のめりになってきた。
「それこそ噂を振り払うにはうってつけだろ? 俺が一緒にいれば、誰もくだらない話なんてしねえよ」
その自信満々の笑顔に、思わず突っ込みたくなる。
「お前と一緒にいる方が噂が増えるに決まってるだろ!」
「そうか? 俺なら全部笑い飛ばしてやるけどな!」
相変わらず能天気な態度だ。それが彼の持ち味なのだろうけど、こっちにとってはただの頭痛の種でしかない。
「セリア、君が街中で過ごしにくいと思うなら、静かな場所を探そう。噂を避けられる場所を案内できるかもしれない」
エリオットは穏やかな口調で提案してくるが、それもなんだか違う気がする。
「いや、どこに行ったって結局お前らがいる限り同じだって!」
言いながら、私の中で小さな後悔が湧いてくる。「少し時間をくれ」なんて言わず、もっと強く一人にさせてくれと頼むべきだったのかもしれない。
しかし、次の瞬間、アレンが大きな声を出して場を盛り上げてきた。
「よし、じゃあこうしようぜ! 俺がセリアを守ってる間は、どんな噂も全部ぶっ飛ばす! そんでエリオット、お前がやりたい静かな時間を過ごしたいなら、俺の許可を取ってからにしろ」
「……君が許可を与える立場ではないと思うけれど?」
エリオットが軽くため息をつきながら返す。
「細かいことはいいんだよ! とにかく、俺がセリアの側にいるってのが一番大事なんだからな!」
「一番かどうかは、セリアが決めるべきだろうね」
この二人のやり取りに付き合うだけで、体力が削られる気がする。そんな中で、また周囲の噂話が耳に入ってきた。
「セリア様、きっとアレンさんを選ぶわよね」
「でもエリオットさんの誠実さは捨てがたいわ」
私の顔がまた熱くなる。この街中が噂の温床になっているとしか思えない。
「おい、やっぱりこれ無理だわ!」
ついに堪えきれず声を荒げると、アレンが興味津々な目で覗き込んでくる。
「何が無理なんだ? 俺たちのことか?」
「そうだ! お前たちも噂も、全部だ!」
エリオットが少しだけ驚いた表情を見せる。
「セリア、少し落ち着こう。私たちは君にとって迷惑をかけるつもりはないんだ。ただ――」
「ただ、なんだよ!」
私はさらに詰め寄る。そんな私を、エリオットは静かに見つめながら言葉を続けた。
「ただ、君が笑顔でいられるなら、どんな手を尽くしても構わないと思っている。それが私たちの本心だから」
彼の穏やかな口調に、不覚にも胸が少しだけ締め付けられるような感覚を覚えた。これがエリオットのやり方なのだ。彼の誠実さには抗いにくい力がある。
その時、アレンが横から割り込んできた。
「お前、何言ってんだよ! 笑顔にするなら、俺が一番得意だろ!」
「……だから、そういう強引さがダメなんだって!」
「ええ? 強引な方が早いだろ? いちいち細かく気を遣ってたら時間の無駄だぜ」
「それは君の考えであって、セリアにとってどうなのかが重要なんだ」
この二人のやり取りを見ながら、私はまたしても頭を抱えた。
「お前ら、いい加減にしてくれよ……」
結局、何を言っても状況は変わらない気がして、私はただため息をつくばかりだった。
それからしばらく、広場を散歩しながら頭を冷やそうと思ったが、二人が私の両側にぴったりと張り付いているせいで、まるで護衛付きの貴族みたいになってしまった。噂好きの街の人々の視線を集めるばかりで、逆効果もいいところだ。
「なあセリア、せっかくだしどっか美味いもんでも食いに行こうぜ!」
アレンが隣で相変わらず調子のいい声を出す。
「朝ごはん食べたばっかりだろ……」
私は呆れて返した。が、彼の勢いは止まらない。
「それでも腹減るもんだろ! あそこの屋台の焼き鳥、めちゃくちゃ美味いんだぜ?」
「いや、俺は別に……」
そのやり取りを見ていたエリオットが、少し微笑んで言葉を差し挟んでくる。
「セリアが望むなら、私も付き合うけれど……でも、無理に誘うのはよくないと思うよ、アレン」
「またそれかよ! お前はいつも冷静ぶりやがって……そんなんでセリアを楽しませられるのか?」
「楽しむ方法は人それぞれだ。大事なのは、セリアが何を望んでいるかを尊重することだと思うけれど」
二人がまた火花を散らし始める。私はその間で、完全に空気のような存在になっていた。いや、むしろ挟まれているぶん圧がすごい。
(……もう勘弁してくれ)
心の中で何度も叫びながら、私は手近な屋台の前で立ち止まった。二人の議論を止めるには、こちらが行動を起こすしかない。
「じゃあ、そこで何か買うから、それで終わりにしてくれ」
そう言うと、アレンは勝ち誇ったように笑い、エリオットは少し肩をすくめた。どうやらこの選択は、アレンの勝利とでも言いたげな雰囲気だ。
屋台で焼き鳥を受け取った私は、ようやく静かになった二人を連れて、その場を離れた。少しでも距離を置こうと歩き始めたが、結局ついてくる二人の存在感が変わることはない。
「セリア、君が望むなら、どんな提案でも受け入れるよ」
エリオットが改めて落ち着いた口調でそう言った。
「だから、今は望んでないって言ってるだろ!」
私がそう返すと、アレンがすかさず口を挟む。
「まあまあ、そんなに怒るなって。ほら、もっと楽しいこと考えようぜ!」
「お前たちがいなければもっと楽しいよ!」
叫びたくなる気持ちを抑えながら、私は深く息を吐いた。街の人々の視線がまだこちらに集中しているのがわかる。噂がさらに広がっていくのが想像できて、ただ憂鬱だった。
「俺が静かに過ごしたいって、そんなに難しいことか?」
そう呟いた私の声が届いたのかどうか、二人は相変わらず自分たちのスタンスを崩さない。
「難しくはない。君がそれを望むなら、私はすぐにでも――」
「いや、お前たち両方が黙れば解決するんだけどな!」
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