第6話 ……悪くない時間だったかもな

待ち合わせ場所は静かな公園だった。大きな木々が周囲を囲み、木漏れ日が地面に模様を描いている。鳥のさえずりと、風が葉を揺らす音が心地よく響く。街の喧騒から少し離れたこの場所は、確かに落ち着くには最適な環境だった。


「セリア様、こちらです」


エリオットが木陰のベンチに腰掛けて手を軽く振った。いつものように穏やかで整った笑顔を浮かべている。


「お前、こういう場所しか選ばねえのかよ」


つい、軽口を叩いてしまった。彼といると自然とそういう言葉が出てしまうのは何故だろうか。


しかし、エリオットは全く気を悪くする様子もなく、優しい声で答える。


「君が落ち着ける場所を選んだつもりです」


「……っ!」


その一言に、一瞬言葉が詰まる。「君が落ち着ける場所」。たったそれだけのために場所を選んだという、あまりに真っ直ぐな意図に、心のどこかがふと揺れた気がした。


「……まあ、別にいいけどさ」


あえてそっけなく返すと、エリオットは小さく微笑んだ。


「では、少し歩きませんか?」


手を軽く差し出す彼に、俺は深呼吸を一つして頷いた。


***


公園を抜け、街の外れにある湖へと向かう道は、自然に囲まれた穏やかな小径だった。季節の花が咲き誇り、通り抜ける風にはどこか懐かしい香りが混じっている。


エリオットは変わらず穏やかな口調で、この世界や魔法について話し続けていた。


「この湖は、古くから魔術の研究者たちの間で重要な場所とされてきました。特に、浄化の魔法に関する研究が進められた場所として知られています」


「浄化の魔法?」


俺は彼の言葉に思わず聞き返す。魔法の知識なんてほとんどない俺にとって、それは耳慣れない言葉だった。


「はい。例えば、この湖の水を使って作られた魔法陣は、飲み水を清浄にするために使われています。今ではこの街の人々の生活を支える魔法の一つですね」


「へえ、意外と便利なんだな……」


そんな魔法が日常の一部として使われているのは、現実では考えられない話だ。俺が感心したように言うと、エリオットは嬉しそうに頷いた。


「そうですね。この世界の魔法は、特別な力であると同時に、人々の生活を支える基盤でもあります」


彼の説明は丁寧で分かりやすい。それでいて押し付けがましくなく、自然と耳を傾けてしまう。話を聞きながら、足元の草が揺れる音や、遠くで流れる水の音が、心を不思議と穏やかにしてくれた。


「……まあ、悪くないな」


俺はぽつりと呟いた。その言葉がエリオットに届いたのか、彼は優しい微笑みを浮かべるだけだった。


湖が見えてきたのは、それからしばらく散歩を続けた後のことだった。小道を抜けると、広々とした湖面が現れ、太陽の光を反射してきらきらと輝いている。


「ここがその湖か」


俺は立ち止まり、その景色に目を奪われた。水は澄んでいて、奥まで見通せるほど透明だ。辺りには小さな花が咲き乱れ、風が吹くたびに水面が波立つ。その光景は、異世界に来てから見たものの中でも、特に印象的な美しさだった。


「ええ、この湖の水は古来から神聖視されてきました。周囲の環境も含めて保護されています」


エリオットが俺の隣に立ち、湖を眺めながら説明する。その表情には、どこか優しい感慨が滲んでいた。


「でも、ここまで来るのも結構手間だよな。わざわざ見に来る人なんているのか?」


俺の素朴な疑問に、彼は首を振った。


「ここを訪れる人は少ないですね。研究者か、特別な理由のある人だけです。ただ――」


エリオットはふと俺に視線を向け、静かに微笑んだ。


「こうして君と静かに話せる場所としては、とても良いと思います」


その言葉に、俺は不意を突かれたような気分になった。


「……お前、それ、どういう意味だよ?」


目をそらしながら尋ねる俺に、彼は全く動じることなく答える。


「そのままの意味です。君とこうして静かに話せる時間が、僕にとってはとても貴重だから」


「っ!」


彼の瞳は、まっすぐ俺を見つめていた。誠実さが滲むその目に、嘘偽りはないのが分かる。


「……ずるいだろ、それ」


ようやく絞り出した言葉は、精一杯の抵抗だった。心臓が妙に騒がしい。エリオットの言葉が、どうしてこんなに胸に響くのか、自分でも分からない。


「ずるい?」


彼は少しだけ驚いたように眉を上げたが、すぐに柔らかく笑った。


「僕としては、ただの正直な気持ちを伝えただけですよ」


その一言がさらに追い打ちをかける。


「ったく、お前みたいな奴、どう相手すればいいのか分かんねえよ!」


俺は照れ隠しにそう言って顔を背けた。エリオットはそんな俺の態度にも何も言わず、ただそっと笑みを浮かべたままだった。


***


その後も湖畔を歩きながら、彼は魔法の話やこの世界の文化について教えてくれた。自然と耳を傾けてしまうその声には、どこか穏やかな安心感がある。


そして、何より彼が言葉の一つ一つを選んでいるのが分かった。無理に俺を引っ張ることもなく、ただ俺がこの世界を知るための手助けをしている。それが心地よかった。


「なあ、エリオット」


「はい、何でしょう?」


「お前ってさ、自分の時間とか気にしないのか?」


ふとした疑問だった。彼は常に人を優先しているように見える。それが自分の時間を削っているのではないかと思ったのだ。


エリオットは少しだけ目を細めた後、言った。


「僕の時間の使い方は、僕が決めます。そして、今こうして君と過ごす時間は、僕にとって大切なものです」


再び、まっすぐな言葉が胸に届いた。


「……ほんと、お前ってそういうところあるよな」


俺はそっけなく返したが、その言葉には自分でも気づかないほどの感謝が含まれていたかもしれない。


湖畔での散歩を終え、街へと戻る道すがら、俺の心にはエリオットの言葉がずっと残っていた。彼の誠実さは、ときに眩しいほどで、俺がどこかで目を背けたくなる理由も分からなくはない。それでも――


「……悪くない時間だったかもな」


誰にも聞こえないよう、小さく呟いた俺の言葉は、風に消えていった。

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