それは山の中に在ったと彼は言う。

 実際にその場所に行ってみれば、車通りのそれなりにある山の中、県道から外れて頂上の方へと向かう側道からちらりと視界の端に映りこむ事もあった。

 大体は乱雑に生え放題の下草に隠れてしまい、気が付くことはない。それでいいのだ。わざわざこの朽ちかけた社を見に来るもの等そうはいないだろう。


 あの山にそのお社が出来たのは、いつだったか。少なくとも、まだ電気はない頃だった。活字もなかった。麓にあった村々は統合されたり喧嘩別れをしたり、川の流れが変わったり道路が引かれたりと色々あったが、今は一つの大きな市になっている。

 落人の隠れ郷の伝説は、山の麓の市が町であり、村であったころから細々と語り継がれていた。しかし、人の古老はすでにその頃の話を忘れ、語り継ぎはしていない。酔狂な学者の耳に届かなければ、このまま朽ち果てるに任せるだけであった。


 けれど子供が、彼が、それを見つけた。

 その子供は近所の子供ではなかった。ある時親の親戚の家に遊びに行った帰りの車で移動中に、ふ、と視界に入ったに過ぎない。そうしてそれは、子供の記憶の片隅に、ずっと残っていた。彼は、そう語った。

 子供――佑都ゆうと(仮名)は、ある日、とある動画を見たという。それは男が祠を壊している動画だった。何か棒、佑都はバットだと思った。それを振りかぶり振り下ろし、振りかぶり振り下ろし。横に薙いでは殴打した。

 やりたい、と思ったという。

 やっていいんだ、とも思ったそうだ。

 だから佑都はそれを、思わずその動画のコメント欄に書き込んだ。そうしたら賢しらな、自分に良識があると思い込んでいる大人たちから止めるようにと言われた。大人だってやっているのだから、自分だってやっていいはず、なので、ある。

 大人に言ったら止められる、という事をその一件で学んだ佑都は、親には何も言わないことにした。まずは祠を壊すためのバットを入手しなければならない。

 別に、野球をやるわけじゃないし、手に馴染むとか軽いとかそういのはどうでもいいと思った。でも強度は、大事かもしれない。

 ネットで、バットについて調べてみたけれどよく分からなくて、とりあえず護身用、って書いてある、安い奴を買うことにした。あ、でも家に送ったらバレる。どうしよう。そうだ、コンビニ受け取りにすればいいんだ。

 そう言った時、佑都は僕頭がいいでしょうと言わんばかりの顔をしていた。


「あのおじさん家って、どこだっけ」


 リビングで寝そべりながら、さりげなさを装って佑都は父に聞いた。父の兄弟ではなく、父の親戚。そう何度も遊びには行っていないけれど、たまに行く、親戚の家。


「山の中を車で通るところ」


 そうしてまんまと父親から、あの祠のある山の場所を聞き出した佑都は、その最寄りのコンビニエンスストアでバットを受け取ることにした。貯めてあったお小遣いで安いけれど護身用って書いてあるから、それなりに強度があるだろう奴を買ったのだ。

 親にその山まで車で送ってくれ、というのは無理なので、佑都は移動方法もネットで調べた。履歴に残って知られるのは嫌なので、けれど家族みんなで使う用のタブレットの履歴の消し方なんて分からないしそれを検索してるのが見つかるとそれはそれでうるさそうだから、佑都は他にも色々と検索して、上書きをすることにした。色々と用意した言い訳は、気が付かれなかったのか興味を持たれなかったのか分からないが、使うことはなかった。

 決行は、学校が半日の土曜日にした。実際は登校しない。両親はどうせ仕事でいないし、学校には駅前の公衆電話から休みますと連絡を入れた。その電話を受けたのは担任ではなく、佑都の家の電話番号を把握していなかったので、お大事にね。といって疑いもしなかった。

 自宅最寄り駅から電車に乗って一時間。それから乗り換えて、もう一時間。乗り換え案内をノートに写すのは、別に大変じゃなかった。両親がいない時間を狙うのは、そんなに大変でもない。どうせ二人とも仕事で帰りは遅いんだ。

 むしろ大変だったのは、金曜日にバットがコンビニに届くように指定をすることだったと佑都は回想する。コンビニ受け取りをするのは、初めてだった。

 目的の駅に着いたら、駅の掲示板にある地図を見て、山までの道のりを調べた。登山をするような山じゃないし、観光名所があるような駅でもないから、分からなかった。駅間についてしか書いてなかったんだ。だから交番で聞いた。

 バットを受取る予定のコンビニの場所も聞いて、バスに乗った。帰りの交通費の事を考えると、昼飯は抜きになった。お小遣いが少ないと、佑都は唇を尖らせた。

 佑都はコンビニでバットを受取って、もう一回念のために山の場所を聞いて、なんでって店員に聞かれたから、その近くに親戚が住んでいるから、と答えた。一人で来てみたかったのだと。でも自分用のスマートフォンを持っていないから、地図を見れなくて、コンビニで聞いたのだと。確かに、嘘は言っていない。


「なんか、変な子でしたよ」


 コンビニに当時の事を伺いたいと問い合わせたら、その時、佑都を接客したという店員がまだ働いていた。彼は、伊藤(仮名)と名乗った。


「近所の子じゃなかったし、県道が通ってる山の事は聞いてくるし。うちのコンビニからだと……歩いて三十分くらいですか? いやいつも車で、歩かないで分からないんですけど。車だと十分くらいですかね? だから、近くないんですよ。全然。

 なのに、そこの近くにいる親戚の家に行くっていうし。うちの店で何か細長い箱の通販物受取るし」


 通報は?


「店長と話し合って、まだ何も起きてないとはいえ、しました。通報というよりは、相談、ですかね?」


 巡回がてらおやつを買っていくといういつもの警察官が来たときに、話した、と伊藤さんは言った。警察官は、そちらにパトロールをしてくれることになったそうだ。佑都がコンビニを出てから少し時間が経っていた。どれくらい経っていたかは、覚えていないけれどと、伊藤さんは申し訳なさそうに付け足した。

 もっとも、その結果を伊藤さんたちは警官に聞いていない。翌日以降これといって殺人事件とか暴行事件とかのニュースになっていなかったから、気のせいだったか未遂で防げたのだろう、と店長と話していたそうだ。


 佑都はコンビニを出て、店員に教わった通りに目の前の道を歩きだした。それに沿って歩けば、目的の山へと辿り着く。三十分か、もうちょっとか。時計を持っていなかった佑都は、沢山歩いた、としか記憶していない。

 沢山歩いて山に到着した佑都は、山を登った。勿論、県道はその山を越えているから、道なりに歩いていくだけでよかった。

 目的地の祠が見える側道は、中腹よりも上にあった。実際にその道を歩いてみたが、車通りはさほどないとはいえ、歩道はなく、傾斜はそれほどないがカーブはあり、大人でも、いや車を運転する大人だからこそ、少し恐怖を感じた。

 佑都はコンビニで通販の段ボール箱を開けて、バットを自分の通学鞄に挿した。段ボール箱はコンビニに捨てた。


「あんた何してんの」


 佑都が壊したという祠を求めて右往左往していると、一台の車がすぐそばで止まった。

 運転手は、佑都のそばを走り去った車の一台だったという。あの時も不思議に思ったけれど、声はかけなかったと言っていた。歩いて祠に向かいたいことを説明すると、もっと先だよ、と教えてくれた。

 礼を言って、また山道を登った。登った、というほど傾斜はない。感覚としては、緩やかなスロープである。

 祠が見える側道の所では、先ほどの車が止まって待っていてくれた。ありがたく、インタビューさせて貰うことにした。


「言われてみれば、昔からあるね」


 麓の町に住む清水(仮名)さんは、毎日この道を通って通勤している。子供の時は何であんなところに、と思っていたけれど、大人になるにつれて気にならなくなっていったという。そこにある、というのが、日常になったのだろう。

 県道から少し側道に入ったところの車止めから、その祠は見えた。少し、傾いでいるようだ。


「どうかなあ。前からああだった気もするなあ」


 佑都がバットで殴りつけたことによる損壊ではなく、経年劣化の可能性もある、と清水さんは首をひねる。ここまでまじまじと祠を見たことがなかったそうで、記憶に自信がないとの事だ。


「あんたたちなにしてるの」


 今度は、パトカーがやってきた。

 清水さんと自分は側道の車止め近くに居り、祠には近寄っていない。だから警官としては、強く止めることは出来ないようだった。

 自分は佑都の足取りを追っているのだと伝えた。


「ああ、あの子か」


 警察官である松本(仮名)さんはあの日、いつものようにパトカーでの巡回中、伊藤さんのいるコンビニエンスストアに寄った。警察官がパトカーで巡回している、という姿を地域住民に見せるためだ。

 そこで伊藤さんから相談を受け、いつもの巡回ルートを外れ、こちらに走ってきた、という。


「多分少年がコンビニを出てから、自分たち

がコンビニに行くまでに、それなりに時間が経っていたんでしょうね。見落とさないように、と制限速度以下のスピードで走っていたのもあって、山の麓までの間に、追いつくことは出来ませんでした」


 パトカーがコンビニを出た時刻は、大体午後になったところだと松本さんは言う。

 佑都が家を出たのが朝の八時過ぎで、そこから電車に乗って約二時間、バスに乗って三十分弱、コンビニを出て三十分弱なので、単純計算では午前の終わりには山に到着していたことになる。

 松本さんと同僚の乘ったパトカーは、念のため山を通り過ぎてしばらく走り、この先にはいないだろうと判断したところで山を登る道へと入っていったという。

 山の麓には家屋があるが、中腹にはない。故に、まずは裾野から捜索した形になる。


「自分たちがここに着いた時には、少年はもう祠の所にいてね」


 佑都は荷物を持ったまま、茂みに入り込んでいたという。鞄を下において、バットを振りかぶったところで、制止が間に合ったと、松本さんは結んだ。


「ほら、ネットでブームになったでしょう。だからまあ、やる子は出るだろうなあとは、思ってはいたんですよねぇ」


 大人はネタにして笑っても、実際には行動に移さない。不法侵入や器物破損など、複数の法に触れるだろう、ということが分かるからだ。けれど、分別のつかない子供だと、その限りではない。

 神様に祟られるだとかそういう事を抜きにした人間が定めた法の部分でも、色々ある、ということを知らないからだ。


「声をかけたら、びっくりしてね。とりあえず、話聞かせてって声をかけて、パトカーに引っ張ってって。

 いや、素直でしたよ。何してるのって聞いたら、ネットの動画で祠壊してるの見たから、自分もやろうと思ってって」


 松本さんは、あの祠が誰のものか知っているのか、等佑都に聞いたという。佑都の物でないのであれば、それは他の誰かの物で、その他の誰かにとって大切なものかもしれない。それを佑都が許可も取らずに勝手に壊していいはずがないだろう、と伝えたそうだ。


「下草とか生え放題でしょう? だから誰も大切にしてないんじゃないかって言われましたけどね。誰もずっと大切にしていないなら、もう壊れてるよって言ったら納得してくれましたよ」


 とはいえそれは五分十分の話ではない。一時間でも二時間でも、松本さんたちは付き合うつもりだったという。

 対話することで色々なことが回避できるなら安いものだと、今日もパトカーに同乗していた同僚の方ともども、とてもいい笑顔だった。

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