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それは秋の終わりの、寒い日だった。前日までは上着は必要だったり必要なかったりしていたけれど、雨が降ったその日はいきなり真冬並みの寒さとなっていた。
綿入れを着こんでくるのだったと自分の尻尾を抱えてガタガタ震えながら、キツネの
生憎、春愁は関東は東京の、王子稲荷のキツネである。毎年冬になると寒い寒いと文句を言っていた。
主祭神であらせられる
「春愁。
どうしてお社における神様の部屋は一番奥なんだと、ちょっと脳内で毒づいてから、春愁はその部屋のふすまの前、廊下に座して参上を告げた。耳も尻尾もちゃんと仕舞って、完全に人の似姿である。
「おはいりなさい」
宇迦之御魂神様がお招きくださったので、サッサと春愁は部屋の中に滑り込んだ。春愁は王子稲荷の頭領キツネではないけれど、この部屋には最近よく呼び出されていたから、慣れたものだ。あまり慣れたくなかったな、等とは今はもう思わない。
「お前、そんな薄着できたのですか! ああほら、火鉢にお当たりなさい」
「お言葉に甘えまして」
宇迦之御魂神様のおわすお部屋の中には、大ぶりの火鉢があった。春愁はそれを抱えるかのようにへばりつくと、ちらり、と、宇迦之御魂神へと視線をやった。さっきまでは辛うじて人の似姿を取れていたけれど、もはやそれもままならない。大きなキツネの耳は頭上でその存在を主張しているし、尻尾は火鉢にへばりつくことのできなかった足の裏を温めている。
宇迦之御魂神は女性的な立ち振る舞いを好む傾向にあるが、歴とした男神である。伝承では女神とされていることも多い。長い髪を後ろで一つに結び、それをさらにこなれたお団子にし。おくれ毛部分を緩っと巻いているのだからそりゃ女神にも間違えられようモノだと、キツネたちの間でもっぱらの噂である。
ちなみに宇迦之御魂神様のヘアスタイルを整えている天女たちの趣味で、心根のお優しい宇迦之御魂神様はなにも突っ込んでいないだけなのも、キツネたちは知っている。
そんな宇迦之御魂神様はキツネたちと話す時はキツネの面をつけることが多かった。別にキツネに気を使っての事ではない。キツネになりたいわけでもない。ただ可愛いキツネの面を見つけた時に着けておくと、キツネたちが反応してくれるからだ。ちなみにキツネたちの間では、反応するように、と申し送りされている。コメントすると、宇迦之御魂神様喜ばれるので。
今日の宇迦之御魂神様のキツネ面は、スコティッシュフォールドのように耳の折れた、茶色いキツネの面だった。そんなのあるのか。
「なんか普通のキツネですね、本日のお面」
「ね、私もびっくりした」
天女が温かいお茶を持ってきてくれた。礼を言って受け取って、春愁はありがたく飲み干す。胃の中から温まる。
ようやく人心地ついた所で、春愁は宇迦之御魂神様の方に向き直った。そうして、座り直し、頭を下げる。
「ご用命は」
「あのね。いま。もきゅめんたりーほらー、っていうのが、流行っているっていうでしょう?」
「ますね。はい」
どこでその情報を得たんだ、と、春愁は内心突っ込むが口には出さない。その情報は今は不要だ。
「やらない?」
「やらないですね」
「やろう?」
「ご下命ですか」
「……出来る?」
「出来るか出来ないかで言えば、多分出来ます」
「じゃ、やって!」
「承りて御座います」
まだ年若く、頭領になる予定なんてこれっぽっちもないキツネの春愁が宇迦之御魂神様によくお呼ばれしているのは、こういう理由である。すなわち、遊び相手。
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