第6話 うさぎと"そういう"こと

 朝五時、起床。

 俺は目覚め、数秒ボーとしたのち身体を起こす。隣で眠るメアリーを起こさないよう音を立てずにベットから降りる。

「ふぁっ――ふぁぁ……」

 朝の静けさの中、大きくあくびしながら部屋を出る。もちろんメアリーの部屋を出る時の注意を忘れない。

 まずドアに耳を当て、廊下に人がいないか探る。いないことを確認した後ゆっくりドアを開け出る。

 シャルならなんとか子供だから誤魔化せそうだが、シャルのお母さん、ママシャルに見つかるのはいささか危険だ。

「うし、誰もいねぇな……」

 廊下に誰もいないことを確認した後、音を立てないようゆっくりドアを開け外に出る。

「もうここ来て二週間か……だいぶ透明人間として生活も慣れてきたな」

 俺は急いで階段を駆け下り玄関から外に出た。

「ふんっ! ――んあ〜〜……開放的ー」

 前世ではあまり見ない土の道を歩く。朝の爽やかなそよ風が吹きサワサワと背の短い草が揺らめく。幸せそうに踊る草を輝かせる燦々と煌めく太陽が巨大な山脈からその顔を覗かせつつあった。

「日の出か、ちと早く起きすぎたか……まぁたまには朝一に陽浴びもいいかも」

 俺はまだ薄暗い曙色あけぼのいろの空を仰ぎながら呟く。

「ついでに朝飯を調達しなければ、確かあっちの森に食べれそうなフルーツみたいなんがあったはず」

 俺は景観を楽しみながらマロン家の門を出て、草が剥げただけの道を歩く。道なりに進むとマロン家とは違う家がチラホラ並んでいる。

 やっぱ静かでいいな、この村。牛豚鶏が家畜として飼われていたり、やはり前世と世界の成り立ちは同じようだ。ただ、その肉を食ったことがないので美味いかは知らん。


――――――――――――――――――――


「昨日見つけたフルーツはここら辺に……お、あったあった」

 村を出て歩くこと数分、少し森に入ったとこに腰程の高さの木に成る小さい果実を見つける。

「ぱっと見、食えそうな感じはするが……」

 俺は枝に実るそれを丁寧に割る、もぎ取ってから割ると、透明になってしまうから。中身はなんと黒かった。

「………………これは、ダメかなぁ?」

 それは赤く、ブルーベリーサイズの実だった。

「いやっ!ここは異世界!挑戦こそすべき!」

 俺は勢いよく枝からもぎ取り透明になる前に口に放り込んだ。

「はむっ! …………」

 口の中で転がし、その味を存分に味わう。噛み砕くと中身がニチャァと出てくる。

「……ゴクッ……ふぅ〜、食えないことはない、でも不味い、絶望的にまずい……」

 俺は苦虫を噛み砕く顔で呟いた。

「こら食いたくねぇな……ん?」

 ふと隣から草の音が聞こえたので見ると、野うさぎのような生物がいた。ぴょこぴょこ跳ねて、俺に近づいてくる。

「うさぎ? 前世とそっくりだなぁ、やっぱり前の地球とそっくりな世界で生きていくと同じような進化の過程を辿るのかな、ちとかわいいな」

 俺は久々の癒しにほんわかする。

「……ちょっとぐらいなら、撫でていいかな」

 恐る恐る手を伸ばす。うさぎは全く動かなかった、俺は少し違和感を感じる。

 うさぎってこんな動かねぇけ? 瞳も全然動かさないし、なんか筋肉の動き方も変じゃないか? 普通後ろ足から動くよな? なんかケツから上がったような……。

 俺はうさぎを跨ぎ後ろに回る。そこにはうさぎの尻に一本の紐が繋がっていた。

「んだこれ……?」

 俺はしゃがみ掴む。

「うさぎの体毛……どこに繋がってんだ?」

 その異様な紐を追うと、それは森の中に繋がっていた。俺は無意識に引っ張る。

 グイッとな――。

 その瞬間、目の前の草が薙ぎ倒され、巨大な何かが飛び出してきた。俺は本能的に後ろに避けた。

 と、言ってもほぼ後ろに転んだだけである。急いで立ち上がり前を見る。

「う、嘘だろ……」

 その生物は、俺を上回るほど巨大で、白い毛並みと赤く鋭い瞳。丸い身体に発達した筋肉質な脚。確実に俺に向けられている佇む耳、その全てが俺を『狙って』いた。

「うさぎじゃねぇか……!」

 前世でいうところの、うさぎそのものような生き物だった。ただ違う点としては、丸っこいはずの尻尾はなく、代わりに一本の細い紐でその先端に先ほどの可愛らしい小さいうさぎがついている。

「なるほど……釣られたってことですか……」

 チョウチンアンコウ、光を遮断する漆黒の深海で背びれから釣竿のように垂れる誘因突起を持つ。それは深海にて光に寄ってきた魚を捕食する為にある。

 それと同じで、こいつもあの小せぇ偽りのうさぎで動物釣って本体が後ろから、って感じか?それを知ったところでなんなのって話だけど。

 俺はジリと睨みながら後ずさる。熊が出た時と同じ対処法である。しかしその巨大うさぎは俺を襲ってくるわけでもなく、辺りをキョロキョロ見渡した後、自分の尻尾を鼻で突いたりする。

 あー俺の場所分かんねぇのか。なんほどなんほど……ならこれはチャンスだな。

 俺はバレないようコッソリ移動し、先ほどのマズイ味を視界に入れる。手を伸ばし、考える。

 来い来い……こいこいこいこい…………。

 すると木についていた実たちはプチプチ俺の手元に飛んでくる。それをひとまとまりにして、浮かせる。

 うしうし、動かす魔法に関してはだいぶ上手くなってきた、まだ対象物を見ないといけない点はダメだが。

 うさぎにゃ悪いが、俺の特訓に付き合ってもらうぜ……。

 ヒクヒクとうさぎの鼻が動く。この実の匂いに気がつき俺の方を見る。謎に浮く実の集合体に戸惑い固まってしまう。

 さぁ……どう出る……。

 暫しの静寂、風が俺とうさぎの間を駆け抜ける。日はすっかり山脈から出て、俺たちを照らす。

「ゔぅううゔうあぁ!!」

 うさぎは正体不明の現象に長考の末、攻撃を選択した。

「おし来い! てかうさぎの鳴き声じゃなくね!?」

 うさぎは強靭な脚を使い俺に向かって飛び跳ねる。俺は冷静に努めて、そのタイミングを計らう。

「さぁ、そのでけぇ口開けてみろや!!」

 うさぎは俺の煽りに反応するように、口を開けた。だがそれは俺の想定とは全く違う物だった。

 まず口は横に裂けるように開き、中から本物の口のような筒状のものが飛び出してくる、それの内側には殺傷能力ヤバめの無数の鋭い歯が全体にびっしり生えている。その筒状の口は実の集合体を襲う為、体より早く伸びてくる。 

「おいおい! 進化全然違ぇじゃねぇかこれ!!」

 俺はびっくりしつつも冷静に、浮かせていた味をそのうさぎの口に放り込む。

 うさぎはそれを勢いよく口で捕食する。

「――おし! 成功!!」

 "何かの集合体を動かす"という練習だった。単体か複合体かで想像の仕方が全然違う。一つの挙動を考えるだけで魔法は使えた。しかしそれがなにかの集合体、複数個になると難易度が格段に上がる。

「一個一個を固めて一つとして考える、まだ早く動かせないしガタガタだけど、初めてこんな小さい物の集合体を動かせた、くぅ〜成長を感じる!」

 俺は一人で感動してると、うさぎが変な声を出し始めた。

「う〜〜〜ーーうぎぎぎぎぎぎ!!」

「なんだようるさいな……そんなマズかったか?」

 うさぎは苦痛の表情のまま、痙攣し始める。どこからともなくバチバチ電気の音がする。

「う! びびびびびびぎゃぁぁ!!」

 次の瞬間うさぎは口をバガっと開け、実を吐き出そうとする。その時見えたのは紛れもない、電気だった。

 うさぎが噛んだ実は感電したように稲妻をうさぎの口内に走らせていた。そしてその稲妻は次第に共鳴しあい、強く大きくなっていき、やがてうさぎを包んだ。

「びゃあああああ!!!」

 うさぎの悲鳴が辺りに響き渡る。うさぎは立つこともできず地面に転がる。

「…………」

 俺はどうすることもできず、ただ感電するうさぎを眺めていた。

「びぁっ、あ、あぁ……び――」

 うさぎは数秒後、電池の切れたおもちゃのように動かなくなった。口から薄く煙が昇っている。

 辺りは風も止み、静寂が流れる。

「お、俺はやってない……!!」(震え声)

 俺は急いで踵を返し、その場から立ち去った――。

 数時間後、うさぎが目覚めた時、大量の果実が山積みになって置いてあった――。


――――――――――――――――――――


「え? 電気が流れる実ですか?」

 マロン家に帰ったら後、裏庭にて魔法の授業中だったシャルにメアリーが質問する。俺がメアリーに聞いたのをシャルに聞いてくれている。

「はい、この辺りに食べたら感電するみたいなものありませんか?」

「それなら村を北側に出たとこにある森入ってすぐにたくさん生えてますけど……あのそれがなにか?」

 メアリーは裏庭から見える森を指しながら言う。

「たくさん食べればその分電気も強くなる?」

「……? まぁそういう話ですね、詳しくは分かりませんけど……」

「ありがとうございます……いえ、別になんでもないです、授業を再開しましょうか」

「は、はい、分かりました……」

 メアリーは言い訳する気0の返事だった。シャルは少し戸惑いながらも応じる。

 チラッとメアリーは横目で俺に視線を送ってくる。

 ありがとな――。

 俺は超絶小声で感謝を述べつつ、その場を離れた。

 やはりあれは電気が流れる食べ物だったか、うさぎは一気にあんな量食ったからあんなに痺れた。一応近場の俺が食えた実とか集めて置いといたけど……やっぱ治療すべきだったかな……でも俺のこと凄い勢いで襲ってきたしな……うーむ。まぁ因果応報てことで。

 俺はメアリーが前作った椅子に勝手に座りながら、メアリーの授業を勝手に聞く。机とかに肘ついてだらしなくしても見えないから気にされないし俺も気にしなくていい。

 透明人間も、悪いことばっかじゃねぇよなぁー。

「はい、"動かす魔法"と"纏わす魔法"は順調ですね、では、後回しにしてた"生み出す魔法"……やりますか」

「はい……」

 シャルの現状、動かす魔法と纏わす魔法に関しては実に上達していた。動かす魔法は俺のほうができるが、纏わす魔法は俺よりも普通にできていた。さらにそれ等から派生する応用魔法もちょくちょく使えるようになっている。このたった二週間で。

 てかまず俺、動かす魔法以外一切できないんだよなぁ……。

「じゃ、まず水を出してみましょうか」

 メアリーが言うと、シャルは無言のまま手を出し、強く握る。その表情はメアリーから視線を逸らし、怖がっているようにも見える。

 数秒後、短いが長く感じる静寂の後、シャルが微笑んだ。

「は、あはは……やっぱり難しいです……」

 シャルは笑って自分の失態を誤魔化す。メアリーはその様子を黙って一瞥した。

「そうですか……これに関しては一番教えるのが難しいし、本人の想像力が必要になってくるので、やっぱりシャル自身に頑張ってもらわないといけませんよ」

「はい……」

 大変だなぁ……。

 別に無関心て訳でも非情て訳でもない。ただ子供はどうやっても苦労するもので、それが悪いことじゃないからということを理解しているからである。

 期待に応えられなくてもいいんだよ……なんて言えたらいいんだけどな……。

 そう思うことしかできない自分の立場がどうにも居心地が悪い。

 こんな風に声かけたくなるのも、妹がいたからかな。

「では、この一週間でできるようになりましょうか」

 メアリーはそう言って、授業の続きを始める。

 じゃ、俺も魔法の練習、再開しますか――。

 椅子から立ち上がり、身体を伸ばす。それからずっと、シャルの暗い顔が脳裏に焼き付いていた。 


―――――――――――――――――――


「どうぞ〜、お昼ご飯よ〜」

 ハルさんは机にシチューみたいなものと肉やら野菜やらが乗った皿、なんかコーヒーみたいな黒い飲み物をテーブルに並べていく。

「ありがとうございます」

 メアリーは感謝を述べつつ、マントを脱ぎ椅子にかける。シャルはハルさんの隣の席に座る。

「いただきます!」

「いただきまーす」

「……いただきます」

 ハルさん、シャル、メアリーの三人手を合わせる。もちろん俺の分は用意されていない。俺はただ机の横の壁に寄りかかって見ていた。

 今日は別に腹も減ってないし、たまにはこの人たちの雑談も聞きたいものだ、気晴らしになるし。

 なんて風に思っているが、本当の理由はシャルが心配だからなのかもしれない――。 

「――美味しいです」

「そう? ありがとう、ここの地元の食材使ってるのよ〜!」

 あー、食ってみてぇ……この世界に来てからろくな食事を摂っていないし……。

「そうなんですか、通りで美味しいんですね」

 お前ホントに思ってんのかそれ……さっきから全然美味しそうじゃないけど。美味しいなら笑うくらいはしろよ。

 なんて、テキトーな雑談をしながら時は過ぎていった――。

「――食べ終わったから部屋行くね」

 ハルとメアリーも食べ終わったが、世間話に花を咲かせているときにシャルが椅子から立ち上がりながら言った。

「あら、綺麗に食べたわね、メアリーちゃん午後の授業はいつから?」

「そうですね、二時ぐらいからですね」

「分かりました、それくらいに裏庭に出ます」

 そう言ってシャルは流しに皿を持っていくと、そのまま二階に行ってしまった。

「……で、どう?」

 部屋を出て行ったシャルを見送った後、ハルさんがメアリーにコソッと話すように身を乗り出して聞いた。

 おうふ、これまた胸元が――悪くない。しかし流石の紳士俺、人妻趣味はないものでここは見ないでおこう。つっても引力がすごい、視線が胸元に吸い寄せられる引力がすごい。

「どう……と、言うのは?」

 メアリーは小首を捻りながら聞き返す。ハルさんはチラッとシャルが出て行った扉を一瞥した後、ゆっくり椅子の背もたれに寄りかかる。

「シャルの魔法、どう? できるようになったかしら?」

 ハルさんは笑顔でメアリーに聞いた。

「そうですね、できるようにはなってきてますよ」

「ホント? 良かったわ、なんだかさっきのシャル落ち込んでいるようの見えたから」

 いや凄いな、普通に美味しそうに飯を頬張る女児にしか見えなかったが俺は。言い方キモイな……。これが親の愛と言うものか。

「……確かに、少し躓いているようです」

 メアリーはコーヒーを一口飲んでから答えた。シャルは午前で一度も生み出す魔法を成功できなかった。

「そう……あの子、できないことを笑って誤魔化す癖があるから……」

 確かに、シャルは魔法が出来なかった時、苦笑して誤魔化してたのをよく見かけた。

「魔法の素質はあります、実際他の魔法の習得に時間がかかりませんでした。あとは感覚を掴めればいいんですが……」

「やっぱりそれが出来ないと、入学は難しいわよね?」

「はい、やっぱり基礎で出来て当たり前なことなので、試験で一発で落とされるなんてこともあるかも知れません」

 学校か……そんな目的あったのか、あんな若いのに試験とは、異世界も大変だなぁ。懐かしいな、俺も高校受験、無事落ちたなぁ(泣)。

「そうなの……ま、まぁ! まだ時間ありますもんね!! これからですよ!」

 ハルさんは気まずい静寂を破ろうとわざと大きな声で言った。

 分かる。俺も、まだ一年ある、まだ半年ある、まだ一ヶ月ある、まだ一週間ある――――なんて繰り返してたら受験当日、悲しいなぁ。いやいや、シャルは俺みたいにはならんだろ、真面目だし。いや俺バカすぎるだろ。

「そうなんですが、やはりあそこに入るとなると相当の実力が必要なので……正直言って今のペースで間に合うかどうか……もしかしたらもっと授業の時間伸びるかもしれません」

 そのメアリーの言葉で、食卓は再び気まずい雰囲気に包まれる。

 もう! なんでこの子はそういうことを平然というかな! もっと優しく言えないかな!?

「……そ、そう……なの……」

 ほら、ハルさんも歯切れが悪い! どうすんのこの空気!

 俺は透明ながらにしてメアリーを睨め付ける。メアリーは一口コーヒーを飲んでからゆっくりコップをコークターに置いた。

 ――ふぃーー――。

 声には出ないし顔にも出ないが、どこかそんな効果音が鳴りそうな雰囲気だった。

 ムカッ! なにその音! 他人事かお前にとって!全く、こいつには配慮がないような気がする。別に俺は良いんだけど、クライアントとの関係を悪化させるかもしれない感じがする。よくこれまでやってこれたな、家庭教師。

「……では、私は部屋に戻ります、ご馳走様でした」

 メアリーは残りのコーヒーを一気に飲み干すと、立ち上がりマントを腕にかけた。

「あ、うん、じゃまた夜ご飯にね」

「はい、失礼します」

 メアリーは慇懃に扉の前で頭を下げてからリビングから出て行った。俺は少しハルさんのことを見た後、特に得られそうな物は何もなかったので、俺も部屋を出ることにした。

 

――――――――――――――――――――


 俺がベットでゴロゴロしながら本を読んでいると、メアリーが扉から入ってきた。

「…………ふぅ」

 メアリーは何も言わずに椅子に座ると鏡を見ながら髪を乾かし始める。その格好はいわゆるパジャマで、白色の無地で可愛げがないが、萌え袖だったり空いた胸元だったり太もも露出度高めだったり、さりげない可愛い要素がふんだんに詰まっていた。

「ホントいいなぁそれ、どういう原理?」

 俺は髪を乾かすメアリーに話しかけた。

「手から風魔法を出しています、それを熱魔法で温めてます、風の強さを自由に変えれますし風一つ一つの風向もいじれば髪がすぐ乾きますよ」

 メアリーはペラペラ語る。現在日は暮れ、世界はすっかり闇に呑まれた夜。風呂上がりのメアリーである。寝返りを打って窓から夜空を眺めると、綺麗な星空が広がっていた。

 これが自然か……綺麗。

「ちょっと、聞いてます?」

「え? いや、聞いてなかったわ、てか髪さらっさらっだな」

「なんですか急に気持ち悪い……」

「褒めたんだけど……」

 いつも通りの他愛のない会話。メアリーも嫌そうな顔ではない。

「というか、その本読めてるんですか? 結構難しいと思いますが」

 メアリーは髪を乾かし終わったのか立ち上がり、俺が寝転ぶベットに座る。俺は体を起こし、あぐらをかく。

「んーまー、ぼちぼちだな、簡単なやつはなんとなくわかってきたよ、お前が持ってきてくれた子供向けのやつで」

 と言って俺は前にメアリーから貰った言葉の練習用の本を床から拾う。正確にはベットの下に隠してある。

「ホントありがとな、結構有能だわこれ」

「えぇそうでしょう、私がわざわざハルさんから貰った物ですから使ってもらわないと困ります、変な目で見られましたし……」

 メアリーはちょっと照れくさそうに顔を逸らしながら言う。最後の方はぽしょぽしょうまく聞こえない。

「フッ、安心しろ、お前は元々変だ」

「全然安心できないしあなたに言われたくないです……」

「てかお前、ちと焦りすぎじゃね?」

 俺がいきなり話を変えると、メアリーは俺を見て小首を捻る。

「ほら、シャルの話。全然順調じゃね? 魔法どんどんうまくなってっし、まだ二週間だぜ?」

 メアリーは俺の話を黙って聞いたあと、小さく息を吸ってからしゃべる。

「……ハルさんはシャルを『ファーフェル魔法学校』に入学させたがっています。そこはここら辺の魔法学校の中でも有名で、倍率も高いです。当然他の受験者はもっと高レベルの魔法を今の段階で使えて、今も成長しています」

「は、はぁ……」

「だから、それに追いつくために、もっとペースをあげないと。私はハルさんとシャルをそこに入学させると言う約束で雇われたので、必ず果たさないと――――」

 バシッ、とメアリーのおでこは叩かれる。メアリーは何が起こったのか分からず目を白黒させる。

「……? え? なんですか?」

「焦りすぎ、お願いを叶えたい気持ちは分かるけど、シャルはまだ子供、すげぇ良い子だろ。焦りは禁物、大事なもん見落とすぞ」

 俺は動かす魔法でメアリーのおでこをデコピンした。これくらいの攻撃なら魔法で再現することができるようになった。メアリーは少し固まった後、ゆっくり口を開いた。

「――それは、説教ですか……?」

「いやっ、お前を説教できるほど凄い人間じゃねぇよ俺は。第三者の一つの意見として、心に留めて置いてくれ」

 俺は頭の後ろに手を組んで枕にし、ベットに倒れ込む。

「……まぁ、心遣い感謝します」

「ホントに感謝してんのかそれ!」

 俺がいつも通りのツッコミを苦笑を混ぜながら言うが、メアリーの顔は見えない。

「…………」

 急にメアリーはモジモジしだす、チラチラ俺の方見てなんか言いたげである。顔も少し熱ってる気がする。

「なに? どかした?」

「い、いえ……別になんとも……」

 メアリーは俯いて誤魔化す。

「あっそ、んならいいけど……」

 俺は本に視線を戻し、続きを読み始める。ちなみに手に持っていると勝手に透明になってしまうので枕の上に置いたものを読んでいる。

 カチ――カチ――カチ――。

 部屋に時を刻む音のみが響く。しばらく、メアリーが口を開いた。

「あ、あなたはお風呂に入らないんですか?」

「ん、んー入りたい気はあるけど、めんどいし」

 実際、前世は風呂に入らなかった日とかはないが、こういう状況なら我慢できる。

 でも確かにこっち来てから一回も体洗ってないな……臭くないよな……。

「そ、そうですか……確かにあなた全然臭くないですしね」

 メアリーは俺の背中を触りながらクンクン匂いを嗅ぐ。

「おい……急に触るなびっくりするだろ……」

「あなた透明だからどこにいるか分からないんです。それはそうとして、そういえばあなたの吐瀉物にも臭いがなかったですし、汗とかの臭いもしません……もしかしたらあなたには臭いもないのかも」

「俺無色無臭なのかよ……自分じゃ臭い分かんなかったけど、匂いがないとは……なかなか便利だな」

 これで風呂に入らなくていい……まぁ実際、心の洗濯としては入りたい気もあるんだが、いかんせんまだ危機感が抜けないんだよな、バレるかもしれんという思考がずいぶん行動を制限している。

「……そうですか。はぁ……」

 メアリーは諦めたようにため息を吐く。俺はその様子に違和感を感じ、話しかける。

「どした? やっぱなんかある? 俺不潔とか?」

「い、いえ、そんなことはないんですが……」

 やはりどうにも歯切れが悪い。メアリーは手を自分の太ももの間に挟んでモジモジする。

 ……ピコーん!!

 ここで俺の紳士メーターが跳ね上がる。

「……一応聞くけど、お前って何歳?」

「いきなりデリカシーないですね……なんですか急に」

「いやなに、単なるコミュニケーションだよ。気になるからな、ちなみに俺は16」

「別に聞いてないですし年下なんですか……」

 メアリーは少し考えた後、自身なさげに俺をチラッと見る。

「何歳に見えます……?」

 俺は顎に手をやり、体を起こす。

「うーーん、200歳?」

「ぶっ殺しますよ?」

 間髪なくメアリーはなんかの魔法を俺に放とうとして手を向けてきた。部屋は白い光に包まれたが、俺は慌てて否定する。

「いや違うから! よくあることだろ? 一見10代に見えたら実は200歳超えてるとか、なんか凍ってたとか言って……」

「――いやいませんよそんな人……」

 メアリーは俺に向けていた手のひらを下ろし、顔を顰める。

「私は18歳です」

 あ、あーーー……なんほどねぇーー?

「そうですか……あーそう、ふーん、あーね?」

「なんですかそれ、何を察してるんですかそれ」

 やはり俺の紳士メーターは的確のようだ。ならばここは紳士としての行動を――。

「ちと俺アレだわ、アレだからアレ、散歩してくるわ。三十分ぐらいで帰ってくるわ」

 俺はそう言いながらそそくさ部屋から出て行った。

「え、ちょ? なに――」

 俺は扉を閉め、廊下に出る。廊下は静けさと闇が満ちていた。

 俺は逃げるように家から出た。

 外に出ると、月明かりが辺りを照らしていて、空は星で満ちている。その絶景に口から感嘆の息が漏れる。

「……いいな、こういうの……」

 俺はそんな感動に浸りながら家の壁に背を当て、しゃがみ込む。

 メアリーは18歳、"そういう"時期というものだ。三大欲求にも含まれてるし、こういう展開はよくあるし、別に狼狽えてないし……別に意識してないし!?

 この男、紳士と自称する童貞であった。ただのチキンだった。

「俺と会ってからほぼずっと一緒で部屋も同じ……プライベートの時間なかったし、"そういう"ことする時間もなかっただろう……」

 悪いことをしていたな……もし前世の俺が同じ状況になったら苦痛で死ぬなこれ。

「そういやこっち来てから、俺、そういうこと考えたことねぇな、なんでだ?」

 俺はそんなことを考えながら、ただ夜空を眺めて時間を潰したのだった――――――。

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