第2話 透明人間は新しい家に辿り着く。

「――――起きてください」

 俺は肩を揺すられながら起こされる。朧げな意識の中何とか返事を返す。

「ん、ん……後5分だけ……」

「いいんですか?もうすぐですよ?」

「頼む……妹よ……」

「妹?」

 それはほぼ無意識で答えていた。前世でずっと俺を起こし続けてくれた唯一の人、それももういない。

「あ、悪い、寝ぼけてた……忘れてくれ」

「それは私に妹プレイしてほしいってことですか?」

 純白のロングの髪、ほんのり紅く染まる白い頬、昨日と同じ眠そうな半目、そしてそこから覗かれる宝石のような青い瞳。

 メアリーは真顔で聞いてくる。

「断じて違う、俺はシスコンじゃない」

「そうですか、いや私はあなたがシスコンなんて言ってませんしどうでもいいですけど……で、どうします?もうすぐですけど」

 メアリーは綺麗な髪に櫛を通しながら聞いてくる。

「もう生徒ん家着いたのか……もちろん俺も行くよ」

 俺は体を起こし骨を鳴らしてほぐす。一瞬透明ということに戸惑ってしまったが、すぐに思い出した。

 俺、透明人間か……難しいな。

 一日経てばその感覚も薄れる。実は手が透明だと物を掴む時の距離感が掴みにくいという欠点がある。結構突き指とかある。

 もっと透明に慣れないとな……。

「いや、まだですけど……いま日の出です」

 メアリーは扉を開けながら答えた。外はまだ薄暗かった。

「え、えぇ〜……日の出〜? なんでまたこんな時間に……やけに眠いと思ったんだよ俺」

 前世の朝に比べたらやけに眠気が凄い。まぁ基本午後起きだったから当たり前なんだけど。

「やはり浴びるのは朝一番がいいかと思ったのですが……すみません、眠いなら構いません、私一人で浴びてきます」

 メアリーは軽く頭を下げた後、ベットを立ち、外に出て行った。俺はそれを目で追いながら再び倒れ込む。

 そうか、浴びるのか……浴びる?何を? ……水か! =朝風呂! =裸!

「よし、俺も行こう」

 俺は跳ね起き扉を開け外に出た。

「メアリー! やっぱ俺も――」

 外は薄い霧が出ていた。俺は急いでメアリーを探しながら声を出した。メアリーは馬車の前側にて、ファラウマの金具をいじっていた。

「なんですか急に、脅かさないでください」

「悪い! やっぱ俺も浴びようと思ってな」

 俺は焦る心を隠しながら馬車を降りメアリーに近づく、しかしメアリーの視線は開けられたドアに向けられたままだ。

「あぁ、おい俺はここだぞ」

 と、言いながらメアリーの肩を叩く。するとビクッと肩を上げた。その間も表情の変化は乏しい。

「……はぁ……近づかないでください裸体の変態」

「いや昨日一つ屋根の下で夜を共にした中だろ? 気にすんなって!」

「次許可なく触れたら殺します」

「だから軽いだろ命が!!」

 そんな話をしている間にメアリーはファラウマの枷を外し、ファラウマを放浪させ始めた。

「ほら、ゆっくりお休み……」

 メアリーはファラウマの顔を優しく撫でた。その声音は聞いたことない優しいものだった。

 ファラウマは小さく唸るとのっそのっそ辺りを闊歩し始めた。なんか可愛い。

「いいのか縄とかなにも付けないで、どっか行くかも知れないぞ」

「いいんです、あの子は自分の立場をしっかり分かっていますから、満足したら帰ってきます」

「へー、知能が高いんだな、立場理解してるなんて」

「はい、だからうちの家系も御用達なんでしょう」

 メアリーは外した金具を馬車にかけ、振り返った。

「では浴びる準備しますか」

 メアリーはそういうと道を歩き出した。

「おう、俺はどこでもいいぞ、もともと裸だし透明だからな」

 川とかで浴びるんだろうか……いいなそれ。

「あなたの生まれでは浴びるとき裸になるんですか?大胆ですね……」

 メアリーは顔半分振り返り言ってきた。俺はその背中をついて行く。

「え? お前脱がないの?」

 まさかの着衣とは……しかしそれもそれで味があるな……こう透ける服が肌に張り付き体のフォルムが浮かび上がる。うん全然あり。

「え、えぇ……ていうか大抵の人は脱ぎませんから」

「マジで!? すげぇ世界だな……」

 俺はボソッと呟いた。

「ふん、ここの土ならいいでしょう……」

 数分後、道が開けた空間にメアリーは立ち止まった。

 「なにが」と俺が聞く前に、メアリーはその地面に右手を触れ、少量の土を摘み上げた。

 するとその土はメアリーの指の中でオレンジ色の光を出した。俺はその神秘的な現象に言葉を詰まらせた。

 メアリーは平然とその光る土を乗せた指先を突き出し、目を瞑った。するとその光は色を変えだんだん赤色になっていく。そして光が完全に赤色になった瞬間、メアリーは目を開けるのと同時にその光を纏う土を地面に撒いた。そして次に余っていた左手を軽く、下から上へ動かした。

「近くに来てください」

 メアリーは俺が返事を返す間もなく、その左手を振り下ろし、地面に手のひらをつけた。

 その瞬間、俺たちが立っていた地面が膨れ上がり、俺たちを持ち上げていく。

「お、おおおおお!! すげ〜!」

 そのままゴゴゴゴゴみたいな効果音がなりそうな現象に心躍らせながらメアリーの肩を掴む。

「……普通ですこれくらい、なんなら予備動作が長すぎるぐらいです」

 メアリーはそういいながらもどこか嬉しそうだった。

 そしてそのまま迫り上がること数十秒、やっと土の動きが止まった。周りを見渡せば木よりも高く盛り上がっていた。

「おぉ、こんないい景色だったのか、木だらけで気づかなかった。お! 見ろあれ! クソでけぇ木!」

 右側に俺が目覚めた巨大樹が一際目立って立っていた。

「あれはここら辺を代表する巨大樹です、道標なんかに使われます」

「ほーん、確かにあれは目立つしなぁ……でなぜにこんなところへ?」

 俺は最初からの疑問をメアリーに投げかけた。

「浴びるためです、ほら出ますよ――」

 そういうとメアリーは目を瞑り顎を少し上げ、腕を力無く下げた体勢で立つ。

 次の瞬間、俺の目に光が差し込んだ。俺は突如目の痛みに襲われたが、すぐに痛みはなくなった。そしてゆっくり前を見る。

 太陽だった。

 暗い世界を眩く照らす太陽が山脈の縁からその姿を覗かせていた。

「……綺麗だな……」

 前世じゃ見ようともせず、ただ当たり前だった明るさに、心から言葉が出ていた。


――――――――――――――――――――


「ファラウマを繋げてきます」

 メアリーはそう言って路上で丸まって日光を浴びていたファラウマに近づいて行った。

「おう、じゃ先に戻ってるわ」

 俺はそう言いながら馬車に戻った。ファラウマも浴びるんだな、日光。

 俺は馬車に入り、ベットに横になり、腕枕に頭を乗せる。

 にしてもまさか浴びるって日光のことだったとは……日光浴というやつか……。

 なんて考えているとメアリーが馬車に入ってきた。俺はベットを押し込み自分の位置を伝える。

「どうでした、高い場所で朝一番で浴びた気持ちは」

「悪くなかった、今までやったことなかったからいい経験だったぜ」

「そうですか、喜んでもらえてよかったです」

 メアリーはベットに腰掛け息を吐いた。

「たまにはああいうのもいいものですね」

「『たまには』な、毎日はダルいわな流石に……」

「はい、土複製も時間かかりますし少し危険ですしね」

 メアリーは自分の手のひらを見ながら言った。

「確かにそうだな、でもそれ抜きにしても朝浴びるのダルイよな、俺日光に当たらずに過ごした日とかザラにあったし」

 前世では自室に籠りカーテン閉めてネット三昧、なんて休日は多々あったものだ。そう考えるとネットはもうないのか……寂しいなぁ。

「つまんない嘘ですね、そんなことしたら大罪で今頃死んでますよ」

「嘘じゃねぇよ……だから命軽すぎんだろ!」

 俺が毎度のことながらツッコむがメアリーの反応は、整った眉を寄せ、頬に汗が垂れていた。全く理解できなてなさそうだった。

「嘘……じゃないって……私のセリフなんですけど……」

「あ? いやいやまさかそんなにんん」

 日光に当たらなければ死刑、そんなことあるか?いくら異世界とは言え……。

 しかし俺の考えを否定するように、メアリーは深刻な表情で俺を方を見ていた。その顔つきが事の重大さを醸し出していた。

「いや……まぁそういっても? 俺的に当たってないと思ってるだけだしガキの頃だったから記憶も曖昧だし、まぁ多少の脚色はあったかな」

 俺は咄嗟に思いついた言い訳を早口で並べる。

「……なんだ、そうだったんですね。まぁ今生きてるってことは日に当たってたんでしょうね」

 俺の説明にメアリーは納得したようだ、いつもの気だるげな表情に戻った。

 しかしここで引き下がるわけにはいかない、多分このルールはこの異世界でのとても重要なものになっている。これを知れば少しはこの世界の事が分かるかも知れない。

「そうだな……あのちょっと聞きたいことあるんだけど……」

「はい? なんですか」

「なんで日の光を浴びないといけないんだっけ……?」

 小さく唾を飲んだ。もしこの質問がタブーだったら、もしかしたら死刑になるかもしれないから。

「『日真書』第一章第一条、この世の生ける者全ては、日が上りまた沈む間に一刻日の光を体に浴びるのが定めである……まぁこれは別に覚えとかなくても問題なくて、大事なのは毎日日の光を浴びる事で――――」

「それ!!!!」

 メアリーの肩をガシッと掴む。メアリーはいきなり触れられてひどく驚き、「ひゃっ」と声を漏らした。

「その日真書について教えてくれ!」

「ひ、ひしんしょ……について……?」

 メアリーはカタコトで戸惑いながら聞き返してきた。

「あぁ頼む」

「……いいですけど……そんなこと聞いてきた人初めてですよ」

 メアリーはほんのり頬を染めながら言った。恥ずかしいのか視線を右下に移す。

「と、とりあえず離れてください」

「あ、また勝手に……ごめんな、こう反射的に動いちまうんだよ」

「いえ、それは……大丈夫です」

 俺はメアリーの肩を放し、先ほどの位置に座る。

「ううん……ではまず――――」

 メアリーは可愛く咳払いをしてから、指を四本立てて俺に向けた。

「この世界には『神が創った神の本』が一冊と『人間が創った神の本』が三冊あります、前者が今言った『日真書』です。……後者の説明もしますか?」

 メアリーはそう問いながら指を下ろした。

「あぁ、私、気になります!」

「はい、『人間が創った神の本』の一冊目は『地神書』、二つ目は『海神書』、三冊目は『空神書』と言います」

 メアリーは指を一本一本立てていきながら説明する。

「図にしたら分かりやすいでしょう……」

 するとメアリーは空中を指差す、そして指の先から光が生まれる。その光は空中に浮かび残る。メアリーは指を動かして図を描き始める。

 大きな円を描きその中に半径以下の小さい円を描いた。そして大きな円をY字に三等分する、小さい円の中は等分されない。

 メアリーは描き終えたのか手を下ろすとその指先の光はスッと消えた。

「この大きな円で一つの大陸です、この真ん中の小さい円が今私たちが生きる世界です。上の世界が地神書を信仰し、左下は空神書、右下は海神書を信仰しています」

「なんほど……その四冊の本てどんなこと書かれてるんだ?」

「そうですね、まぁいろいろ難しいルールとか書かれてるんですけど、要約するならそれぞれの頭の字が最も貴い、というのが大きいですね」

「てことは地神書は大地、海神書は海、空神書は空間? が一番て考えてるってことね」

 俺が確認しているとメアリーは手で光をはたき消した。

「その通りです」

「じゃ日真書では太陽が一番て考えられてるってことか」

 それなら今朝の浴びるとか言う行為も信仰からくるものだったと考えられる。

「……少し違います、日真書は全ての生物が無自覚に理解して正しいと考えています、だから『そう考えられる』じゃなくて『それが正しい』んです」

 メアリーは昨日と同様にしてファラウマの尾を触り指示を送りながら言った。

「無自覚に……だからファラウマも日光浴びてたのか」

「だから日真書に関しては信仰とかはないです、例え地神書を信仰してても日真書は正しいと無自覚に思っています」

「ほーん、てことはお前は結局何信仰してんの?」

 メアリーは少し考えてから言った。

「信仰はしてません、私は人工神書のどれも信じてませんし興味もありません、この真ん中の世界の人間はみんな同じ考え方です」

 メアリーはホントに興味なさげに言った。いつもより半目がさらに閉じられてる気がする。

「ならよかった、俺も同意見だからな」

「でしょうね、普通の人は他信仰の世界に行きません、というか行けません」

 メアリーは俺とこの小さい円の世界で出会ったのだからもちろん俺も生まれた時から無信仰だと考えている。

「え、なんで」

「さっき見えた山脈があるからです、標高は六千メートルほどで岩肌が続いていて、頂上付近では要警戒級のモンスターが生息してるので人はその山を越える事はできないんです」

 確かに、さっき日光を浴びに行ったときに四方八方を囲む山脈が遠くに見えた。

「あれそんなにデカかったのか……ま、なんとなく分かった、ありがとな」

「ちなみに、ここより外側の世界でもその山脈によって別れてるそうですよ」

「へー……てか外の世界行けないのになんで分かんの?」

 誰も山脈を越えられない、ならまず外があるのすら分からないはずだ。

「さぁ? 大昔の本にそう書いてあったそうですから、まぁ昔の人がなんかして越えたのでしょう」

「テキトーだなぁ……ホントに合ってんのかそれ……」

 昔の人の本ね……外の世界についてはまとめたのに山脈の越え方は残さなかったのか……もしかしたら残したが紛失か破壊された可能性もある。

「合ってるかどうかは分かりません」

 メアリーは顎を少し上げ、馬車の小窓から青くなってきた空を眺めながら言った。

「それに、どうせ外には行けないんです、だから、どうでもいい――――」


―――――――――――――――――――


「そろそろ着きますよ」

 メアリーは俺の肩を揺すりながら言った。俺は体を起こし、あくびをした。

「ふぁ……お、マジか。やっとか」

 あれから数時間経過した、俺は睡魔に勝てず二度寝にしゃれ込んだが、メアリーはなんかの本を読んでいたようで膝の上に読みかけの本がある。

「窓の外見てみてください」

 メアリーはそう言うと手元の本に視線を移した。

「どれどれ……おぉ、家だ」

 俺は膝立ちでベットの上を移動し、小窓から外を覗く。そこには壁はコンクリート、支柱は大木でできた大きな家が左から右へ流れていった。

「そりゃ家ぐらいありますよ……生徒さんの家はこの村です」

 森はいつの間にか抜けていたらしく、辺りは小川の流れが輝き短い草がそよ風に揺れる、草原が辺り一面に広がっていた。

「……世界ってこんなに、広かったんだな……」

 俺は今まで知らなかった美しさに、心から声が漏れていた。

「不思議な人ですね……ただの原っぱですよそれ」 

 メアリーはやっぱり興味なさげな口調で言う。俺は少しふざけたくなった。

「……フッ、やっぱ俺ってただの人とは感性が違うからな〜」

「うざ」

「え」

 意外と辛辣だった。だが人間味があって全然不快ではなかった。

 俺は微笑みながらもう一回窓の外を見た。

 地面は変わらず土の道だったが前を見れば家があり、だんだん家の密度が高くなってきた。一つ一つの家が大きく、いわゆる『田舎』だった。

「あ、おい今更日光浴びてる人いるぞ。まだそのレベルか……フッ……」

 家の前で父母と姉妹の四人が太陽の方向に向かってあのときのメアリーと同じような体勢で立っていた。

 俺はすでに終わらせたんですがwこの世界来て初めての朝に俺はw。

「いや普通の人はこの時間ぐらいに浴びますよ、私だってあんな早くにやったのは久しぶりです」

「えぇぇ……じゃ俺早起きしなくて良かったじゃん……変に煽っちゃったよ……」

「ま、いいんじゃないんですか? 気持ちよかったですし」

「いやま、そうなんだがな……」

 するとメアリーは本を閉じ棚に戻した。そしてなんかでかい鞄を取り出し鍵を捻り開けた。

「なにそれでか、スーツケースみたい」

 メアリーは鞄の中からゴソッと衣服を取り出した。

「すーつ……? ちょっと分かりませんがこれは指導書と私の着替えを入れてます」

「着替えね……確かにそのうっすい服だといろいろまずいしな、正直目のやり場に困る」

「そうだったんですか、声を聞くあたり全然平気そうでしたから気にしてませんでした」

「普通お前が気にすることだと思うけどなぁこういうの」

「さすがの私でも裸を見られるのは嫌です、なので目瞑ってください」

 メアリーは上着の裾に手をかけながら言った。着替える気なのだろう。さすがって自分で言うのか……。しかしそうなるとあれ言わないとな。

「俺言ってなかったけど、まぶたも透明だから目瞑っても普通に見えるぞ」

 メアリーは少し驚いた。

「え、それ寝るとき大変じゃないですか?」

「そーなんよ、だから俺ずっとうつ伏せで寝ててさ」

 だから太陽を見たとき、その光の強さに目が痛くなってしまった。最初は夜だからそこまで気にならなかった。

「それもそれで息苦しそうで大変そうですけど……なら反対見て、それとこれ被って」

 メアリーはそう言って俺に薄い掛け布団を差し出してきた。俺は黙ってそれを受け取る。

「わかった、てかお前俺見えんのってぐらい自然にこういうの渡すよな、視線も俺の方見るし」

 ふと気になったので聞いてみた。

「別に、ただベットの凹んでるところに座ってるのは分かるので顔の高さをなんとなく見ているだけです、だから今あなたがどんな姿勢なのか、どんな顔なのかもわかりません」

「やっぱそうか、いやなにもお前がすげぇ自然だったから」

「ただの想像です」

 メアリーは目を閉じプイッと顔を逸らした。俺は渡された布団を見る。

「……やっぱいいわ、俺外出てるよ、この速度なら歩いてついていけるし」

 その方がメアリーにとっても気軽だろう。

「ダメです、仮にそうしたとき、誰かがあなたに気がついて敵と間違えられて攻撃されるかもしれません。もしそうなったときここまで連れてきた私の苦労が無駄になりますので」

 メアリーは早口で捲し立てる。その顔は少し興奮しているようだった。

「いや……そこまで言うならいいけど……お前は大丈夫なんか?」

「ま、まぁ……あなたが見ないことなんて、今までの会話とか印象で分かりますから」

「それは嬉しい信頼だが……まぁそこまで言うならそうさせてもらうわ」

 俺は体を反対側に向け、布団を頭からガボッと被る。

「ほら、着替えていいぞ、耳も塞ぐから」

 なんてな、このチャンスを逃すわけなかろうが、せめて音だけは楽しませてもらおう。

「ありがとうございます…………あなた意外と猫背なんですね」

「ほっとけ」

「耳塞いでないじゃないですか」

「……すみません……」

 俺はバレないよう小さく、邪念を含んだ溜め息を吐き出してから、耳を塞いだ。


――――――――――――――――――


 ファラウマはゆっくり歩みを止めた。小窓から外を覗くと一際大きなある家が見えた。

「よいしょ――では行きますか」

 メアリーは着替えを終え、ポッケがたくさんついた黒色の上着にヒラヒラのスカート、あのマントを肩につけた服装になっていた。

 メアリーは長いブーツを履いてから立ち上がり、ドアノブに手をかけ、振り返った。

「よし、じゃさっきの話通り最初はメアリーが透明の付き添い人について質問して相手の反応次第で俺がでる、でいいな?」

「それで大丈夫です、あなたはなるべく目立たずにいてください」

 メアリーはそう言うと扉を開け、外に出た。俺もそれについで馬車を降りる。

 外に出て気がついたが、やはり大きい家である。玄関には屋根が付いていて敷地も広い。何より門をくぐってから玄関まで少し歩く、そのスペースにはなにやら多種多様な花とか木とか植えられていた。

「でっか、金持ちか?」

「まぁ私を雇うぐらいですからね、それは多少裕福でしょう」

 メアリーは玄関に向かいながら振り返らず答えた。

「そ、そうなのか……お前って実はすごいの? それとも虚勢?」

「自分で自分をすごいと言うのはいささかウザくないですか?」

「たまにそういうこと言うけどなお前、遠回しに」

「……」

「おい無視すんなこら」

 メアリーは都合が悪くなると無視する癖があった。

 なんて他愛のない会話をしていると、玄関の前についた。メアリーは深呼吸してからドアを叩いた。

 俺は斜め後ろで気配を殺す。

 数秒後、ドア越しに歩く音が聞こえ、「はーい」と間延びした返事が聞こえた。

「はい! どなたですか?」

 ドアは開かれ、中から女性が出てきた。

「おはようございます、本日から娘さんの家庭教師をやらせていただきます。フォレスト・レンズ家から参りました、メアリー・フォレスト・レンズです」

 メアリーは慇懃にスカートの裾を持ちお辞儀した。今までの彼女とは違い、ずいぶん様になっていた。

 まぁ眠そうで気だるげな半目は相変わらずだが。

「まぁ! 家庭教師さん? メアリーちゃんね、これからよろしくね、そんな固くならなくていいから! 仲良くいきましょ?」

 その女性は、長い金髪を靡かせ、優しく微笑んだ。大人びた顔立ちに紅の瞳。女性はドアを大きく開けメアリーを中に招く、メアリーは少し頭を下げつつ中に入った。俺もこっそり後に続く。

「ありがとうございます、お母様」

 お母様、今回の生徒さんの母親か。すげぇ若そうだな……20代かもしれん。

「いいのよお母様なんて、ハルでいいわ」

「ではハルさんと呼ばせていただきます」

「うん、こっちもメアリーちゃんて呼ぶね?」

 なんて話しているとハルさんの後ろから小さい女の子が歩いてきた。そのショート茶髪の少女はオドオドしながらメアリーの前に立った。

「あ、ほらシャル! ご挨拶して?」

 ハルさんは少女の肩を優しく掴み、少し前に押し出す。少女はチラッと上目でメアリーを見た後、俯きながら囁いた。

「しゃ、シャル・マルマロンです……」

 少女もといシャルは自信なさげにそういうと顔を赤くした。

 分かるぞ、俺も前世はそっち側だったからな……。

「シャルさん、これからよろしくお願いします。これ指導書が入ってるので貰ってください」

 メアリーは持っていた鞄を渡した。

「あ、ありがとうございます……あの、部屋に置いてきます」

 シャルは鞄をもらうとそそくさ階段を上がっていった。

「2階の右奥にメアリーちゃんの部屋あるからね」

「ありがとうございます」

 ハルさんはそういって振り返る。

「あの、ひとついいですか?」

 メアリーはそれを呼び止める、ハルさんは首を捻りながら向き直る。

「もしここに私以外の人がいて、その人は透明で身元不明で名前を分からなかったら、どう思いますか?」

 おいあからさますぎるだろ……。

「うーん……」

 ハルさんは腕を組み悩む。俺はバレないよう固唾を飲む。

「怖いわね、もしそんなのがいたらメアリーちゃんに倒してもらおうかしら! なんちゃって」

 あぁ、『そんなの』ね……これは無理だなうん。まぁ可愛い娘にそんなのが近づいたら親としても不安か。

「ですよね、ちょっと聞いてみただけですのでお気になさらずに」

 メアリーはそう言うと振り返り、ドアを開ける。

「荷物取ってきます」

「そ、そう、ゆっくりでいいからね」

 ハルさんは戸惑いながら振り返り、階段を上がっていった。俺とメアリーは馬車に戻る。

「ありゃダメそうだな、俺は隠れるよ」

「それがいいですね、私もあなたを殺したくないので」

「言葉気をつけて? ハルさんは倒してっていってたよ?」

「そんなのほとんど同じです」

「そ、そうかなぁ……」

 メアリーは馬車を開け、自分の荷物が入っている鞄を取り出す。

「てか部屋とか言ってたな、すごいよな家庭教師一人に一部屋なんて……」

「それはそうでしょ、じゃどこで寝ろというんですか?」

「は?」

 メアリーは馬車のドアを閉めると、ファラウマはドタドタ今まで歩いてきた道を引き返して行った。

 その場に残ったのは俺と鞄を持ったメアリーだけ。

「私は一年間ここに住み込みます、あなたもです」

「え?」

 メアリーは俺の声を聞いた後、家を見た。

「バレないように、頑張ってくださいね」

「え、えぇ……」

 そうして透明人間の俺と家庭教師のメアリーとその生徒と家族による同棲生活が始まった――――。

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