一月八日
「 ○午前第一教室にて大詔奉戴式、昼屍体解剖見学。♀24。
○午後道部教授、ゲーテの話ばかりす。老いたるゲーテが例のギッケンハーン山頂に上り、若き日の詩を彫りつけたるを眺めて涙流したる逸話を語りて、先生みずから恍惚また
この日は月曜日。冬休みが明けて、誠也が通う東京医専は今日から授業が始まったみたいです。新年最初の授業が死体解剖というのはギョッとしますね。
ちなみに山田誠也はこの時医専の1年生、入学したのは前年1944年の春でした。兵庫県の豊岡中学を卒業したのが1940年のことなので4年間の浪人を経験しています。年長者としての余裕からか、青春を満喫する年下の同級生たちに対して、一歩退いた目線からのコメントが多いです。
ゲーテの逸話、ハイネの詩を恍惚として語る教授と、それを熱心にノートする同級生たちを誠也はどんな思いで眺めていたのかな。
彼はひと月前の1944年12月14日の日記で、「夢が欲しい」と熱っぽく語る同級生に対して、冷たく突き放すような言葉を残しています。
「「夢を欲す」と彼はいう。夢とはいかなるものぞ。彼はそれを知らざるべし。ただいたずらに「夢を欲す」という抽象的言葉に若者らしくあこがれおるものならん。彼は何びとか来りてその例として一個の夢を示すとも、決してこれに没入する能わざる神経鈍感の男なり。夢を欲すとはその人が最も夢に乏しき素質の表白なり。夢は風蕭々として易水寒き風景にのみ存在するものにあらず、一輪の花にも夢はあり、一匹の蛇身にも夢はあり、一片純白の紙片にも夢はあり、かかる境界の夢をおそらくは彼知らざらん。いわんや冷やかなる形而上の夢、機械のごとき科学上の夢あるに於ておや。余はむしろ夢を排す。医学入門の道程上、いかに安価なるいわゆる「夢」が障害をなすや、その過剰なるに余みずからつくづくと苦しめばなり。」(山田風太郎『滅失への青春』1973年、大和書房。引用は『戦中派虫けら日記』1998年、ちくま文庫、564頁より)
ここで誠也が言う「夢」とはいわゆる夢、未来への目標・希望という意味ではなく、情熱をかきたて美しいものに憧れる心のことです。ゲーテ、ハイネが歌うロマンの夢です。
夢がないのが苦しいのではなく、むしろ夢の過剰に苦しむからこそ、安価な夢を排そうとする。
はー、なんて寂しく澄んだ思春期のこころ。私はこの文章を読むたびに、のちの大伝奇ロマン作家・山田風太郎がすでにここにいると感じます。
でもこんなことを言っていた孤独な青年が、医専の学友たちと一生続く友情を育んでいくようすが読めるのも、『戦中派不戦日記』のアツいところなんですよね。
山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む 宇多川八寸 @utagawa_8
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