一月五日、一月六日
一月五日
「 ○朝五時、敵またも静岡侵入。関東西部に来り、信越南部に向い、さらに西進して去る。
○夜八時、敵一機東北方より帝都に入り、投弾して去る。二階に上るに、芝─新橋のあたりなるべきか、炎上、雲に映りて魚の腸のごとし。」(13〜14頁)
昨夜に続き東海方面に米軍機の侵入があり、また東京でも小規模な爆撃が目撃されています。「魚の腸のごとし」という比喩が不気味です。
この連日の警報と爆撃について、誠也は中学校時代の友人・吉田靖彦宛の手紙の中でグチをこぼしていました。
「うるさいB公は相変らず夜毎日毎推参する。白昼は専ら大編隊で──と云ったところで五六十機の知れたものだが、兎に角木ッ端微塵にやられるものだから、この頃は一機二機の少数機で一夜に三回位お出でになる。ドカドカやっている音が枕にひびくのだが、何しろ寒中の真夜中だ。死んだって起きるもんかと眠っていると、知らんまにぐうぐう熟睡してしまう。これは、ほんとは良くないので万一の事でもあったら、新聞にメチャメチャ〔原文は踊り字〕にやっつけられるのだが、兎に角、これ位図々しくなったのだから、馴れと云うものは面白いものだ。」(1945年1月13日付、吉田靖彦宛。『山田風太郎 疾風迅雷 書簡集』神戸新聞総合出版センター、2004年、202頁)
友達相手のカッコつけもあるでしょうが、
一月六日
「 過去のすべての正月は、個人国民ともにそれぞれ何らの希望ありき。目算ありき。今年こそはあの仕事やらん、身体を鍛えん、怒らざらむ等々。よしそれの成らざるも、一年の計を元旦になすは、元旦の楽しみの一つなりき。しかも今年に限りてかかる目算立つる人一人もあらざるべし。」(14〜15頁)
六日の日記には、一年の目標を立てることもできない、見通しもつかない異常な状況で迎えた正月への嘆きが記されています。
文章の趣旨からは外れますが、たとえ成就しなくても一年の計画をたてるのはそれ自体が元旦の楽しみなんだ、という認識にはうなずかされます。こういう考え方がさらっとできる人は賢いと思う。
「 連日連夜敵機来襲し、南北東西に突忽として火炎あがり、人惨死す。明日の命知れずとは、まさに今の時勢をいうなるべし。ただし人は、他の死するも吾は死なずと理由なき自信を有するものなれば、必ずしも一日一日戦々兢々として暮しあるものにはあらざれども、ただ──日本の興亡のみは実に理由なき希望のみにては安閑たるを得ざるなり。」(15頁)
友人への手紙の中では空襲への「馴れ」についてうそぶいていましたが、あに図らんや──と風太郎風の言葉を使ってみる──、他人が死んでも自分は死なないという「理由なき自信」について冷徹に自覚していたとは。
この後に続く文章で、誠也は「日本の興亡」についての分析、あるいは不安を吐露しています。
彼が指摘するのは、日本人が日本不滅の根拠と考えていた「日本魂」の無力さです。日本人が日本魂に頼ろうとするように、アメリカはその富強に、中国は大陸の広大さに、イギリスは不敗の伝統に頼るだろう。根拠とするものは各国異なっていても、頼ろうとする心理はみな同じである。そして、今や「苛烈なる、酷薄なる戦局」(15頁)によって、日本人の心理は根本的に動揺している……。「ただ全日本人が夢遊病者のごとく、物に憑かれたるがごとく、この凄烈暗澹たる日本の運命を、両手にて支え、一切他事を思う余裕なきが、この正月の気分なり。」(15頁)と、日本が追い詰められつつあることを極めて冷静に書き記しています。
「 ○「浅草に三亀松のドドイツをききにゆかないか」と勇太郎君がいうので、午後、地下鉄で浅草にゆく。浅草花月に入る。」(16頁)
この日の午後、誠也は勇太郎君(下宿先の高須さんの奥さんの弟)といっしょに浅草へ出かけています。花月でかかっていた演目は鉄棒、喜劇、
三亀松がB29を「かの憎むべきB公が……」と語って客を笑わせ、町の人々が「ポー助」「プーちゃん」と妙ちきりんなあだ名をつけて呼ぶことに「何でも茶化す江戸っ子の気風、昭和二十年になお残る」(17頁)と江戸情緒を感じています。そして、先ほどの手紙でさっそく「B公」を披露してましたね! 浅草ことばを取り入れての江戸っ子気取り、かわいい。
「 花月を出ずれば外蒼茫。盛り場、いたるところに疎開空地作り、実に荒涼たり。「浅草もヒドくなったなあ!」との嘆声きこゆ。さすがに人波あり。たちまち「すり! すり!」と叫びて人波の向うを四、五人駈けゆくが見ゆ。これにてはじめて、ちょっと浅草情緒を感じたり。」(17頁)
スリは「巾着切り」とも呼ばれ、浅草などの人混みにはつきものです。『警視庁草紙』のむささびの吉、『明治十手架』のぬらりひょんの安など、明治時代を舞台にした風太郎の作品にはスリがたびたび登場します。おもえば彼らの多くは“江戸”の空気を濃密にまとい、押し寄せる“明治”の開化の波にあらがおうとする側のキャラクターでした。
この日の誠也も昭和二〇年の浅草に出没するスリに、大正、明治をとび越えて江戸の残滓を感じ取っていたのかもしれません。
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