一月四日
「 ○午前改めてガス会社にゆく。
○夜八時十五分警報発令。敵一機静岡侵入。
○川端康成の短編集を読む。」(13頁)
四日の記述はこれですべてです。
この日に限らず、空襲警報が出た時刻と機数のメモがよくとられています。高須さんの下宿にラジオがあり、誠也もそこから情報を得ていたでしょうか。あるいは空襲警報のような重大な情報は町内放送でも周知されたのかな。
1944年のラジオ普及率は50.4%に達していましたが(https://www.cpra.jp/cpra_article/article/000314.html)、ラジオがない世帯の人たちは自分たちの生死にかかわる情報をどうやって得ていたのか気になります。
この日は三日の菊池寛に続いて、川端康成の小説を読んでいます。戦後ノーベル文学賞作家となる川端はこの時46歳、1944年には「夕日」、「故園」などの作品で菊池寛賞を受賞していました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます