第6話
山積みになった始末書を耳触りのいい言葉で飾り立て、処理し終わった暁音はデスクに頬杖をついていた。
その目は焦点が合っておらず、オフィス内の声も何処か他人事のように聞き流している。目の前で何度か手を振られても反応せず、肩を叩かれて漸く顔をそちらへ向けた。
「何?」
暁音の目つきはお世辞にも良くはない。真面目な時の顔はそれが凛々しく見えるが、今の彼女はただ不機嫌なようにしか映らなかった。
「え、もしかして怒ってる?」
実際は声をかけられたから視線を向けただけであり、好悪などは脳裏に過ぎっていない。
相手と目が合い、自然と顔のパーツが中心へ寄りかける。
暁音の嫌いなタイプの男だった。
見た目は軽薄そうだが背も高く、容姿も整っている。
ただ暁音とは決定的に相性が最悪だった。
「うわぁー!」
相手の大袈裟な反応を見て、思わず眉が吊り上がる。それが良くなかった。
男の方はわざとらしく声のボリュームをあげ、オフィス内にいる者達に聞かせるつもりで暁音に言葉をぶつけた。
「やっぱり怒ってるね! 結城家の当主様は声をかけてきた相手で態度をあからさまに変えるんだなぁ!」
「怒ってませんけど?」
「はい、嘘ぉ! そういうの顔に出てるから気をつけた方がいいよ?」
(殺そうかしら)
暁音は割と真面目にそう検討した。それを強靭な理性で堪える。見えないところで太腿の肉を思いっきりつねり、その痛みで怒りを頭から切り離すことに専念する。
お陰で多少は苛立ちを軽減できた。軽減できただけで、解消はできていないが。
「じゃあ、俺は上級国民の結城家当主様と違って下級国民だからちゃんと仕事をしますかねぇ!」
(本当に殺してやろうかしら)
内心でこの短い間に三十回以上は八つ裂きにしている男が漸く離れていたのを一瞥し、深く嘆息を漏らす。
自身の気力の大半を持っていかれ、暁音は死んだ魚のような目となっていた。
入れ違いで通りがかった同僚社員が苦笑しながらホットコーヒーを差し出す。暁音は少し戸惑いながら礼を告げ、カップに口をつけた。
「気にしなくていいよ。あいつは誰にでもあんなだから」
「……どんな人生を送っていればあんな態度を取れるようになるのか全く見当もつきません」
「それは俺もそうだよ」
暁音に嫌味をぶつけていった男とは違い、爽やかな笑みを男は浮かべる。
理知的な印象を抱かさる眼鏡を指で押し上げる姿は暁音が知る限りでは彼以上に似合う男がいないと断言できるほどに自然だった。
「そういえば結城さん、昨日妖魔の討滅に一人で向かったんだってね」
「ええ。いつものことですから」
「はは、まぁ君よりも強い人はなかなか居ないもんね」
己の後ろ頭を撫でながら乾いた笑い声を上げる姿には目も向けず、暁音は言葉を続けた。
「妖魔はいつも通り討滅しました。弱かったので」
「だろうね」
「でも、その後にあいつが現れたんです」
「あいつ?」
キョトンとした顔で訊ねる男。当然ながら彼には誰のことだかさっぱりだろう。
しかし、昨日の出来事を思い出した暁音は、デスクを叩くと、顔を顰めて歯軋りした。
「風の精霊魔術師でした……恐ろしく強い」
「風の精霊魔術師が? この部署でも最弱候補だと言われてるんじゃなかったっけ? ……俺とかさ」
男も風の精霊魔術師であり、自分で自分を指さしてアピールする。自虐ネタだったのだが、暁音にしてみれば周りへの関心が薄いので男が風の精霊魔術師であるという事実を知らなかった。
それが面に出ていたらしく、がっくりと肩を落とす男。ビジュアルにおいて他の追随を赦さない女性が自分に微塵も興味を持っていないと知れば、気落ちもするだろう。
「確かに風の精霊魔術師は弱いですね」
「でしょ?」
「でも、あいつは違った」
男同意を求めるように男が言葉を継いだが、暁音はその流れを断ち切った。
その目はショーケースに並べられた玩具を見つめる子供よりも輝いていた。
「あいつは私が知る限りで一番強い精霊魔術師だった」
「そんなに? 自分で言うのもなんだけど、風の精霊魔術師がそこまで強いとは思えないけど?」
「そうですよね……」
男の言い分はもっともだった。暁音も風の精霊魔術師は精霊魔術師の中でも最弱だと理解している。
だからこそ、自分が敗北感を与えられるほどの相手に興味をひいたのだ。
「でも、私の攻撃を全て見切り、私の力をぶつけても傷一つ負わせられなかったんです」
「ごめん。それ、本当の話なの?」
「信じてくれませんか?」
「いや、信じるけど……凄いね、なんというか」
男は目を丸くし、言葉を失っていた。自分も当初は同じリアクションをしていたと既視感を覚えた。
「その後はどうしたの?」
「向こうが『金にならん戦いはしたくない』って言って帰っていきました」
「完全に格上の対応だね」
「まぁ、私は敗けてませんけどねっ」
むっとしながら付け加える暁音。負けず嫌いな面が顕著に表れており、それに気づいた男は唇を引き攣らせていた。
「そ、そうなんだ」
「ええ」
「それじゃあ、少しは希望が見えたってことかな。俺も強くなれるかも」
「そうですね、頑張ってください」
「他人行儀だー」
感情の籠っていない暁音の言葉に男の目から完全にハイライトが消えた。
「あ、仕事の邪魔してごめんね。俺もそろそろ仕事に戻るよ」
「はい。楽しかったです」
「じゃあね」
笑顔で手を振ると、男は暁音に背を向ける。丁度彼女からは死角だった。
それを理解している上なのだろう。男の表情から笑みは消え、代わりに憎悪に満ちたものが今にも溢れ出しそうになっていた。
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