第5話

 暁音は混乱していた。


 突然現れた気配に。神出鬼没というのはこういう時に使われるのだと納得した。


 気が付けばその男は立っていた。未だに冷めることを知らない工場内の中心で、火のついていない煙草を咥えている。


 どうするべきか分からず、次の行動に出られない暁音を気にも留めず、その男は顔を僅かに突き出した。


 じゅ、と。何かが炙られるような音と共に煙草の先端に火が灯り、煙がゆらゆらと揺らめく。どうやら工場内に溜まった熱で煙草に火をつけたようだ。


 その時、暁音は男を見ていて抱いた違和感の正体に気付いた。


(この状況で汗一つ掻いていない……それどころか舞い散る煤が彼を避けて落ちていく……)


 男は両手を上着のポケットに突っ込んだまま、無造作に突っ立っているだけだ。


 しかし、暁音は確信していた。


 強いと。それも生半可な強さではなく、自分の本気をぶつけても殺し切れるかも分からない程に圧倒的な差があると素直に認めた。


(こいつだ……こいつが鬼神を討滅したんだわ……!)


 同時に暁音の中で久方ぶりの闘争心が沸き立つ。自身の持てる力をぶつける先がなく、いつも内側で燻っていたもの。その全てを吐き出したとしても壊れることのない人間。


 それが目の前にあるのだ。到底我慢などできなかった。


 直後、暁音はすでに男へ迫り、刀を振り上げていた。視線がこちらへ向けられておらず、認識されていないと暁音の方はそう捉えた。


 だが、その刃が一定の距離まで届いた瞬間、男の瞳が暁音の視線にピタリと合う。彼女は背筋に寒いものを感じ、咄嗟に攻撃をやめて背中に刀を回す。


 直後、途轍もなく重い衝撃が背中に叩きつけられ、一瞬息を詰まらせる。だが、思考は止まることなく、むしろ男の正体の確信へと至らせた。


(風……!? こいつ、風の精霊魔術師……!!!!)


 暁音は襲いかかってきた風を受け止め切るのではなく、わざとその進行方向へと跳びながら重心を下げることで威力を弱める。刀身で滑らせるように受け流すと、軌道を変えられた風の砲弾は天井に風穴を空けた。


 暁音はそちらへは視線を向けず、切先を地面へと突き立てる。刃先にのみ集中させていた劫火を一気に解き放つ。


 その瞬間、巻き起こったのは爆発。ダイナマイトが幾つあっても足りないほどの爆風と熱で工場は内側から針を刺した風船のように破裂した。


「これなら……どうよ……!」


 暁音は火の精霊魔術で防御が間に合ったことと、同性質であったお陰で威力を軽減できたので多少の傷で済んだ。


 しかし、相手は風の精霊魔術師。炎の熱を防ぐ程度の障壁を張れたとしても、爆発の威力で容易く破壊してしまうだろう。


 それが暁音の策だったが、簡単に覆された。


「やるな、お前。いきなり斬りかかってくるのは物騒としか言えんが」

「…………は?」


 暁音は呆然とした。男が辺りを包み込む土埃を腕のひと薙ぎで払い除け、姿を現す。その五体の何処にも傷は見当たらず、立てた襟すら乱れていない。


「な、なんで……」

「そりゃ実力の差ってやつだろ。俺の方がお前よりも圧倒的に強いからな」


 その言葉に暁音はどうしようもない敗北感と同時に、誰よりも強かった筈の自分を見下せる存在の登場に幸福を覚えた。


 今までやったことのない一撃。自分が知る者達ならば確実に屠れた。


 それをいとも容易く受け止めた。


 自分の攻撃が通じなかったことへの悲嘆よりも先に、自分を凌駕する実力者がまだこの世界に存在したことへの安堵が上回った。


「貴方、何者?」

「さぁ? 教えてやる義理はねぇだろ」


 目をキラキラとさせ、もっと戦おうと更に暁音のボルテージが上がっていく。


 ただ相手がそれに付き合うとは限らない。


「悪いが、これ以上のタダ働きは御免だ」


 ふわり、と。男の体は浮き上がっていく。糸で天井から吊り上げられていくような動きは不自然ではあったが、それが風の精霊魔術師に赦された飛翔だというのは暁音も知っていた。


 久方ぶりに本気をぶつけられそうな相手の逃亡に眉を吊り上げ、劫火の刀を突きつける暁音。


「待ちなさい! 逃げるっていうの!?」

「なんとでも言え。金にならん戦いはしない主義だ。俺はお前と違って、戦闘狂じゃねぇ」

「私だって違うわよ! 貴方は私の本気をぶつけても死なない相手だから戦いたいだけよ! 早く降りてきなさい!!!!」

「やなこった」


 男の姿が消える。風の精霊魔術による、光学迷彩だ。


 完全に周囲の景色に溶け込み、何処に居るかも分からない。


『また会った時はもう少し遊んでやるよ』


 空から男の声が谺する。暁音はそれを聞き、劫火を纏った刀の切先を空へと向けて宣言した。


「次会った時は覚悟なさい! ちゃんと相手してもらうんだから!!!!」


 虚しく響く言葉に返事はない。だが、届いているという確信だけはあった。


 何故なら男は風の精霊魔術師であり、風を操る力を持つからだ。


 少し離れた場所に移動したとしても、空間に残る音を拾うことなど造作もないだろう。


(敗けた……いや、引き分けね! だってまだあいつに傷一つつけられてないもの! うん、私は敗けてないわッ!)


 暁音は強敵との出会いによる高揚感と勝てなかったことへの敗北感と今まで出せなかった力を吐き出せたことへの爽快感が入り混じった感情で満たされていた。

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