第7話
「もう最悪……」
いつもよりも遅く仕事を終えた暁音は暗い夜道を悪態を吐きながら歩いていた。
時刻はすでに二時を回っており、住宅街には人の気配が微塵も感じられない。月明かりの光は仄かで頼りなく、アスファルトを照らす街頭が辛うじて進行方向を示していた。
それが逆に人間の恐怖心を煽り、足を竦ませる……はずだが、暁音は気にせず進む。
妖魔という幽霊よりも何倍も恐ろしい怪物と戦い、討つのが使命である彼女にとっては夜道を怖がる理由にはなり得なかった。
(早く帰って寝よう……明日は休みだし、鍛錬したいわ)
ただ明日に備えて休息したいという気持ちが先行しており、足早に夜道を横断していく。息一つ切らさず小走りで家路につこうとしていた暁音だったが、ぴたりと足を止めた。
そして、紅髪を靡かせながら、醒めきった眼差しと共に振り返る。
「そこに居るんでしょ? 出てきなさいよ」
声がかけられる。疑問形ではあったが、確信した声音だった。
事実、物陰に潜む邪な気配を肌で感じ取っていた。ちろちろと舌を伸ばす蛇のような、気味の悪い感覚だった。梅干しでも口に含んだように顔は顰められていき、暁音の全身は臨戦態勢に入っていく。
右手には劫火を纏った刀を握っており、いつでも迎え討てるように準備は整っている。焔の揺らめきを視ることが出来るのはある程度の霊視力を持つ者のみ。
しかし、その莫大な熱によって引き起こされる周囲の融解は一般人でも可視出来る。
端的に言えば、暁音が化物に見えるだろう。
「もう一度言うわ。出てきなさい」
姿を見せない者に対し、最後通告を投げる。それでも姿を表す気配がない不躾な態度に諦めがつき、暁音は気配の方向へ一瞬で詰めた。
刀を振り抜くと、そこへぶつけられたのは風の刃だった。視覚では捉えられずとも、空気が動いた感覚を察知した暁音は咄嗟に切り払う。
劫火の刀が纏う熱によって焼き尽くされ、風は消滅した。
ただ暁音の意識はそこにはなかった。
(今の……風の精霊魔術……? まさか、あいつなの?)
昨日の出来事を思い出し、悔恨の念が甦る。今まで敗北という経験をしたことがなかった己が、人生で初めて勝てないかもしれないと思わされた相手。
その彼との再会。暁音の口角は獰猛に、自然と吊り上がっていく。
「リベンジしに行く手間が省けたわッ!」
歓喜に打ち震え、火の精霊魔術を起動する。精霊達もその意思に応え、躍るように莫大な熱量を顕現させる。
街灯は暁音の先程の一撃で故障してしまったのか、灯りが失われている為、相手の姿はよく見えない。ただ背格好は昨日の男にかなり近く、風の精霊魔術を使う点も同一人物である可能性を高めた。
それでも暁音は少し違和感を覚えていた。
(でも、あいつは私に気付かせずに背後を取れるはず……でも今回は気付けた……? 本当にこいつはあいつなのかしら?)
体感では昨日の男の方が手強い、のではなく単純に未知数だと感じさせられた。
対して目の前にいる正体不明の何某かは強いのは間違いないが、勝てないと思わされるほどの差があるとは思えない。
それが暁音の評価だった。
(でも、私が知る限りでは私の力を振り払える風の精霊魔術師は居ないはず……だとしたら一体何者なの?)
静かに見据えたまま、刀を構え、思考を回す暁音。油断も隙もない。
不用意に踏み込もうものなら八つ裂きにしてしまうだろう。意識を二分しているにも関わらず、暁音の霊視力は風の動きの僅かな変化も見落とさない。
急に動きが鋭くなり、四方から殺到してきた不可視の刃。暁音の刀が全て迎撃し、そのまま決着をつけるべく攻め寄る。
簡単には近寄らせる気はないらしく、急所を狙った攻撃が幾つも繰り出された。そのどれもが紙一重で躱されるか、真っ向から斬り伏せられていく。
(
暁音は自身の間合いの中へと相手を収め、勝利を確信してほくそ笑む。
しかし、前触れもなく風が吹き荒れる。その勢いに乗せられて宙を舞う暁音。その顔には不満がはっきりと見てとれた。
「何よそれ! 反則じゃない!!!!」
夜空に暁音の声が谺する。相手がそれに取り合うことはなく、ドリルのように螺旋状を描いた風の先端を空中にいる暁音へ突きつける。
足場のないところでも自在に動ける風の精霊魔術師と違い、火の精霊魔術師には飛行能力がない。万事休すだろう。
暁音が並の精霊魔術師であれば。
「舐めるなッ!」
振り上げられた劫火の刀へと密集する精霊達。その数に伴い、焔の密度と規模も増す。
普通の刀ほどの長さしかなかった刃は一気に拡大し、天辺を衝くほどにまで成長を遂げた。
火柱が煌々と夜空を照らすその様はまさしく太陽を彷彿とさせる。同業者が見ようものなら恐怖に打ち震えるだろう。
「一刀両断ッ!!!!」
裂帛の一声と共に放たれた斬撃は容易く烈風を打ち破り、地上にまで届いた。アスファルトは焼け崩れ、コンクリートブロックの壁は粉砕し、住民達も騒ぎで飛び起きた。
暁音は不味いと思いながら、着地に備えて火の精霊魔術を行使する。
火の精霊魔術に飛行能力はないが、火焔の噴射で滞空することは可能だった。それを上手く使うことで地上へとほぼ落下の衝撃なく、着地した。
住人達が騒ぎ立て始め、野次馬まで集まり始める。このまま居座れば警察などの組織が動いて面倒な事態になるのは目に見えていた。
暁音は気配を殺し、誰にも気付かれないようにその場を立ち去った。
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