第3話

 祓魔課へと辿り着くには幾つかの手順を踏む必要がある。大して凝った仕掛けではないが、それでも一般人ならばまずやらない。


 まずはじめにビルの中へと足を踏み入れる前に手鏡を出すこと。鏡とは現実世界とは別の世界への入り口となる代物であり、それを持ち出すことによって自身の存在を普通に働く者達とは異なる存在だと認識させるのだ。


 次に受付で社員証を見せる際、語尾に「おつかれさまです」という言葉をつけること。これは"通常お疲れ様"という響きに捉えられるが、実際は"お憑かれ様"という意味が籠められている。この言葉を使うことにより、自身の霊的価値を高め、境界線を踏み越える準備となる。


 最後にエレベーターへ乗り込んで階層ボタンを押す時、決まった階層を順番に押さなければならない。まず四階を押し、次に二階、六階、また二階、十階、最後に五階を押すと祓魔課への案内人となる女性が乗り込んでくる。その女性と共に降りた階ですぐに待ち受ける曇り硝子が張られた扉を抜けると、伏魔課へと到着することが出来る。


 逆に出ていく場合は手順が逆転するだけで、ほとんど変わらない。


「お憑かれ様。少し出かけるわ」


 暁音はエレベーターを降りると、足早に受付へと向かう。そこで背筋をピンと伸ばし、姿勢良く座っていた受付嬢へと声をかけた。


 急に声をかけられ、驚くもすぐに用意した笑顔で返事が返ってくる。


「あ、はい! お疲れ様です!」


 その言葉にはうんともすんとも言わず、暁音は踵を返した。無愛想な態度に顔を顰める受付嬢もいるが、今日はあまり気にしない性格のようだ。ほんわかとした顔で首を傾げ、暁音の後ろ姿を不思議そうに見つめるも、すぐに職務へと戻った。


 エントランスを抜け、商社から出た暁音は嘆息混じりに吐き捨てる。


「本当に面倒だわ」


 暁音はこのシステムが面倒で仕方なかった。秘匿されている組織なので必要なセキリュティだということを頭では理解している。ただ理解はできても、納得はできなかった。


 それでも文句を言ったところで改善される保証もない。諦めの溜息を深く吐き、商社を立ち去っていく。


 そのまま近くに停めてあったタクシーへと乗り込み、行き先を指定する。妖魔の出現場所は社外へ持ち出すことも許可されている携帯端末の方にも送られており、その場所も確認済み。


 手短に伝えるとタクシーの運転手は暁音にも勝るとも思えないほど無愛想さで発車させる。暁音にしてみれば変に気を遣われて話しかけられるよりも、沈黙の方が心地よいと感じるタイプだったこともあり、運転手に対しては逆に好感を抱いた。


(どうして私よりも弱い人しかいないんだろう……)


 窓の外の景色を眺めながら暁音は二十年という時を経ても変わることのない事実に絶望していた。


 結城家に生まれ、火の精霊魔術師として力を磨いてきた。努力あってこその現在なのは確かだった。


 だとしても、己以上に努力していない者が誰もいなかったかと言われれば暁音は否定する。


 結局のところ、この世は才能が全てであり、性差による優劣も才能の前では霞んでしまう。


(幼い頃は私よりも強くて上から目線で高説を垂れていた人も、私が当主になった瞬間、これまでの発言を全て撤回してきた。自分の言葉に信念がないのかと思わず眩暈を覚えたわね)


 暁音は自分が強いことを知っている。そして、圧倒的な才能に恵まれているのも理解している。


 だが、だからといって自分よりも格上の相手を前にしてペコペコと頭を下げるような生き方は御免だと言い切れた。


(私はそんな人間にはならない。自分の意思を死ぬまで貫き通せる絶対的な意思力を持った人間でいてやろうじゃない)


 誰に聞かせるでもない決意を秘め、無意識のうちに暁音は拳を握る。


 それは己の魂への誓いだった。

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