第9話 誘拐事件
しくじった。
まさか、この女がここまでしてくるなんて。
「ねえ、美亜ちゃん? あなたはちょっと写真撮るだけでいいのよ? それで今までのことも全部やめてあげるから」
玲子と帰ったあの日の週末、新しい制服を買いに出かけた街中で不意に同級生に声をかけられた。それは、制服を汚す原因になった目の前の二人、私をいじめる北条美代と橋本愛だ。
二人は一緒にいる男達と私の退路を塞ぐと、そのまま私を囲むように連れ去った。逃げ出せず、なすがままの私が連れてこられたのは雑居ビルの一室だ。
我ながら、怯えて動けなくなるなんて情けない。
取り巻きの男の一人が経営するらしいその怪しいビルを見た時、さっさと逃げればよかったのに。こんな嫌な奴なのに、怯え黙って従ってしまう自分のいじめられっ子根性が最悪の事態を招いたようだ。
「だから返事はもちろん『はい』だよね?」
二人とも制服を着ているときは優秀な女生徒という外面を保っていて先生受けもよく、クラスでもいわゆる中心的な存在だったけど、今日の彼女達は普段とは真逆の姿だった。
北条美代は耳に付けたピアスと豹柄の派手なネイルで爪を装飾していた。
ヒップラインを見せびらかすようなタイトなデニムの短パンと、膝下まで長さのあるロングブーツを履き、高級ブランドのロゴがデカデカと入ったパーカーを着たいかにも遊んでますって格好で、お金も相当掛かっているはず。
橋本愛は学校のセーラー服姿だったけど、化粧が大きく変わっていて、学校の時とは全然違い大人びている。制服じゃなかったら社会人と言われてもわからない。
二人はそんな姿に非常によく似合うことに、周りに大人の男まで侍らせているのだ。
すごく柄の悪い人たちだった。
脱色した髪の毛を金やら青やらに染め上げ、見るからに怖い男の人だ。歳は多分、ずっと上で犯罪を生業としてそうな雰囲気だ。
こんなの、高校生が関わる相手じゃないはず。
「何で、何でここまでするのよ! 玲子が一体あなたに何を──うぶっ」
抗議する私のお腹に、美代の靴がめり込んだ。
「うっさいわねえ。口答えとかムカつくんですけど? あのさあ、私はお願いしてるんじゃなくて、命令してんのよ? 態々あんたに配慮のある条件まで付けてあげてんのよ? だからさっさと玲子の裸を撮ってこいっつうの」
容赦無く鳩尾にめり込んだ彼女の靴に、思わず悶絶して転げてしまった。
「あう、ゲホ、ゲホっ」
「おいおい、えげつねえな美代ちゃん!」
私を心配するような台詞の癖に、男達は下卑た笑い声を発しながら楽しんでいる様子を隠そうともしない。
「さっさと返事しろよ!」
「まあ落ち着けって美代ちゃん。美亜ちゃんも、俺達のお願い聞いてくんないかな? 大丈夫、変なことなんてしないからさ。君、そんなに可愛くないし」
「そうか? 俺は全然、いけるけど」
倒れる私を嗤う男たちから向けられる視線に込められた欲望に、気持ち悪さで体が震えてしまう。
「あれ? こいつ震えてんじゃん?」
「そう怖がるなって。今も言ったろ? 無事に帰れるかは美亜ちゃん次第だよ? お兄さんたちの言うこと黙って聞いてくれたら安全に帰れるんだからさ」
こいつらはどうやら玲子が目的のよう。確かに玲子はとんでもなく美人だけど、まさかこんな連中に狙われるなんて。美人すぎるというのも時にとんでもない厄介事を招くようだ。
「あいつにべったりのあんたなら、恥ずかしい写真くらい簡単に撮れるでしょ? トイレでも風呂でも構わないからさ。あ、動画でもいいわよ?」
「そ、そんな事出来る訳──」
「できないなら、アンタでもいいのよ? この場でさあ?」
「っ!?」
美代が男の一人に目配せをした。金髪坊主でラインの剃り込みが入っている男だ。筋肉質な腕に刺青が入っている男が私の服を捲ろうと手にかけた。
「やめてっ! やめてよ!」
「だから、やめて欲しかったら何すればいいかわかってるでしょ?」
「何で、何でこんなことすんのよ!?」
「あいつに価値があるからよ」
とても愉快そうに美代が口元を歪ませて笑った。
「ま、調子に乗っててムカついてたのはあるし、なんかこっちのことコソコソ嗅ぎ回ってたからちょうどいいんだけど。でも何より、あいつの写真が高く売れんのよ」
「売れる?」
「そ! すごい値段なのよ? いやあ世の中には変態っているのね。ま、おかげで私らは欲しい物買えるんだけど。ね、愛」
「どうでもいいんだけど、さっさと終わらせてご飯行こうよ」
橋本愛はつまらなさそうにスマホをいじっているだけで、私がどうなろうと、どうでもイイという感じでこっちを見向きもしない。
こんな奴らに私はと思うと、怖さの中にほんの少しだけ悔しさが込み上げてきた。
そんな感情にまかせて口にしなくていいことを言ってしまう。
「そ、そんなことのためにこんな……最低」
「はあ? 何良い子ぶってんのよ、このブスがっ」
「がふっ」
当然、相手は激昂してさらに暴力を振るってきた。
「あーあ、始まったよ美代ちゃんの癇癪」
それくらいにしておけと、美代が周りの男たちに止められるまで私はひたすら蹴られ続けた。
うずくまって頭を抱え、防御姿勢を取ってはいるけど、ブーツのつま先は固くてただの凶器だ。守った腕がジンジンと焼けるように痛い。
「あーあ、血だらけじゃん。もう美代ったら……あのさ、これ以上されたくなかったらもう返事は『はい』ってことでいいよね」
怖さと痛みで泣きながらうずくまる私に、態とらしく橋本愛が優しい声をかけてきた。
「う、うう」
「おい、聞いてんだけど?」
返事を返さず呻くだけの私が気に障ったのだろう。次の瞬間にはその取り繕った態度を捨て、私の髪の毛を掴んで引き起こそうとする。
「い、痛いっ!」
「立場、わかってるよね? あの先生だって、私たちの味方。あんたが抵抗したって無意味なんだよ?」
無理やり顔を起こされて覗き込まれる。
「ふふふ、あんたが頼ったあの教師、ちょっと誘ったら簡単に欲情してさ。それ以来、私たちのいい奴隷……私たちって選ばれた存在なのよ? 証拠も残さないし、根回しだって完璧。あんたみたいなグズをどうしたって裁かれない。まさに貴族ね」
暗に私が何をどうしたって無駄と言われ、涙が溢れるくらいに悔しくなった。
「クラスの連中だって、あんたを見せしめにすれば簡単に怯えて従ってさ。バカは支配しやすいのよ。誰だって自分がいじめられたくないもんねぇ」
でもね、と橋本愛が耳元で囁いた。
「赤塚玲子を裏切りなさい? そしたら、標的はあんたから別のやつに変えてあげる……玲子とか、いいわよね? 弱みを握って、金を奪って、ふふふ、ああ楽し
み!」
ああ、これから自分がどちらを選んでもロクな目に合わないんだろう。
こうなってしまってはもうどうしようもないのかも知れない。
怖くて涙が止まらないけど、それでも玲子のことだけは裏切りたくなかった。
弱くてちっぽけで、何の取り柄もない私にも意地だけはあるみたい。
「い、いや──」
勇気なんてものは湧いてこないので、せめて目を閉じて顔を見ないようにして、なけなしの意地で男の命令を断ろうとした時だった。
「はーい、現行犯!」
この場にそぐわない、やけに明るい女性の声が聞こえてきた。
「玲子!?」
ドアのそばには、制服姿の玲子がとても冷たい顔で男たちを睨みつけていた。
「な、何でアンタがここに!?」
突然の乱入者に美代も愛も、男たちでさえも驚きを隠せないようで、私はようやく髪を離された。無理やり上を向かされていたせいで首が痛い。
「いやあ、街中で美亜を見かけたんだけどさ。なんか変な奴らに声かけられて何処かに行くじゃない? 美亜って私以外に友達いないはずだから、ちょっと気になって」
どうやら私のぼっち気質が役にたったらしい。助けに来てくれた玲子には感謝したいけど、でも正直、彼らの目的が玲子である以上この場には……。
「ふん、ちょうどいいわ。アンタら、こいつ捕まえて」
「ちょっ、玲子! 逃げて!」
案の定、玲子を狙う美代と男たち。事態はむしろ悪化した。
「うわ、めっちゃ美人! 俺、張り切っちゃうよ?」
彼女の美貌がマイナスに役立つ瞬間を初めて目にしたかもしれない。
上げちゃいけない男たちの士気を上げてしまっている。
「あら? 私が一人で来ると思う?」
私ってそんなに馬鹿じゃないわよ、と玲子が微笑う。とても愉快そうに、意地悪そうに。なんだか私の知っている玲子じゃなくて、この時の彼女は美代達に少し似ていた。
「私のパパのことは知ってるでしょ? 私ってね、ほんと窮屈なんだけど、いつも護衛の人がついてるの。ほら」
玲子の後ろから現れたのは一人の男の人だ。スーツを着てはいるけど、全身パツンパツンになっているくらい屈強な体の持ち主で、とんでもなく大きい。
不良の男たちのことを筋肉質だと思っていたけど、次元が違う。
鍛え上げた体は、同じ男の人でもこんなにも差が出るのかと驚くほどだ。
「男たちは強姦未遂で逮捕。アンタも主犯ってことで少年院行きと退学は逃れないわね」
「お、おい、やべえって!」
「くそっ!?」
見るからに強そうな男の登場に、不良たちが焦り出す。厳つい外見なのに、自分より強いとわかる人が目の前に現れたら勝手が違うようだ。
玲子の護衛はたった一人で彼らは三人もいるけど、見た目の雰囲気が明らかに強そうで、不思議と私は安心していた。あれほど怖かった不良たちが小さく見える。
「ふふふ、あんたが短絡的な手段に出てくれてよかったわ。これで美亜にまとわりつく害虫を駆除できるもの。じゃあお願いしますね、稔侍さん」
玲子の指示でスーツの男の人が動き出す。
「す、すごい」
容赦がなかった。てっきり素手で漫画のようにやっつけるのかと思ったら、取り出した警棒で容赦無く叩きのめして、あっという間に不良たちをやっつけてしまう。
ものの数分だったと思う。殴られてもびくともしないその巨躯で、ブルドーザーのように不良たちを蹴散らしてしまった。美代と愛が呆然とするのも無理はないだろう。彼女達がクラスで恐れられていたのは、この不良達とのつながりを誇示していたことが大きい。
みんな、太刀打ちできない暴力は怖いんだ。
「さ、あとは警察を呼んで無事解決ね。パパの力を使って実刑を一番重くしてあげるから覚悟なさいね北条美代さん、橋本愛さん? 家族も大変よね、十六の娘が犯罪者だなんて」
私を引き起こした玲子が二人を睨んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、こんなのただの遊びじゃない!」
「そ、そうよ! 私らだって本気で襲うつもりなんてなかったの! ちょっとこいつらが暴走しちゃって……」
必死で言い繕う彼女達に、玲子が天使のような微笑みを浮かべる。
「ええっとぉ、貴族だから何してもいいんだったっけぇ?」
「そ、それはっ」
ぶりっ子のように話す玲子はなんか……とても楽しそうだ。
「ねえ、知ってる? 貴族ってね、権力を動かせるから貴族なのよ」
まるで逆だった。さっきあいつらが私にしたことを、玲子があいつらにしている。
「未成年だからって保護されると思わないでね? マスコミに働きかけて顔写真と実名報道、一家が離散するくらいの賠償金漬け……あんた達が今後一生働いても返せない額の慰謝料を払わせてあげるわ」
「そ、そんなこと出来る訳っ」
「うふふ、できるから貴族なの。本当にありがとう。私もとことん冷徹になれるッ」
玲子の目が、鬼のように釣り上がった。彼女がこんなに怒る姿、初めて見た。
「お、お願い、こんなの、嘘だから……謝るからっ、許してよお!?」
涙目で許しを乞う美代達を冷たくあしらい、玲子が護衛に声をかける。
「稔侍さん、パパに連絡してくれるかしら? こいつらの背後に誰かいるみたい」
さっきの私のようにうめきながら蹲る不良たちが、玲子の言葉に反応して顔を上げた。
目を大きく見開き、焦った口調で玲子に懇願を始めた。
「ま、待ってくれ! わかった、もうアンタらには関わらないから!」
怯えるように謝罪する男たちに、玲子は冷たく言い放った。
「あのね、こんなんことして内々に済ませると思う? ちゃんと表に出てもらうから覚悟なさい? それともこのことがバレたらまずかったりするのかしら? あなた達、黄竜会の人でしょ?」
「っ……」
図星のようで、男の一人が顔を顰めた。だらしなく目尻が下がっていて、今にも泣き出しそうだ。
「さ、美亜。警察が来たら病院に行こう。ごめんね、巻き込んじゃって……」
「え? あ、いや、何が何やら……」
先ほどの邪悪な表情とは打って変わって、今度は玲子が泣きそうな顔をして私を気遣う。まあ、私も人のことは言えないけど。
繋いだ手から伝わる玲子の温もりが、なんだか妙に泣かしてくる。
「稔侍さん、黄竜会の人間がいたって伝えてね。やっぱりパパは正しかったみたい」
「……」
「稔侍さん?」
──ふと、この場の全員がおかしなことに気づいた。
稔侍という護衛の人が立ったまま返事をしない。
まるで時が止まったかのように、じっとその場に停止していた。
「あっ」
不意にその巨躯がゆらりと揺れると、そのまま仰向けに倒れていく。
コツンと、乾いた音が響いた。床に頭蓋骨を打ちつけた音だ。
うめいていた不良のうちの一人が、呆然とつぶやいた。
「し、死んでる」
「う、嘘……」
鉄臭い、独特の香りが部屋の中に充満する。
あれほど強かった稔侍という護衛は、床に血溜まりを作り、目を見開いて息をしていなかった。
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